Digimon Novels

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夕暮れに弾む音

放課後の校舎は朝昼の雰囲気とまったく異なる姿を見せる。

活気にあふれる朝日の光を浴びた黒板や、騒然とした昼間の教室と同じ場所だとは思えないような、薄暗い夕陽のさす空間。

加藤樹莉は、そんな夕暮れの空気がとても好きだ。

図書室に本を返しに行ってすぐ帰るつもりが、つい長居してしまい、すっかり日が暮れてしまった。
ランドセルを教室に置いたままだった。

静まった廊下に、自分の影が長く伸び、靴音が弾むように耳に届く。
それが、何だかとても心地良い。


(――あれ)

教室のドアに手を掛けた時、誰もいないと思っていた場所に人の気配がして樹莉は僅かに息を潜めた。
夕陽が差し込む静まり返った教室は、まるで異空間。
整列した机の中の一つに、固まったように伏せっている人影を目にして樹莉は小さくほ、と息をついた。
人影はクラスメイトの塩田博和だった。

(――寝てるのかな)

うつ伏せのまま動かない彼の姿を横目に、樹莉は自分の席に向かい机の上に置いたままだったランドセルに手を伸ばす。

かたん

静かな教室には幽かな音も跳ねるように響いた。
ぴく、と博和の肩が動いた。
あ。
樹莉は何故か忍び足で二歩下がる。
樹莉の席と博和の席はそう離れていない。
人の気配に目が覚めたのか、博和は、んあ、と言葉にならないマヌケな声を出して顔を上げた。

「…あ、加藤。」

まだ眠たそうな、寝ぼけ眼の顔で前の席の樹莉を見る。
その締まりのない顔が何とも可笑しくて、樹莉はくすりと笑った。

「ごめん起こしちゃった?」
「あー、別にー。起きなきゃなーと思ってたとこだから。」

博和は大きく背伸びをした。

「ヒロカズ君なんでこんな遅くまで残ってるの。」

樹莉はランドセルに教科書を詰め込みながら聞く。

「俺?日直。これが終わんなくてさー。」

博和は机に放り投げていた学級日誌を取り上げてぶらぶらと揺らした。

「最後の『日直の感想』ってのが書けねーの。俺、いっつもコレ、なに書こうか迷うんだよな~。」
「それに悩んでて今まで時間掛かってたの、」
「だって俺作文とか書くの苦手なんだよ。」

振り向いた樹莉が呆れたような表情を見せたので、博和はぶすっと口を尖らせた。

「そんなの適当に書いとけばいいじゃない。」

大抵そんなもんである。
先生だって、国語の作文の添削でもあるまいし、毎日の学級日誌の内容をそんなにこまめにチェックしているわけでもないだろう。

「簡単に言うけどなー、書けない奴にとっちゃけっこーキツイ試練なんだぜ?」

博和がおどけるように肩を竦めた。
冗談めかしい口調に、どこまで本気なのか真意が掴めない。
ただ単に、日当たりの良い教室でうたた寝をしたまま、うっかり眠ってしまっただけかもしれない。
塩田博和という少年は、お調子者のようで、意外と周囲の雰囲気を読んだり、計算の上で自分を出している所があるような気がする、と樹莉は密かに思っていた。

「そだ、加藤、国語得意じゃん。代わりに書いてよ。」

ぐいと、学級日誌を突きつけられて、樹莉は苦笑した。

「ダメだよ、ヒロカズ君が日直なんだからヒロカズ君が書かないと。」
「ケチ。」
「ケチとかじゃないもん。第一何で私が書かないといけないのー。」

樹莉もまた、少しおどけた口調で合わせる。
そうして、二人は自然に、否、あたかも自然の流れであるように、互いの歩調を合わせる。
博和はそれが解っているのだろうか。樹莉は思う。
樹莉はこの空気がとても心地良い。

夕暮れの静まり返った校舎の空間。

「タカト君たち先に帰っちゃったの?」

樹莉は、エンピツをくるくるもてあそんだまま一向に日誌を書こうとしない博和を横目に、もう少しこの空気を楽しみたくて話題を振った。
もしかしたら博和の方は樹莉が邪魔で早く帰って欲しいのかもしれないけれど。
博和はちょっと意外そうな顔で樹莉をちらりと見たけれど、すぐに視線をエンピツに戻して椅子にもたれた。

「あのね、男子は女子みたく毎日つるんでるわけじゃねぇの。俺が今日日直なの知っててあいつらさっさと先に帰ってったよ。」
「ふぅん?でもヒロカズ君たちいつも一緒にいるような感じじゃない?」

気持ち悪い事云うなぁ、と博和はわざとらしく苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
樹莉はそれを見て笑った。

「あ、そだ加藤――」

だらけていた体を上げて、博和は椅子に座りなおした。

「何?」
「今度の日曜さ、デジモンカードの全国大会があって、リョウさんがこっち来るんだって。そんで、久し振りにテイマーで集まろうってタカトたちと話してんだけど。」
「本当?」

樹莉はパッと顔を染めた。
博和から――かつてのテイマーの仲間の方から、デジモンの話題を振ってもらえたのは、デ・リーパ事件以降初めてのことだった。
レオモンを失い、デ・リーパの一番の被害者であった樹莉に対して、今まで、皆どことなくデジモンの話題を避けるようにしていたのだ。
だが、今、実にさり気なく、さらりと博和から「デジモン」という言葉を出されて、樹莉はたまらなく嬉しくなった。

