羽ばたけ、この留学を糧として
教育研究科長 吉岡博英

 この春、第21期の外国人教員研修留学生9名がプログラムを修了されました。韓国、フィリピンから各2名、中国、タイ、シンガポール、エル・サルヴァドル、ペルーからそれぞれ1名の計9名の方でした。今ごろは、それぞれの国に帰られて、ご活躍されていることでしょう。  
 私もかつて、異国の地に学んだ時期がありました。アメリカの東海岸の小さな大学町にあるエール大学附属の研究所でした。今回修了された方々と同様、私も大学を卒業して教職に就いており、その職を一時休職しての留学でした。
 当時は、わが国では潤沢な研究費に恵まれず、いわば「安い給料で働いてくれるアジアの留学生」という扱いでの受け入れという時代でした。結果として3年半という期間でしたが、留学の経験で多くのことを学んできたように感じられます。
 70年代後半の当時、日本においては、まだ、学問とは貴族の高尚な知的活動というイメージが色濃く残っており、私自身もそのように感じ取って出発したつもりでした。しかし、アメリカの研究者や大学院生たちと接すると、自らをResearch Worker と言ってはばからないように、研究活動を労働のひとつと考える意識に驚いた記憶があります。今でこそ、わが国でもHighly Competitiveという用語が研究領域でも頻繁に使われるようになりましたが、本来、学問とは、それ自体で完結した絶対的価値を持つ知的財産という意識が当時の日本、少なくとも大学人の間では暗黙の了解事項であったように思われます。
 それから、25年ほど経った今、日本においても、大学という組織が根本から見直しを迫られていることはご存知の通りと思います。このような時期に、将来、大学がどうあるべきか、あるいは研究科がどのような方向へ進むべきかを考える時、私は、留学当時に受けたCulture Shockが、今になって大いに役立っています。
 異文化に接することは、自らの文化の価値を再認識するためにも、とても大事なことです。また、人の価値観というものがどれだけ多様で、かつ人の行動と判断は、いかに相対的なものであるかを身をもって体験したのも留学の時でした。そして、それらを踏まえた上で、初めて人種や国境を超えて普遍的なものが存在し、また、それを指向しなければならないということが、実感として沸いてくるものです。
 ご帰国された皆さん方は、是非、この留学で学び、体験したことを糧として、今後のご自身の教員としての人生、あるいは研究生活での指針にお役立て下さい。たとえ、それが日本や筑波大学あるいは教育研究科にとって耳の痛い批判的な視点であっても大歓迎です。願わくば、そのような意見を私たちにもお伝え下さい。
 私は、教育研究科恒例のソフトボール大会では、ずうっと、少なくとも研究科長の任期の間は、「留学生チーム」の一員であり続けようと決めています。ひょっとすると、私にとっての教育研究科は、第2の留学であるかも知れないので。

筑波大学教育研究科には、国費派遣の現職の先生を対象とした「外国人現職教員留学生研修プログラム」を設けてあります。中国、韓国、フィリピン、タイといったアジアの地域ばかりでなく、最近では、ブラジル、チリなど南米からの諸君も多く、文字通り、国際的な色彩が強くなって来ました。これは、その第21期の修了に際して作られた報告書の「はじめに」の欄に掲載された原稿です。{平成14(2002)年3月}