作品
piece 15
◇
しばらく二人は、何も話さず、黙ってぼんやりと椅子に座っていた。
アグモンのデジタマを抱えている淑乃の手が、滑らかに殻の表面を撫でている。
ピアノを弾いているかのような優しいリズムの指の動きに、大は惹きこまれそうになる。
長い静寂の後、淑乃はデジタマを大事そうに机の上に置くと、ぽつりと呟いた。
「……私ね、大には私たちのこと、気づかれたくなかったのよ… 勝手な言い草だと思われるかもしれないけど、私、トーマの想いに応えてあげられてないんじゃないかって、いつもいつも、不安で仕方なかった。トーマのことを受け止める自信が、持てなかった―― 私、自分がひどく汚らわしいものに感じる時があった。だから、大には、そういう目で見られたくないって思って、大に私たちのこと、話すことができなかった…」
「そんなこと、」
「如何してだか判る?」
「……」
「大が綺麗な眼をしているからよ」
大は赤面する。
自分はそんな清廉潔白な人間じゃないんだけれどな。
あっさり失恋したくせに、恋を自覚した途端淑乃のすべてに惹かれてしまうのが情けない。
「…淑乃」
「なに?」
「キスしたい。駄目か?」
淑乃はぽかんと口を開けて、呆れたような、困ったような顔でため息をついた。
「ウソつき。何もしないって云ったのに…」
「わりー。でも、今日だけだから。なんつーか、俺、限界…」
弁解しようとしたその時、淑乃は立ち上がって大に近づいて、大の頬に、唇を寄せた。
柔らかい感触に大は一瞬息が止まり、直後、無意識に淑乃の身体を引き寄せて、彼女の唇に自分の唇を重ねた。
「…んっ」
許可されていないのに図々しくも淑乃の口腔に入り込んで舌を絡めた。
苦しそうに漏れた淑乃の息にも興奮した。
これから先、淑乃が自分に対してこんな表情を見せることは無いだろう。あの夜の日に出していたような甘い声で、自分の名を呼んでくれることなど決して無い。
そう思うとちょっと悲しかった。今、すごく気持ちのいいことをしているのに、大は鼻の奥がつんと痛むのを感じた。それは切ない痛みだった。
名残惜しみながら唇を離すと、はぁっと思いきり息を吐いて、淑乃は手を口にあてた。
「…ちょーし、乗りすぎ…」
こちらを睨みつけている淑乃の顔が、それでも不快の表情ではなかったことに、大は安心した。
「はははは」
「笑って誤魔化さない」
ぴしゃりと云われ、おでこを叩かれた。二人とも妙に照れくさくなっていたので軽く流した。
「俺、今日のこと、ぜってートーマに喋らない」
「当たり前でしょ」
淑乃はため息をついた。
そして、笑った。
大も笑った。
そして、この日二人はきっぱりはっきりと、お互いの恋愛感情を消滅させた。
◇
大がこの世で一番嫌いなのは、後ろめたさと隠し事、そして嘘をつくこと――、だった。
しかし大は、その時から一つの嘘と隠し事を持つことになる。
そしてその嘘は、後に親友となる相手に対して、生涯隠し通すことになるのだが、彼はそれを、後悔することは無い。
- 2007/07/16 (月)
- 『piece』※R-15
タグ:[トーマx淑乃]