作品
初めて見る、その素顔 2
遠くから声がする。身体を揺すられていることに気がついた。
タケルはぼんやりと、暗闇の世界から現実に返る。瞼を開けると、眩しい光と、自分を見つめている相手の瞳にぶつかった。
「――ケル、タケル、おい起きろ」
ゆさゆさと肩に置かれた手が動く。こんなところで寝たら風邪ひくぞ。
「―…おにい、ちゃん…?」
ぼぉっとした頭で揺する手に自分の手を添える。相手の手は一瞬、びくりと震えた。じわりと焦点が合うと、自分を見下ろすヤマトの姿を認めた。ヤマトの瞳がキョトンとまるく見開いていて、それからすぐに、驚くくらい、優しい表情になった。初めて見る、そんな顔…。
タケルがその表情に見惚れていると、ヤマトはふんわりと笑った。
「お前なぁ、電気も点けずに毛布も羽織らずに、ソファで熟睡してんなよ。玄関開けたら家ん中真っ暗で、吃驚した」
「え、あ、あれぇぇッ?!」
がばっと飛び起きると、そこは眠りに就く前のソファの上。ヤマトは膝をついた状態で、もう片方の手で、タケルの頭をやんわり撫でた。片方の手は、未だタケルが握りしめていたから。
「えあ、えと、あのっ!!何で、いるの?!」
わっと手を離して、混乱する頭で辺りを見回した。カーテンを閉めていなかったので窓の外は真っ暗なのが分かった。けれど壁に掛けてある時計に目をやればまだ8時前の時間であることに気がつく。ヤマトが帰ってくるにしては時間が早すぎではないか。
「何でいるって…帰ってきたから、いるんだよ」
ヤマトがぶッと吹き出して、可笑しそうに笑う。
「合コ…の、飲み会、行くんじゃ、なかったの?!」
「断ってきた」
「な、なんでっ」
「電話のお前の様子がおかしかったから、親父に携帯掛けてみたんだよ。そしたら今日泊まりになったって云うからさ…。タケル、お前、何で俺に言わなかったんだ。今日は母さんもいないってのに」
「なんでって…」
言ったら、迷惑をかけてしまうからだ。兄には兄の交友関係がある。自分たちとの新生活にならなければ、今までどおりの父親との二人暮らしであれば、弟のために用事を蹴って帰宅する必要はなかったはずだ。
自分のために…自分のせいで…
「…だってっ、友達…お兄ちゃん、嫌な思いしたんじゃ…」
「友達って言ってもなぁー、同じ学部の奴のサークル仲間とかなんとかで、人数合わせで無理やり呼ばれたってだけだぞ」
ほえ、とタケルは間抜けな声を出す。
「前に一度付き合い程度のつもりで飲みに行ったんだけど、それから何度もしつこく誘われててさ。いつも適当にあしらってたのに、今日はしくじった。しかも母さん留守の日だってのに、気を配れなくて悪かったなぁ」
ヤマトは心底詫びたような困り顔で、再びタケルの髪を梳くように撫でた。
「俺に、気を遣ってくれたんだな。ありがとう。でもタケル、お前が気にすることなかったのに」
タケルはかぁぁぁっと赤面する。身体じゅうが熱い。ヤマトの言う事も勿論そうではあるのだが、それ以上に、勝手な思い込みで勝手にしょぼくれてた自分が恥ずかしくて、何だかもう、どうしたものか。
タケルがわたわたしている様子を、ヤマトは何故かとても楽しげに眺めていた。暫くわたわたした後、タケルは漸く落ち着いて、それでもまだ恥ずかしくてヤマトとは目が合わせられない状態だったが、それでも何とか息を吐いて、ソファの上に座り直す。
それから改めてヤマトの方を向いて、小さな小さな声で、「おかえりなさい」と言った。
ヤマトはまたもきょとん、としたような顔をして、それから、またあの優しい笑顔になって、「ただいま」と言う。
なんだか、すごく気恥ずかしい。なのに、すごく温かい声音を持って、その言葉はタケルの中に沁み込んでいった。
タケルが落ち着いたのを見計らって、ヤマトはやさしい低い声で言った。
「ひとりは、さみしいよな」
その声はタケルの胸にじんと響いた。ああそうか、僕たちは同じ寂しさを知っているんだ。だからヤマトはタケルの寂しさを察して、家に帰って来てくれたのだ。
タケルは素直にこくりと頷いた。ひとりでない時間を知ってしまったから、ひとりがとても寂しかったんだ。ヤマトはタケルの隣に座る。
「…でも、今日はちょっとした収穫だ」
先程とは打って変って突然明るいトーンの口調になったヤマトに、タケルはえ、とヤマトに視線を交わす。ヤマトは優しい表情から悪戯っ子のような顔になっていて、タケルはぽかんとした。これもまた、初めて見る兄の表情だ。
「俺、お前の事、年下なのにえらく良くできた子だなぁって、思ってたんだけど」
ヤマトはにぃっと白い歯を見せる。え、ちょっと待って、お兄ちゃんてそんな顔するんだ、悪そうなのにカッコイイってどういう…
「頭では分かってても、自分に弟がいたっての、今までピンとこなかったんだよな。でもなんか、今のお前見てっと…改まって言うのもなんだけど、ああ、弟なんだなぁって」
「ん、んん?」
「弟って、こんな感じなんだな。お前今までそんな顔、見せなかったからさぁ…。うん、いいな、俺、今のお前の顔、好きだよ」
「すっ…!」
今目の前にいるのは、本当に数カ月一緒に暮らしてきた兄ですか?全然イメージ、違うんですけどっ!
