そ の 後

1997年  1月
1日

(水)
養生の為、実家へ帰ることもなく、初めて二人だけのお正月を迎えた。せっかくのおせち料理も味覚がおかしい為あまり味わえなかった。まだ、咳が出たり喉が痛い。
4日

(土)
妹が1泊で遊びに来た。デパートへ出かけたついでにナイトキャップを買った。抗がん剤治療で脱毛した時に被る為に。なかなか売っている所がなく、あちこち探して歩いた。
6日

(月)
朝から吐きっぽかったりだるかったりと気分が優れず、布団に入ったり出たりの1日だった。食事があまり摂れず体重も減ってしまった。それでも1時間以上かけてなるべく食べるように努力した。夜、37度の熱が出た。
7日

(火)
今朝は昨日よりも吐き気が酷く病院へTEL.。吐き気止めの座薬を使うように言われ、その様にしてみたら楽になった。
10日

(金)
退院して初めての外来。採血をしたが、結果は良好。ガリウムシンチの結果も良かった。
今現在の身体の状態が、吐き気がしたり頭痛がしたり、倦怠感、食欲不振があるとN先生に話したら、「化学療法をするのはもうしばらく先の方が良いな。」と言われた。
13日

(土)
この頃食欲が出てきて量を食べられるようになってきた為、身体が軽くなりよく動けるようになってきた。
21日

(火)
体調が良いので無理しない程度にNHK体操、ダンベル体操をやった。
22日

(水)
義姉から私の身体を心配してTELがあった。
夜、肋間神経痛。しばらく痛かった。
23日

(木)
少し喉が痛い。最近夜になると37度近い熱が出る。食欲はあるのだが・・・・。
24日

(金)
定期検診
まだ副作用がある為当分入院は無理らしい。喜んで良いのか悪いのか?
26日

(日)
首や背中が腫れて痛い、それにだるい。午後、2時間位寝た。
夜、熱36.9
27日

(月)
夫の転勤が決まった。
2月
5日

(水)
この所味覚も戻りつつあり食欲もあったのだが、又口がまずく食欲がない。その為、また体重が減ってきた。
果物がすごく食べたい。
6日

(木)
体調がいまいち。
ホジキン病になり始めた頃のような息苦しい感じ(ゼーゼーするような)がする。
7日

(金)
定期検診
レントゲン、採血
放射線肺炎を起こしているとの事。肝機能も低下しているらしい。最近胸が苦しかったのはそのせいと言われた。
この間からアパート探しをしていたのだが、気に入った物件が見つかったので診察後見に行った。駅にも近かったし、日当たりも良かったのでそこに決めた。
10日

(月)
今日、結婚6周年記念なのに二人共夕食を食べ終わるまで気がつかなかった。この時期は毎年温泉などに泊まりに行っていたのに。
少し喉が痛く、左足が痺れる。
14日

(金)
MRIの予約がしてあった為病院へ。肺機能検査もした。
17日

(月)
引越しの荷作りを始めた。
友達のIから手紙が届いた。仕事と家庭の両立の難しさについて書いてあった。私も納得。
20日

(木)
退院して初めて歩いて買い物に行った。息苦しい事はなかったが、腰の辺りから足の裏まで痺れが出てとても歩きづらかった。普通なら片道15分位しかかからないのが、この日は痺れが辛くて30分近くかかってしまった。
あんまり痺れが酷かったので少し心配になり病院へTELした。N先生「明日、整形外科に予約しておくから病院へ来るように。」との事。
21日

(金)
病院へ行くはずだったが雪が凄い為今日は諦めた。病院へTELしたら「我慢できるようなら28日でも良いよ。」と言われた。
25日

(火)
この頃足だけではなく右手も時々痺れる。最近では痺れも慣れっこになってしまった。
28日

(金)
整形外科へ行ったが異常はないようだ。その後、放射線科へ。N先生「痺れは多分放射線の副作用だと思う。」と言われた。病院から戻ったら室内に置いてあるクンシランの花が咲き始めていて「ほっ。」とさせられた。
3月
14日

