作品
ビキシバイト 3
2008年7月12日 高校2年生
2.
朝の曇り空は午後になるとじとじとと小降り始め、放課後には激しい雨になった。
「あぁ…降ってきた」
一日中どんよりしていた大輔は、昇降口で独り、ぼんやりと呟いてみる。
登校時に雨が降っていないと、基本的に大輔は傘を持ち歩かない。母親が折りたたみ傘を持って行けと口を酸っぱくして云っても、たいてい、携帯していない。
梅雨の季節、生徒たちは当たり前のように傘を開いて大輔の横を次々と通り過ぎていく。
はぁ、と一つため息をついてから、大輔はよし、と気合を入れなおした。
(こーなったら今日は久々に電車使わずに、トレーニング兼ねて家までひとっ走りしてやる!)
雨の中を走れば逆にスッキリするような気がした。
サッカーの雨天試合を想定すれば、雨に慣れておくのも悪くないだろう。
大輔は通学鞄を兼ねているショルダーバックを肩から下ろし、ストレッチを始めた。
その時、ふっと頭に淡いピンクの影が被さってきた。
「え?」
おもわず顔を上げると、大輔の頭上に傘が掲げられていた。
「あっ」
その傘には見覚えがある。振り向くと、傘を差し出しているヒカリの姿があった。
「ヒ…ヒカリちゃ、」
「駅までなら、入れてあげる」
ぶっきらぼうに話すヒカリの、夏服の白いブラウスがまぶしい。一瞬、あの日の肩のラインと柔らかい肌の色が脳裏を掠めて、大輔は慌てた。
「い、いいよ!ヒカリちゃんが濡れちゃうしッ…オレ、走って帰れるから!」
むっとして睨みつけてくるヒカリの形相に、大輔はうっと詰まる。
「…入れて下さい」
「大輔君が持ってね。背、高いんだから」
「…はい、持たせていただきます」
ヒカリから傘を受け取ると、大輔はヒカリの方に傘を掲げた。
周りを通り過ぎていく男子生徒から、ひゅうひゅうとはやし立てられながら、二人は相合傘で校門を通り抜けた。
(…何でヒカリちゃん、傘貸してくれたんだろう?一週間、口きいてくれなかったのに…)
大輔は黙ったままのヒカリをチラチラと横目で見ながら歩く。
学校から駅に向かおうとした大輔は、ヒカリに「こっち」と指差され、駅の横の道に進路を変えていた。
電車に乗らないのか、と聞くと、歩いて帰るという。
帰れない距離ではないが、この雨の中を歩くには、少々大変ではあるのだが。
二人で傘に入るとどうしても外側の肩が濡れる。気を遣って殆どヒカリの方に傘を向けているので、大輔の左肩は、雨に濡れてぐっしょりしている。
それでもパーソナルスペース内にいる二人の肩は時々軽くぶつかって、それだけでヒカリを身近に感じて大輔はどきどきした。
しかしヒカリはまだ機嫌を直しているわけではないらしい。ぶすっとした表情は、それでも少し紅潮している。
怒っているなら、何故大輔に傘を差し出してくれたのだろうか。
住宅地の脇の道路は、あまり人が通らない静かな道だ。帰宅する生徒も殆どいない場所に来たので、大輔は思い切ってヒカリに話しかけた。
「…あの、ヒカリちゃん」
「大輔君、何か云うことあるでしょう」
「わ、悪かった!申し訳ない。俺の不注意でしたっ!」
「…あの時、私のハダカ、見た?」
「あっ、え、み、見てないよ!ほら、一瞬だったし、そんなに覚えてないし――」
動揺して勢い任せであわあわしていると、立ち止まったヒカリにものすごい形相で睨まれた。
「何よ、まるでヘンなもの見たみたいに…そこまで強く否定しなくたって、いいじゃない…失礼しちゃう」
「は、はい?」
睨みつけてくるヒカリの顔が、妙に色っぽいのは、何故だ。
「ヒカリちゃん…?」
ざあざあ傘を打ち付けてくる雨の音さえ、何だか頭の遠くの方に聞こえる…
「ヒカリちゃん、怒ってないの?」
云われて、耳朶まで赤くなるヒカリ。そんな目で見ないでほしいと思う。大輔は必死で理性を保とうとする。
「怒ってるんじゃないよ…」
ヒカリが目をそらす。大輔は傘を持つ右手をぎゅっと握りしめる。
反対側のヒカリの肩も、ずいぶん濡れていた。
でもそれは悪くない。むしろ…
「じゃあなんで、その、…一週間、口きいてくれなかったんだよ」
「怒ってるんじゃなくて、イヤだったから」
「い、厭、ですか…」
ずぶとい神経の大輔も、流石にその言葉には、傷ついた。
「そうじゃ、なくて」
ヒカリの声は弱々しく消え入りそうだった。
「大輔君に見られたことが、嫌じゃないって思った自分が、恥ずかしくて嫌だった…」
頭の回転が鈍い大輔が、その言葉の意味を理解するまで、数秒。
大輔は、目の前が光で真っ白になった。
ひゃっ、と小さく叫んだヒカリの声。
大輔は傘を放り投げて、濡れたヒカリの肩を抱き寄せていた。
我ながら、大胆な行動だったと、後になって大輔は思う。
驚いたヒカリは、密着した大輔の、ずぶ濡れになっている左肩に頬が当ってビクリを身体を震わせた。
「だ、いすけ、くん・・」
こんな風に体がふれあうのは初めてだ。大輔は、ヒカリの小さな肩を、ぎゅうと強く抱き締めた。
「おれ、そんな風に恥ずかしいこと考えちゃうヒカリちゃんも、すげー好き」
「なにそれ、ばか…」
子供みたいに無邪気に抱き締めてくる大輔に、ヒカリはそっと、彼の背中に自分の腕をまわした。
- 2009/08/07 (金)
- 大ヒカパラレル