作品
piece 2
◇
「大惨事になる前に処理できて、良かったわね」
車を運転しながら、淑乃は助手席のトーマに話し掛ける。
「ええ。デジタマも無事に捕獲出来ましたし、あとは本部に戻るだけですね」
朝早く、デジモン出現の一報を聞き出動したトーマと淑乃は、トーマの冷静な判断と作戦で、難なくデジモンをデジタマ化した。
大事にならずに済んだので、事後処理も楽だったため、午前中にすべての任務を終了することが出来た。
暖かな天候だった。お昼前の和やかなひと時、楽に任務をこなせたことも淑乃の気分を明るくさせた。
だから車が大通りから商店街付近を通過した時に、淑乃は車を停めた。
「ね、ちょっと、寄っていいかな?」
「構いませんよ」
任務を完了したとはいえ、DATSビルに戻る前に寄り道をするなんて初めてだった。
商店街の一角に、ちいさな和菓子屋がある。
トーマを助手席に待たせているのが少し気が引けて、淑乃は小走りで和菓子屋に向かう。
和菓子屋の店名は「うさぎ屋」。
初老の夫婦が経営している、小規模ながら上品な雰囲気のお店で、淑乃は幼い頃からうさぎ屋の大福が大好きなのだ。
しかし、店内に入って大福を頼むと、今日の分はすべて売切れてしまったとの返事が返ってきた。
「まだお昼前なのに…」
がっがりと肩を落とす淑乃に、店の夫妻は申しわけなさそうに何度も頭を下げた。
仕方が無いので、わらびもちときんつばを買って店を出る。
大福が品切れだったのは残念だったが、うさぎ屋の和菓子はどれも美味しい。
「待たせてごめんね」
車に乗り込み、シートベルトを装着する。
「和菓子、お好きなんですか」
車内に甘い香りが立ち込めて、トーマが聞いてくる。
「ほんとは大福が欲しかったんだけどね。本日売り切れ、ですって」
エンジンをかけて、発車した。
「人気のお店なんですね」
「小さい頃から母親とよく行ってたお店なんだけど…最近雑誌で紹介されたみたいで、大福はすぐに売り切れちゃうの」
今日はまだ早い時間だからあると思ったのになァ――そう云ってため息をつく淑乃に、トーマは小さく笑った。
こんな風に、トーマが飾りの無い表情をするようになったのは、つい最近のことだ。
それまでも紳士的な態度で女性に優しいトーマではあったが、相手と一定の距離を置くような、ある種の余所余所しさがあった。
だが、淑乃とはチームとして行動をともにする事が多かったし、淑乃がトーマに対してオペレーターたちのようなミーハーな言動を取る事はしなかったので、少しずつではあったが、淑乃に心を開いてくれているようだ。
――私は、信頼されている。
おなじチームの隊員として。仕事上のパートナーとして。
DATSエースメンバーであるトーマの信頼を得たことは、淑乃にとって誇りでもあった。
「私ね、うさぎ屋の大福、一週間食べ続けたい衝動に駆られるの」
今日の自分はおしゃべりだ、と心の中で感じつつ、淑乃はなんだか不思議と弾む気持ちを抑えられずに如何でもいい世間話を始める。
トーマが不可解な表情を向けてきた。
「それは、一日一個、の計算ですか?」
信号が赤になり、淑乃は車を停める。
そして助手席に身体を向け、トーマの顔の前に手をかざした。
トーマに向けたのは、指を三本立てたスリーピース。
きょとん、としたトーマが、今度は驚きの表情に変わった。
「三個?」
「だって、美味しいんだもの…」
呆れられると思ったが、トーマは淑乃が一日三個大福を食べることが余程驚きだったらしく、目をぱちぱちしている。
なんだかとても可愛い。
「でも、ぐっと我慢するの。だって、只でさえすぐに売り切れちゃう商品なんだから、なかなか食べられない人だっている訳じゃない。
それなのに、一日三個、一週間も食べ続けるなんて、贅沢でしょ」
「はぁ」
「だから、自分にとって特別な日に、一度で良いからうさぎ屋の大福を一週間、食べ続けてみたいなぁって」
「…特別な日、ですか?」
「そう。その一週間だけ、幸せを独り占めしたいって思える時に…。私のわがまま、その時だけ許してもらいたいなぁって、思う時に。
いつそんな日が来るかなんて、解らないけどね」
「・・・」
トーマが黙ってしまったので、淑乃は自分がずいぶんと馬鹿なことをべらべらと喋っていた事に気がついた。
気まずくなって、苦し紛れに先ほど買ってきた和菓子の包みを差し出す。
「トーマ君、きんつばいる?」
「いえ、僕は…」
「あ、和菓子苦手だった?」
いいえ、とトーマは首を振る。
「僕も子どもの頃、和菓子はよく食べていましたよ」
「そうなの?」
「ええ、少しの間でしたけど、母親と日本で暮らしていた時期があったので…」
え?と、淑乃が首を傾げる。
「ああ、僕、母親が日本人なんですよ――」
そう云ったときの、トーマの横顔が。
とても寂しそうだったことに、淑乃は思わずどきりとした。
(トーマ、こんな顔するんだ・・・)
普段の、引き締まった凛々しい表情は、そこには無かった。
今、淑乃の隣にいるのは、天才でも貴族でも無く――紛れもなく、「14歳の少年」の素顔だった。
――
「――淑乃さん?」
はっと、我に返る。
何時の間にか信号は青になっていて、後ろの車から忙しくクラクションを鳴らされていた。
「あっ、ごめん」
慌てて、アクセルを踏み込み発車させる。
「大丈夫ですか?」
気を遣ったようなトーマの言葉。その表情には、もう、先ほどの面影は無かった。
「大丈夫。ごめん、DATS隊員たるもの、安全運転心掛けなくちゃね――」
よく解らない事を口走りながら淑乃は顔が火照っているのを誤魔化した。
――私、今、何考えてた?
一瞬胸の中にチクリと感じた感情を、淑乃は押し殺すように運転に集中した。
うさぎ屋の和菓子の甘い香りは、淑乃の気持ちを幾分か鎮めてくれた。
◇
何の不安も無い、充実した日常と言うのは、ある日突然音を立てて崩れ落ちるほどに、脆い。
淑乃はそれを、自らの起こした行動によって、思い知らされる事になる。
- 2007/02/15 (木)
- 『piece』※R-15
タグ:[トーマx淑乃]