(金)
定期検診
次回は4/22、1ヶ月に1度行けばよくなった。
19日

(水)
身体のあちこちに吹き出物が出来て痒い。頭、顔、陰部など、以前にもらってあった薬をつけているがあまり変わらない。
23日

(日)
身体がだるかったり頭痛がして朝、なかなか布団から出られなかった。微熱もある。
顔の特に右側が少し腫れてきた。
26日

(水)
相変わらず頭痛と倦怠感がある。顔の腫れている所が痛む。
はっきりしない天気のせいか、花粉症が酷く、くしゃみの連発。
28日

(金)
朝、新聞を見てびっくり。K病院で一緒だったIさんが亡くなったとの事。この間まで手紙のやり取りをしてたのに・・・・、ショックだった。弔電を打った。
夫は泊まりで送別会。Iさんのこともあり寂しくて実家の母へTELした。2時間以上も話し込んでしまった。夜になって父から私の事が心配だったのかTELがあった。
4月
2日

(水)
松本のアパートへ引越し。私の身体を心配して父、母、妹が手伝いに来てくれた。
13日

(日)
朝方夢を見た。大学病院で同部屋だったMさんとYさんのお見舞いに行く夢。入院している部屋へ入ろうとしたらMさんが出てきて「今日、退院するんだよ。」と言った。私は「おめでとうございます。ところでYさんはどんな具合なんですか?」と聞くと「それがあまり芳しくないようなんだよ。」と言っていた。結局私はYさんには会わずに帰った来てしまうという夢。
朝、新聞を見たらYさんが死亡欄に載っていた。後で知ったのだが、MさんはYさんより前に亡くなっていたようだ。Mさんが亡くなる少し前に(もしかしたら亡くなってからだったかもしれないが)病院宛で手紙を送っていた。手紙の中にYさんによろしくって書いたから、とっても律儀だったMさんはわざわざ私に夢で知らせてくれたのかなと思った。こういう事もあるんだな・・・。
19日

(土)
最近、少し咳が出る。
22日

(火)
定期検診  採血
咳が出るので心配だったが、胸の音も綺麗だし多分大丈夫だろうとの事。
病院から帰るとドッと疲れが出た。p.m1:30頃帰宅したがp.m4:30まで横になっていた。
23日

(水)
昼間は掃除したり洗濯したりアイロンがけをしたりと元気に家事をこなしていたのだが夕食作りを始めた頃から気分が悪くなり、悪寒がしてきた。熱を測ったら38度もあったので病院へTELした。「今夜様子をみて熱が下がらないようなら明日外来へ来るように。」と言われた。
24日

(木)
今朝は37.7度と昨日より下がったが食欲がなく吐き気がして身体がだるい。その為病院へ行った。しかし、原因が判らず、とりあえず自宅へ戻ったら寝ているように言われた。
25日

(金)
薬のせいか今までの疲れが一気に出たのか、食事をする以外はほとんどぐっすり寝ていた。熱も随分下がり少しずつ食事も喉を通るようになってきた。吐き気は治まってきたが時々胃痛がする。明日、実家へ帰る予定にしていたが止めにした。TELしたら随分心配しているようだった。「無理しないでマイペースで過ごす様に。」と言われた。ほ〜んと、親には心配のかけ通しだ。
5月
20日

(火)
定期検診  レントゲン・・・異常なし
副作用があって化学療法が延び延びになっていたが、これだけ間が空いてしまうとやる価値がないので、再発するまではやらない事になった。入院中あんなに夫と放射線治療後の化学療法について話し合ったのにあれはいったい何だったんだ?って感じ・・・。でも、結果的にはこれで良かったのかの知れないと思った。
最近腰が痛くて痺れも相変わらずあると話したら明日、第3内科で診て貰うように言われた。
21日

