二足の草鞋を履いて
   教育研究科長 吉岡博英

 この春に修了予定の皆さん、おめでとうございます。現職教員の立場にありながら、若い院生諸君とともに、精一杯努力をし、修士論文を書き終えた今、ある種の充足感に浸っていることでしょう。
 教育研究科における本会の存在については、正直なところ、研究科長に就任するまでは会の名称程度の知識しか持ち合わせていませんでした。しかし、数年来の懸案事項であった「現職教員1年制プログラム」が、実はこの間の「二足の草鞋の会」を中心とした現職教員の院生諸君の実績をもとに、桑原敏明前副学長をはじめとする先導的な教官の並々ならぬご努力の上で、平成16年度より正式に発足するという事実が分かりました。取り敢えず、障害児教育専攻2名、教科教育専攻5名での募集となりますが、将来的には、より一層の拡大が期待されています。
 ところで、二足の草鞋とありますが、国語の辞書を紐解いてみますと「同一人が相反した二種の職業を兼ねているたとえ」とあり、その例として、「ばくち打ちが目明しを兼ねること」とありました。どうも、本来の語義からは、二種の職業が相反するという条件がポイントのようです。「泥棒」と「警察官」、「放火魔」と「消防団員」といった具合に。
 桑原先生に、一度、きちんとお尋ねしないといけないと思いますが、「先生(現職教員)」と「院生(教育研究科)」とは、相反する職業でしょうか。確かにちょっと見には、先生と院生とでは、相対峙する立場に一時置かれるように思われますが、この大学院で学んだ事柄を、現場に戻って広く学生諸君に還元することは、実は、「教えること」と「学ぶこと」とは、本来、同じ目標に立ったものであるという普遍的な真実に、いずれ皆さんも気づくことと思います。その意味で、この「二足の草鞋の会」での「二足の草鞋」の解釈として、新たに、「一見、相反する二種の職業を兼ねているようでも、その実、ひとりの人格者として二種の仕事の調和が取れている状態を指す」ことを国語辞典に追加しましょう。
 実のところ、わたし自身、いくつもの一見相反する二足の草鞋を抱えすぎていることを自覚しています。元々医者といっても「内科医(音声言語医学)」と「外科医(耳鼻咽喉科・頭頚部外科)」を両方こなします。経歴からも「大学病院での実地医家」を10年ほどやりましたし、また筑波大赴任前から数えて「大学院での論文指導の教師」も15年以上になります。最近は「研究科長という中間管理職」に忙殺されていますが、「研究室での音声学の実験屋」としてのアイデンティティは、筑波に来ても絶対に放さず、捨てない気概で今日まで来ました。少しでもこれら一見相反する立場を、できれば新しい意味での調和の取れた草鞋を履いた人間になりたい、と願っています。

*北原保雄学長(当時)の最新の「明鏡国語辞典」では、”銀行員と作家”という用例が示されていました。私の使用法も徐々に流布されてきているようです。

**筑波大学教育研究科では、毎年、平均して15人から20人程度の現職教員が都道府県教育委員会の派遣等で入学して来ます。多くは、高等学校に在職する中堅の先生方で、入学式当日には、3月に卒業させたばかりの学部新入生とばったり出会って「なんで、先生も入学式なの?」という劇的な師弟の微笑ましい出会いが見られることもあります。これは、彼ら、現職教員の院生の集まりである「二足の草鞋の会」での文集に序言を依頼された時の原稿です。{平成15(2003)年2月}

***写真は、平成15年度末修了予定の諸君と、英語教育コース代表・大熊教授、数学教育コース代表・宮本教授とともに{平成16(2004)年2月26日}

なお、平成16年3月を以って、私は、研究科長を任期満了退任いたしました。

英語教育コース代表の大熊先生は、平成18年3月末付で転出されました。先生が浦和高校の大先輩であることを知ったのは、つい最近で、もちろん私の退任後でした。

また、いつか大熊先生と、一献を傾けて、当時の御礼を改めて申し上げたいものです。