「加藤も来る?」
「うん、勿論!」

満面の笑みで頷いた樹莉の表情を見て、博和も安心したように、ほっと息を付いて笑った。

「じゃあさ、悪いんだけどルキにも話しといてくれねぇ?」
「・・・あ、うん。」

そのとき、一瞬。樹莉は何故か、説明のつかない変な気分になった。
心地良い空気が、僅かに曇ったような。

なんだろう、なんだろうこんなきもち。

「よかった。俺、ルキんちに連絡するの苦手なんだよなー。タカトに頼んでもいいけど、あいつ連絡任せてもすぐ忘れっからさー――」

からからと笑う博和の声が耳を透き抜けてすうと遠くに行ってしまう。
さっきまで、かみ合っていた歯車が、少しずつ狂っていく。

「…ヒロカズ君、」
「何?」

おや?と博和のほうもズレた空気に気付いて首を傾けた。

「ヒロカズ君って、ルキの事、名前で呼ぶよね。」
「は?」

聞き取り難かったのか、言葉の真意を読み取れなかったのか、博和は実に珍妙な顔をした。

合わせていた空気を乱したのは樹莉。
突然のそれに咄嗟に対応できないのは博和。

「私は苗字なのね。」
「だから?」
「何でルキは名前で、私は苗字なのかなって。」

歩調を合わすためには、一定のラインを越えないことが鉄則。
そのラインに踏み込んで相手のペースを乱す程、昼間の樹莉は無粋ではない。
だけど。
樹莉は、そのラインを飛び越えた。
暗黙のルール違反。

「なんでって・・・。」

夕暮れ。
静まり返った教室。

その静寂が、空気が、今は、重い。





「だって加藤は始めっから加藤だったじゃん。」

ぶっきらぼうな博和の答え。

「始めっから、って何よぅ。」

拗ねたような回答が可笑しくて、樹莉は思わず、笑った。
張詰めていた空気が、じわりと元に戻る。

「あんなー、同じクラスの女子を、下の名前で呼べっかよ。」
「私はタカト君やヒロカズ君たちの名前、自然に呼ぶようになったよ。」
「男子と女子は違うの。」
「何が違うの、」
「色々あるんだよ。」

博和はそう云うと、学級日誌を開いて、あれほど渋っていた「日直の感想」に取り組み始めた。
こうなってしまうと、彼の鉄壁のガードはもう崩せない。
でも、これ以上相手の陣地に踏み込めば、互いに保っていた距離が修復不可能になる事を、樹莉は心得ている。

何事も、ほどほど、が大切なのだ。

樹莉はランドセルを肩に掛けた。

「じゃ、また明日。バイバイ。」

そう云って、教室のドアの辺りまで一気に歩いていく。

そのとき、




「・・・ジュリ」






静寂。





カリカリと、エンピツを走らせる音だけが耳に届く。
樹莉は前を向いたまま、振り返る事が出来ずぽかんと固まる。

カリカリ。

長く伸びる樹莉の影。






「・・・って、カッコイイ名前だなぁ。」


カリカリカリ。
日誌を書きながら、博和が云った。


ああ。
ぼうと、樹莉の頬が、朱く染まる。
オレンジ色の校舎。

「…そう?」
「親父さんがつけたの?」
「…うん、多分。」
「親父さん、センスいいなー。」

カリカリカリカリ。

それはエンピツの振動。それとも、樹莉の鼓動。

「そうかなぁ、」

樹莉は振り向かずに、笑う。


仕返し。


博和の陣地に踏み込んだ樹莉は、今度は博和にペースを乱された。
そしてそれと同時に、二人の距離が三歩縮まって、そのまたすぐ後に、三歩離れたような。
結局、何事もなく元の位置に戻ったような。



「でーきた。」

エンピツの音が止んだ。
樹莉は、顔を上げて、振り返った。

「書けたの?」
「おう。」
「読ませて、」
「え、やだよ。」

博和はぎょっとして日誌を抱えた。

「ケチ。」
「…ケチって、」

なんだよそれ。

「いいよ、次に私が日直の番になったときに、こっそり読むから。」
「加藤に日直回って来るの、まだ先じゃん。どーせ、そん時には忘れてるだろ。」

忘れないよ、絶対。今日のこと。
心の中で呟く。

樹莉は笑って、くるりと躍るように回ると、教室を出ていった。
ぱたぱたと走る音が次第に遠ざかっていく。

「…変な奴ぅ。」

肩を竦めて呟いた博和の声もまた、夕暮れの色に染まる教室に溶けて消えた。



廊下を走る樹莉の影が、嬉しそうに、二、三歩跳ねた。




******************************************************


…とても小学生同士の会話とは思えない、水面下の駆け引き(笑)
初の博和・樹莉話です。
啓人と留姫が真昼の雨上がりの青空のような関係ならば、博和と樹莉は夕暮れ時のオレンジ空のような関係かなぁ、と思って書いてみました。(解り難い例え)
本編での樹莉→博和の呼び名って苗字と名前どっちでしたっけ?(汗)タカトに対しては、「松田君」から「タカト君」になってたような記憶があるので(うろ覚えですが…)、博和に対しても自然にそうなったんじゃないかな、と思って。記憶があやふやで間違ってたら済みません…
タイムテーブルを当てると 『I'll remember』の後、『虹をみること』と同時進行(4ページ目辺たり)だと思います。
タイトルは遊佐未森さんの『6 Episodes』の『坂道に弾む音』をもじって拝借しました。

  • 2004/10/16 (土)
  • 短編

タグ:[博和x樹莉]

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