作品
piece 10
5.
◇
確かに信頼は崩れてしまっていたけど――何も、こんな関係になることを望んでいたわけじゃない。
大は目の前の相手の視線を受けながら、呆然と立ち尽くしていた。
感情を何処かに置き去りにしてきたような表情のトーマは、大に冷酷な言葉を突きつける。
「君がいる限り…戦いは終わらない…。僕は、君を倒す!!」
◇
時間は、数日前に遡る。
倉田の策略で、エルドラディモンごとデジタルワールドから現実世界に引き戻された時、大はトーマの姿が見えないことに気がついた。
大は『聖なる都』での不信感もそっちのけて、トーマの姿を探した。
勿論、あの夜の出来事を忘れることなど出来ないけれど。それでも現実を受け止めなければならないし、危機的状況の中、トーマの力が必要なことに変わりはないのだ。
それなのに――大が目にしたのは、ガオモンと共にヘリに乗って飛び立っていくトーマの姿だった。
自分達には何も、一言の理由も告げずに。
ララモンによると、トーマ達が乗っていたヘリに描かれた紋章は、トーマの親族であるノルシュタイン家のものらしい。
今、現実世界はデジタルワールドとの境界線を失い、混乱状態に陥っている。その為、何かの事情があって、家族のもとに戻ったと考えてもおかしくはない。
それでも、何か伝言でもあれば安心するのに…。
大たちは、美樹と恵の二人と合流し、薩摩隊長が非常時に備えて用意してくれていたという避難場所にやって来た。
そこは簡易ながら一応の設備が整えられており、緊急用の指令基地のようでもあった。
大の母親の小百合と妹の知香が差し入れてくれたお弁当を口にしながらも、トーマを気にする面々は不安げな表情をしている。
「…だめ、やっぱり繋がらない」
DATS時代の通信機でトーマとの連絡を試みていた淑乃が、落胆した顔で通信機から手を離した。
先ほどから、繰り返し彼女が通信機に手を当てているのを、大は横目で見ていた。
淑乃の表情を窺ったが、落ち込んでいるようでもなく、かと云って無理に気丈さを保っているようにも見えなかった。
淑乃はトーマと連絡がつかないことを如何思っているんだろう。
大には、彼女の真意が掴めなかった。
「…トーマ、帰って来るかな」
ぼそり、とイクトが呟く。淑乃と正反対で、イクトの顔からは明らかな不安の色がにじみ出ている。
「あったりめーだろ!あいつは、仲間を見捨てたりしね―よ!」
自分に言い聞かすように、大は強く言った。
淑乃はすっと顔を上げ、大を見つめた。
縋るような瞳に、大はどきり、とした。
「うん…きっと、何か理由があるんだと思う」
淑乃はそう云って、再び顔を逸らした。
◇
トーマと連絡はとれず、時間だけが過ぎていく。
全員が疲労の色を見せ、云い様のない絶望感に侵食され始めていた。
大の隣の椅子に座っていた淑乃が、音も立てずに立ち上がった。
彼女は何も言わず外に出る。
気分転換か手洗いだろうと、美樹たちは気に留めなかった。
大は少し間をおいてから、同じように席を立った。
淑乃が周囲に不安を悟られないように、何度も建物の外に出ては携帯電話を取り出して圏外の表示にため息をついていることに、大は気付いていた。
外に出た大が辺りを窺うと、案の定、淑乃は建物の壁にもたれて携帯電話の画面を眺めていた。
大はしばらく声も掛けずに彼女の様子を眺めていた。
ボタンを操作し、耳に電話を当てている。どうやら何とか回線は繋がったようである。
黙って電話に意識を集中しているような様子だった。呼び出しが続いているのか、或いは留守番電話に繋がったのか―― その時だった。
淑乃の肩が、小刻みに震え始めた。
「…トーマ、この伝言を聞いたなら、連絡、して…」
感情を押し殺したような形式的な言葉のあと、淑乃はゆっくりと声を出した。
「ねぇ、トーマ。私、貴方の力には、なれなかったのかな――」
先ほどとは、まるで異なる声音。
「私、あれから、ずっと考えてたんだ。私も、貴方も、ちょっと急ぎすぎちゃったね。私、もっとゆっくり、貴方の目を見て、貴方と話したい」
優しい目だった。母親のような、姉のような、愛しい恋人のような――