タケルが混乱したまま口をぱくぱくさせていると、ヤマトは頬を紅潮させて、にへらと締まりのない笑顔を見せた。ちょ、やめて、それ違う。どんどん兄の印象が…。
て言うか、何この予想外の展開ッ?!
「うーん、弟って、こんなに可愛いものだったのか。なぁタケル、もっと俺に本音見せろよ。もっと甘えていいんだぞ」
「か、可愛いなんて、ないよ!」
「可愛いよ。だってお前さ、気づいてる?さっきから、俺の事、お兄ちゃん、て呼んでくれてんだぞ」
ほあああああああああああっ?!!!!!!!
タケルの頭はぼんっっ!!!っと沸騰した。
何時から?!何時から?!全然気づいてなかった!!!て言うか、今まで兄の事をそう呼んだこと、頭の中でさえ一度もなかったのに、何で?!何でよりにもよって、無意識に、本人に向けてお兄ちゃん呼びしてんの僕?!!!!!
タケルは立ち上がってソファから退いた。両手を突き出して頭と一緒にぶんぶん振る。
「だ、だだだ、だってそれは、あの、違う、兄さんだから!!」
「え、何で言い換えるんだよお兄ちゃんでいいよ」
「いややややや、いやだ!!!!!」
「間違ってないだろ」
「駄目だよ!」
「なんで」
「恥ずかしいもん!!!!!!」
大声で言ってしまってから、固まった。あああ何言ってんだ僕。
ヤマトは何が楽しいのか、うん、うん、と締まりのない顔のまま頷いている。ちょほんともうやめてその顔。
「お前、本当に可愛いなぁ…」
また手が伸びてくる。タケルは狼に襲われそうになる兎の如く、びくりと震えて慌てたように後方に下がる。先刻はあの手で頭を撫でられて、とても心地よかったはずなのに。
「うん、分かった。恥ずかしいのなら、他の人の前では兄さん呼びでいいよ。でも俺と二人きりの時は、お兄ちゃん、て呼んでくれ」
まるでぱぁっと後光が差したような異常に爽やかな笑顔で、ヤマトは変態染みた言葉をイケメンヴォイスで言い切った。
え、なにその特殊な性癖プレイっぽい願望…
タケルはもう何も言えなかった。どっと疲れが出て、泣きそうになった。
突然ぐじぐじ鼻を鳴らし始めた弟に、兄は狼狽してわたわたする。
「え、どうしたんだよ。おい、泣かないでくれ。俺、お前に泣かれるのは苦手なんだ」
この家に来た時、泣いてしまったタケルをあやしたヤマトは飄々としていて余裕そうだったのに。もしかしてタケルがそうであったように、ヤマトも再会の緊張を隠していたのか。タケルがこの数ヶ月間見ていたヤマトの姿は、ヤマトが見ていたタケルの姿と同じように、自分を出さずに良い兄弟を演じていただけだったのかも知れない、と。
そう気が付いたとき、タケルは思わず笑ってしまった。ヤマトは不思議そうに、困った顔でタケルを見ている。
その時、タケルのお腹がきゅるると可愛い音を立てた。そういえば、夕飯を食べていない。
「もしかしてお前、まだ夕飯食ってないのか?」
「だって…みんな帰ってこないし、カップラーメンでも良いかなと思ってたところで」
それを聞いて、ヤマトがキッと厳しい顔つきになる。
「駄目だ、育ち盛りの弟にカップラーメンだけの夕飯食わすなんて兄として許さない。俺が今から作ってやるから、ちょっと待ってろ」
言うと驚きの早さでてきぱき身支度し始めるヤマトに、タケルは思わず「カレー食べたい」と即答した。ヤマトの作るカレーはすごく美味しかったからだ。
昨日までは、何が食べたいかと聞いても控えめな声で「何でもいいよ」と返していた弟が、躊躇なくリクエストをしてくる。なんだよ畜生可愛いなぁ、と思いながら、ヤマトは苦笑する。
「今からだとカレーは時間が掛かるから、明日でいいな?野菜炒め作ってやるから」
「うん。野菜炒めも、好き」
タケルは心なしか子どもっぽい口調になっていた。自分でも驚きだ。でももしかしたら、これが本当の自分なのかもしれない。本当の自分は、実年齢よりも幼くて、こどもで、我儘で、ちっとも良い子なんかじゃない。だから無意識に、お兄ちゃん、なんて口に出てしまったのかな。
でもやっぱり、はっきり自覚してしまった以上、お兄ちゃんなんて、恥ずかしくて呼べないよ。
タケルはソファに座りなおして、器用に夕食を作り上げていくヤマトの綺麗な指を見つめていた。
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タケルがうじうじして、ヤマトがブラコンに目覚める話。←身も蓋もないあらすじ
しんみり~ほっこりな展開にするつもりが、後半のテンションがあちゃーな感じ。
このシリーズのお兄ちゃんちょっと格好よ過ぎんよーと思ってたので、崩して見たらこんな性格になるとは思いもよらず。
なかなかBLルートに進まなくてヤマタケ掲げてるサイトのくせに申し訳ないのですが、のろのろ親密度上げていく予定…です。
- 2013/10/20 (日)
- ヤマタケパラレル