金沢西別院
[解説]
本願寺金沢別院
a.天文15年(1546)に本願寺証如によって建立。
「金沢御堂」が前身。別名「金沢坊」、「御山」と呼ばれ、加賀一向宗の拠点であった。
その後、柴田勝家によって攻略され、佐久間盛政の居城となる。前田利家の金沢城入城後、本堂を再建。
b.嘉永2年(1849)に、焼失した本堂が再建された。
[補足]
a.天文15年(1546)
ポルトガル人が種子島に漂着して、鉄砲を伝えたのが1543年。その3年後となる。
b.嘉永2年(1849)
これより4年後の1853年、ペリー艦隊が来航。