○2度の危機
1度目は、某デパートの火災事故。100人を越える犠牲者が出る大惨事となった。同じ系列会社として、その賠償をするため、土地の一部をを売却。そこに、今のドリームハイツが建つ。その結果、規模の縮小を余儀なくされ、みんながよく知るドリームランドになった。
2度目は、本家ディズニーランドのオープン、と思うかもしれないが…。全く影響がなかったかと言えば嘘になるが、少なくとも、横浜から千葉までは以外と遠い。むしろ、ディズニーランドが出来たことで、日本の遊園地にもスポットが当たる。更に、俗に言う“バブル景気”の到来。近くて安く遊べる遊園地として、ドリームランドにも少し活気が出てくる。所が、その後…。多摩ピューロランド、八景島シーパラダイス、みなとみらい、等々。それほど遠くない所に、新しいテーマパークが次々と誕生する。むしろ、こっちの方が打撃を受けたと思う。
そんなおり、ダイエーが買い取り、とりあえず一件落着。その際、いわゆる企業再編ということになるのだろう。まず、音楽隊が廃止。僕は、園内の係員になった。それでも半年はいたかな?その後退社。そのため、それ以降の詳細はわからないが、イメージガールも10代目を機に終了したようだ。残ったのは、マスコットのドリちゃんとランちゃんだけとなった。
○ワンダーホイール。
揺れるゴンドラがある観覧車。オープン当初からある、ドリームランドのシンボル的存在だった。その観覧車が解体されているらしい。今ごろはなくなっているかも。遊園地はなくなっても、このワンダーホイールだけは残して欲しいと思っていたけど。やはり、それもムリだったようで。そういえば、老朽化が激しく、たびたび止まっていたもんなあ。しかも、大きいのでかえって危ないかもしれないけど…。でも、やっぱり寂しいね。
○音楽隊
園内の係員をしていたとき、聞いたことがある。音楽隊は、従業員にとっても楽しみだったと言う。どうやら音楽隊は、単にお客を楽しませるためのアトラクションとしてだけでなく、従業員にとっても、一服の清涼剤的な役目を果たしていたようだ。もしかしたら、お客さんの中には音楽隊を楽しみに来ていた人もいたかもしれない。音楽隊は、数字には現れないけど、大事な役割をしていたのだと、今更ながら思う。
最後に復活したらしいが、予算の関係か、小規模で寂しいものだったらしい。それでも復活させたのは、それだけみんなに愛された証拠であり、最後のこだわり、願いだったのかもしれない。
○宮廷庭園
閉園からほぼ1年半。HPに、いろんな写真がUPされている。開園当初は噴水と芝生だけで、凄く広い。こんなに広かったっけ?でも規模は変わってないみたいだけど?どうやら僕が入社した時には、既に遊戯施設がいくつか入っていたため、それほど広く感じなかったみたい。晩年の写真を見てびっくり。施設がぎっしり詰め込まれていて、その面影は全くない。とにかく、詰めるだけ詰め込んで、なんとか賑わいを取り戻そうとしたのかもしれない。しかし、それも焼け石に水だったようである。
もし…はないと言うが。もしそこに施設ではなく、逆に、ピクニック気分でくつろげる憩いの場として残していたとしたら…。もはや、知る由もない。
○エピローグ
昭和39年と言えば、東京オリンピックが開催され、新幹線が開通した年。そんな年に、横浜ドリームランドはオープンしている。更に遡ること3年前。昭和36年には奈良ドリームランドがオープン。時代はまさに高度成長期。とはいえ、そんな時代によくあれだけの遊園地を作ったものである。もしかしたらこの頃は、夢に投資していた時代だったのかもしれない。そして、夢を失った楽園は、37年の歴史にピリオドを打った。
ドリームランドだけではない。その1カ月後、向ヶ丘遊園地が閉鎖。他にも、宝塚ファミリーランド、御殿場ファミリーランド、行川アイランド、等々。歴史のある遊園地が、次々と姿を消していく。奈良ドリームランドはまだ健在のようだが、このままではここも時間の問題かもしれない。
この後この地は、緑が多いこともあり、公園として残るらしい。出来ることなら、これからはみんなの憩いの場として、みんなに愛される公園として残っていくことを願う。遊園地としてのドリームランドは終わるが、心のドリームランドとして。
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