(水)
第3内科で診てもらった。異常はないらしい。「なるべく重たい物は持たない事、それから今より痺れがひどくなるようなら又来てください。この痺れ、場合によっては一生治らない事もある。」と言われ、ショックだった。

病気をしてからと言うものめっきり冷え症が酷くなってしまった。
6月
3日

(火)
右下腹部が痛むので放射線科の外来へTELした。丁度N先生がいて電話に出てくれた。「明日、病院へ来るように。」との事。
4日

(水)
採血をしてもらったが異常はないらしい。11日にエコーをする事になった。
久し振りにJさんに会った。再発したみたい・・・との事。会計の待合室で2時間も話し込んでしまった。
8日

(日)
夕方から身体がだるくてだるくて仕方なかった。それに首のリンパ腺も時々痛む。
11日

(水)
腹部のエコーをしてもらいに病院へ行った。胃から下腹部までと、割りと広い範囲を診てもらった。
17日

(火)
今日は私の誕生日であると同時に悪性リンパ腫を発病した日でもある。去年の事が思い出され時々暗い気持ちになった。
定期検診
この間のエコーの結果は異常なし。今までにあまり感じた事のない痛さなんだけどな〜。
N先生から「婦人科で診てもらう〜?」と聞かれたけど「そのうち行ってみようと思います。」と言ったきりそのままになってしまった。(今思うにこの時から子宮筋腫が大きくなり始めてて、痛みはその前兆だったのかも)
7月
4日

(金)
病院へMRIの検査に行った。
放射線科の外来へ寄るとJさんがいた。やはり再発したと言われたとの事。そして完治する見込みはないとはっきり言われてしまったと涙を流していた。諦めないで何とか病気と闘って欲しいと思った。
8日

(火)
朝から雨、こういう日は体調が良くない。山ほど溜まっていたアイロンがけをボチボチやった。
今日からジャイアンツ戦は北海道。去年の今頃は病院のベットの上で観ていた事を思い出す。
10日

(木)
少し微熱がある。37度
p.m2:00〜3:00 爆睡してしまった。
11日

(金)
今日も微熱があり、1日中ソファーに横になっていた。夕食だけは何とか頑張って作った。と言っても簡単にビーフシチュー。
13日

(日)
相変わらず体調が思わしくない。夕食後貧血っぽくなり冷や汗が出たり鳥肌が立ったり吐き気がしたり、そのうちお腹の調子も悪くなり下痢。早めに寝た。
22日

(火)
定期検診
この間のMRIの結果では良好との事。
顔や手がむくむので聞いてみるとやはりそれは放射線治療の副作用、半年〜1年位は続くだろうと言われた。
次回外来へ行くのは2ヵ月後で良くなった。
9月
30日

(火)
定期検診  採血
放射線治療で乳腺にも照射した為、普通の人より乳癌になりやすいと言われた。体重も増えすぎるとなりやすいから注意との事。
10月
12日

(日)
相変わらず身体がだるい。
胸のリンパ腺が張って痛く、肋間神経痛、足のしびれがある。
21日

(火)
先週辺りから照射したところが痒くなり、背中はカサカサ、首には湿疹が出てきた。少し心配だったので放射線科の外来へTELした。以前にもらった薬を塗るように言われ、その様にしたら痒みはだいぶ治まった。
11月
5日

(水)
歯医者へ行った。右下の親知らずが歯茎の中で横に生えてきてしまっているらしい。「親知らずは抜いた方が良いな。」と言われ、歯科大学を紹介してもらった。
12日

(水)
歯科大へ行った。今日はレントゲンと治療の説明を聞いた。放射線科の主治医に抜歯をしても良いか聞いてくるように言われた。これから先いちいち主治医に許可や診断書などをもらいにいかなきゃならないんだろうか・・・・。それに初診の時その度に「悪性リンパ腫はいつ発病したんですか?どんな治療をしたんですか?今の状態は?・・・」など聞かれるのかと思うとちょっと憂鬱。そうでなくても転勤族でその度歯医者などは病院を変わるって言うのに・・・。
25日

