作品
I'll remember 3
3.
いつの間にか陽は落ちて、街灯がぽつぽつと灯り始めていた。
「あ、もう陽が暮れちゃったね。」
風が少し肌寒い。
「じゃ、アタシ、そろそろ帰るね。」
「うん。…ルキ、本当にタカト君ち行かなくて良いの?」
ルキはすっかり当初の目的を忘れていた。思い出したように樹莉の口から啓人の名前が出て、穏やかだった表情が一気に紅潮する。
「い、いいの。うちのママって我侭なんだもん。パンなんてコンビニで買えばいいのに。」
「え、でも、やっぱりパン屋さんのパンはコンビニとかのとは違うよ。松田ベーカリーのパン、美味しいよ。」
樹莉の言葉に、ちくりと留姫の胸が痛む。
「…ジュリは、いつもよく買いに行くの?」
無意識に口に出たその質問に留姫は自分で驚いた。
樹莉も少し吃驚したようだった。
恥かしい。留姫は今日の自分がよく解らない。
「うん、週に2,3度は買いに行くかも。アタシ、常連なんだ。」
樹莉は複雑そうな顔のまま微笑む。
途端、留姫は云いようのない息苦しさを感じた。
「…そう。」
「…ねぇ、ルキ、」
「じゃ。アタシ、帰るね。」
「…ルキ、待って、」
思い詰めたような表情で樹莉は留姫を呼び止める。
「…。」
「…ルキ。ルキは、」
「何?」
「ルキは、タカト君のこと…、好きなんでしょ?」
留姫は言葉を失った。
ストレートな樹莉の言葉に、固まる事しか出来なかった。
云われた相手が樹莉だったからなのか。
「…な、何云って、」
そんなとこ考えた事も無かった。
自分が誰かを好きだなんてそんな事。
しかも、まさか啓人のことを。
だって、だって啓人は。
啓人は樹莉の事が好きで。
啓人は樹莉の事が。
樹莉は。
樹莉は啓人のことを
留姫の思考はそこで途切れる。
樹莉は、ハッと息を飲んだ。
端正な顔立ちの留姫の右目から、
ゆっくりと涙が溢れ出て、
薄桃色の頬に涙の筋を作った。
その涙はとても綺麗だ、と樹莉は思った。
自分は啓人のことが好きなのだろうか。
分からない。
樹莉に云われて初めて気付いた感情だった。
分からない。
ぐるぐるぐるぐる、今度は思考が急回転する。
好きか、なんて。
わかんないよ、そんなこと。
だけど、
だけど樹莉は啓人のことを好きなのではなかったのか?
だとしたら。
こんな気持ち気付きたくない。
先刻までのように、樹莉と楽しく笑い合いたいのだ。
啓人とだって、これからも、今までのようにテイマー同士として接したい。
こんな余計な感情は、邪魔だ。
だから。
だから私は。
「…ルキ、アタシは。アタシはね。」
樹莉は必死で、何か言葉を探しているようだった。
「タカト君ちのパン屋さんの…、雰囲気が、いいなぁって、思うの。」
留姫は顔をあげた。樹莉は今にも泣きそうだった。
「だって、タカト君の家族って、すごく、幸せそうじゃない?おじさん優しいし、おばさんといつも仲良いし、タカト君を見てると、お父さんとお母さんの愛情をいっぱい受けて育ったんだろうなぁって、思えちゃって。」
留姫は咄嗟に感じた。そうだ、自分も啓人を見てそう思った事がある。
「松田ベーカリーのパンが美味しいって云うのもあるけど、アタシ、あのお店の雰囲気が好きで通ってたりするの。」
樹莉は歪んだ表情のまま笑う。
「タカト君が…タカト君が、アタシの事、好きなんじゃないかなって、思った事ある。」
留姫は胸がずきりと痛んだ。
「…でも、気づかない振り、してたりする。…あ、アタシ、すごく嫌な子なんだけど、大人が思ってるような…聞き分けのいい子なんかじゃないし、タカト君が思ってるような、良い子なんかじゃ、全然、ないんだけど、」
樹莉はとても辛そうだった。
何故それをあえて話してくれてるのか、留姫は薄々、気が付き始めた。
「でも、タカト君が、アタシのこと好きでいてくれると、アタシ、こんなアタシでも、許してもらえる気がして、」
留姫は樹莉が泣くのではないかと思った。けれど、樹莉は泣かなかった。
「こんなアタシでも、いいんだよって…、タカト君が真っ赤な顔して笑いかけてくれると、アタシ、なんだか、救われたような気分になるの。」
留姫は啓人の顔を思い浮かべる。
困ったような、申し訳なさそうな、はにかんだ啓人の笑顔を思い浮かべる。
樹莉の気持ちが、自分にはよく分かる。
――だから、自分は、タカトのことが好きなのかもしれない――
- 2003/09/14 (日)
- 『I'll remember』
タグ:[ルキxタカト]