その目の端に滲んだ涙が膨らんで、瞬きと共に雫が零れ落ちた途端、淑乃はずるずると、壁伝いにしゃがみ込んだ。
そのまま暫く立ち上がれずに、淑乃は頭を抱え込んで泣いた。
「…――」
掛ける言葉すら無い。
大はそのとき、初めて、淑乃の心の奥を垣間見た気がした。
彼女は、誰よりも強く、トーマのことを想っている…。
――畜生…
大は、『聖なる都』でのあの夜からずっと、心の中に燻っている靄のようなのもが、次第に身体中に充満していくのを感じた。
◇
そして――現在。
大の前に戻ってきたトーマは、事もあろうかミラージュガオガモンにシャイングレイモンを攻撃するよう命令したのだ。
あまりの出来事に、大は頭の中が真っ白になった。
トーマが何故、自分達を攻撃するのか解らない。
シャイングレイモンも、仲間であるはずのミラージュガオガモンと戦うわけにもいかず、攻撃をかわすことしか出来ないでいる。
「トーマ!」
大は激しい攻撃を避けながら、トーマに近づく。
兎に角、今何故こんな状況になっているのか、話をしなければ何も解決できない。
どうして自分達の前から離れたのか、そして何故自分達を攻撃するのか。
淑乃の云う「理由」があるとしても、今の大にはトーマの行動がまったく理解不能だった。
大の呼びかけに、トーマは無言で冷めた表情を向ける。
「トーマ、何やってんだよ!!」
今は仲間割れしている場合じゃない。そもそも、何故仲間割れしているのか解らない。
ミラージュガオガモンの執拗な攻撃に、シャイングレイモンも限界に来ている。早く事態を解決しなければならない。
大がトーマの肩を掴もうとした時、トーマはすばやくその手を払い除けた。
その行動が徹底して目の前の相手を排除する動作であることに、大は愕然とする。
「トーマ、如何しちまったんだよ…」
解らない。大はトーマのことが、何一つ解らなくなっていた。
混乱する大に対して、トーマは飽くまで冷たい態度でねめつける。
そして、理解しがたい言葉を発した。
「僕は倉田博士と協力して、共に平和な世界を作る」
「ー――…な…」
大は、言葉を失った。
こいつは、何を云っているんだ…
「…正気か?トーマ…」
声が震えていた。搾り出すように、それだけ何とか言葉に出来た。
「僕は常に冷静だよ、大門大!」
フルネームで大の名を呼んだトーマの声音には、既に距離をおいた刺々しさがあった。
何で?如何して?
その言葉だけが、大の頭をループする。
そしてトーマの次の言葉は、大の心をえぐるようなものだった。
「力任せの勢いだけでは、誰も守れないし、救えない!いいか、よく聴け!君には何も出来ない――何もな!!」
その言葉を聞いたとき――それまでぐるぐると混沌状態だった大の脳内は、一気に真っ白になった。
その直後、彼の頭に現れたのは、幼い頃の自分が、旅立つ父親とキャッチボールをしている光景だった。
父親は大の頭を撫でて、こう云った。
「大、母さんと知香を頼んだぞ。お前は男だから、何があっても、全力で母さんと知香を守るんだぞ――」
それは、その時から今日まで、大が頑なに守り続けてきた父親との男の約束。
母さんを守る。知香を守る。
大切な人を、守りたい――そのための力が、欲しい――
そう思って生きてきた。それは、大の生き方であり、今の大そのものであった。
それを――今、大は、トーマに否定されたのだ。
これ以上の屈辱はなかった。プライドも、自分の存在意義さえも、侮辱された気がしたのだ。
ゆらりと脳裏を掠めたのは、『聖なる都』で突き付けられた見たくもなかった現実と、泣き崩れながらトーマに電話を掛けていた淑乃の姿だった。
ぎりり、と唇を強く噛んだ。固く握り締めた拳は、爪が掌に食い込んで、血が滴り落ちていた。
けれど、そんなこと気にもならない。痛みすら感じなかった。
大は、その時まで燻っていた靄が、怒りという明確な形になって、一気に身体中から吹き上がっていくのを自覚した。
――ちくしょう。
畜生、畜生、畜生・・・!――――
- 2007/06/05 (火)
- 『piece』※R-15
タグ:[トーマx淑乃]