前 兆

1993年 3月〜
何気なく鎖骨の上の辺りを触った時、小指の頭くらいの大きさのしこりがあるのに気づいた。硬くもなく、柔らかくもなく・・・(なんだろ、こんなの前からあったっけ?)そう思ったのが多分最初に感じた前兆だったと思う。

この年、夫の転勤でF町からN市へ引っ越す事になった。初めての引越し体験。引越しの準備、それから引っ越しても荷物が片付くまではしこりの事なんてすっかり忘れていた。

6月に入った頃からだろうか、以前に比べちょっとした事で疲れやすくなった。結婚して3年、幸せ太りかストレスが溜まっていたのかただの運動不足か(全部当てはまる・・・)10kg体重が増えていたので、疲れやすいのもきっと太ったせい・・・と思って全然気にしていなかった。

10月頃、今まで1つだけだと思っていたしこりが3個に増えていて、それも1つは2cm近くはある大きさだった。さすがに心配になり、近くの総合病院の内科を受診した。
採血とレントゲンを撮った。「特に異常は認められないので紹介状を書きますから整形外科へ行ってみて下さい。」と言われ、言われるままに整形外科を受診した。
「このくらいのしこりがある人って結構いるんだよね。いちいち切って調べてたら世の中鎖骨の上のところ傷のある人ばっかりになっちゃうよ。」と先生。
素直な(単純なだけ)私は(そうなんだ。そうだよね。何でもないよね。)と安心してしまった。「しばらく様子をみて、それでもなくならないとか大きくなってきたら又来てください。」との事。夫に「大学病院とか大きい病院でもっとしっかり診てもらったほうがいいんじゃないの?」と言われたけれど健康だけが取柄だった私。「大丈夫、大丈夫、まさか私がそんな大きな病気する訳ないじゃん。」の一言でしこりの事は一件落着にしてしまった。
それでもしばらくしてもしこりがあったので、再び整形外科を受診した。その時細胞診(しこりに針を刺し、細胞を採取して良性か悪性か調べる検査)をした。あまり痛くはなかったが、結構時間がかかり、その内嫌〜な気分になって気の小さい私は貧血を起こしてしまった。
結果はやはり異常なし。「採った細胞がたまたま良性だっただけで、もしかしたら違う部分を採っていたら悪性と出たかもしれない。だから完全に大丈夫とは言えないから、もししこりが大きくなってきたらまた来てください。多分心配する事はないと思いますが。」と言われた。
またもや私は「大丈夫、大丈夫。」と、先生の「心配する事はないと思う。」と言う言葉に賭けた。
1994年 5月〜
疲れやすい体調に身体が慣れてきたのか、自分なりに元気になってきたような気がしてパート勤めを始めた。でも、仕事のあまりの忙しさと人間関係のストレスも加わり、またまた身体のあちこちに不調が出始めた。結局1年も勤めないままに辞める事になってしまった。
1995年
元々便通は良い方ではなかったけれど、それにも増して便秘が酷くなった。30分以上トイレに入っている事も多くなりそういう時は決まってボタボタと脂汗をかき、貧血状態で這うようにしてトイレから出てきた。身体がだるいのも酷い便秘もきっと運動不足のせいと、勝手に思い込みダンベル体操やNHKの体操をやったり、買い物もなるべく遠くまで歩いていける所へ行ったりした。
時々気管支がゼーゼーして咳が出るようになった。特にダンベル体操で息を吸う時が苦しかった。「気管支炎でも起こしたかな?」と思い、以前かかった内科を訪れた。
「風邪のひき始めかな?」と言われ、以前のカルテを見て「しこりが首の辺りにあったんだね。」と触診し、「まだあるね〜」と言いながら何故か笑われてしまった。未だにあるしこりがおかしかったのかそれとも私の顔がおかしかったのか??この時も様子をみましょうということになり、採血もレントゲンも撮らなかった。

今思えば、この時別の病院で診て貰っていれば・・・と少し後悔がある。こんなにいろんな黄色信号が出ていたのに「そのうち治るだろう。」なんて簡単に考えていた。自分の身体は芯から丈夫だと思っていた事が大きな落とし穴になってしまった。
1996年 1月〜5月
気が付いたら体重が3年前より5kg以上減っていた。後で解ったことだが、これも悪性リンパ腫の兆候。高校時代の友達Kの結婚式へ行った時皆に「昔とあまり変わらないね。」と言われ喜んでいた。きっと日々の努力(ダンベル体操など)の賜物だ♪って。

そのうちびっしょり寝汗をかくようになった。
家の中の掃除をしただけで、全速力で走った後のように息切れがして苦しかった。
咳も、1たん出始めると咳き込んでしまってなかなか治まらなかった。 
さすがの私もそろそろ(そうとうな鈍感)体の事が心配になってきた。
病院へ行っても原因がちっとも見つからないのでこの際と思い、人間ドックを受診する事にした。
予定は9月。



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