(火)
定期検診  レントゲン・・・異常なし
照射した部分のあちこちのリンパ腺が痛いと訴えた。しかし、原因は不明、様子を観ることになった。
1998年  1月
9日

(木)
昨年退院してからずっと疲れやすさや倦怠感が抜けない。どしても昼間2時間近く寝てしまう。しかし、夜もぐっすり眠れる。
20日

(火)
定期検診   採血・・・異常なし
MRIの予約をした。
26日

(月)
あれもやりたい、これも・・・と思うけれど思うだけでちっともやる気が起きない。そのうちうとうとしてしまい2時間は寝てしまう・・・1日のパターンが出来てしまった。今日は身体が特に辛い。夕食作り、やっとの思いで作った。
30日

(木)
MRI
腕や手の甲などの血管になかなか針が入らず、足の血管にも針を刺されたけどそれも失敗され、結局今回は造影剤の点滴はやらなかった。こんな事で良いの〜??
3月
17日

(火)
定期検診
採血、MRI共に結果は異常なし。4/27に腹部、乳腺のエコーの予約をした。
23日

(月)
最近だいぶ体調が良いのでパートにでも出ようと思い、探し始めた。まだ多少倦怠感もあるが、外の空気を吸えば気も紛れて身体も元気になるかも・・・と思った。
4月
1日

(水)
おととい、自分の条件に合いそうな仕事を見つけたのでそこへ早速TELし、昨日は面接へ行って来た。そしてその結果がTELで知らされた。「採用」との事。11日から出社する事になった。
5日

(水)
仕事へ行き始めて5日目、仕事にも少しずつ慣れてきたが疲れも溜まってきた。朝から両手がむくみ、腕や肩が張ってきた。
27日

(月)
病院へ胸とお腹のエコーをしてもらいに行った。
5月
12日

(火)
外来
この間のエコーの結果・・・・異常なし
仕事を始めてからそれまで異常に身体がだるく、仕事から帰っても少し横にならないと辛い。重い身体にむち打って夕食作りをするが、食べ始めると食事をする事さえ辛く横にならずにはいられなくてそのまま1時間位寝てしまう。その繰り返し。
その事を話すと「採血して甲状腺ホルモンの値を調べてみよう。」と言われた。

この間、Jさんが再び再発し入院していると手紙が着ていたので診察後病室を訪ねた。明日退院との事。退院する前にこれて良かった。
23日

(土)
仕事場の皆にも「最近疲れた顔してるね。」と言われるようになってしまった。
最近、胃腸の調子が悪い。
26日

(火)
朝、放射線科へこの間の採血の結果を聞くためTELした。「白血球、貧血の方は異常なかったが甲状腺の方は値の足りない項目(TSH)があった。でも心配するほどではない。」との事。
6月
16日

(火)
腕と足に毛細血管が切れたような斑点が出来、心配だったので前日病院へTELし今日診てもらいに行った。結果、心配ないとの事。背中の照射した所が痒いと言ったら塗り薬をくれた。
17日

(水)
発病して2年目となると去年のような不安はないがあの日のことはやっぱり思い出してしまう。
23日

(火)
朝、何となく新聞を読んでいたらホジキン病で亡くなった17歳の少年の事が載っていた。帰宅してからもう1度読んでしまった。同じホジキンで・・・・と思うと、とても他人事に思えなかった。
26日

(金)
仕事の帰り本屋へ立ち寄った。「生まれてくれてありがとう」と言う悪性リンパ腫で亡くなった少年の事が書かれた本があったので買った。
この頃、ガン体験記の本をよく買った。
10月
16日

(金)
定期検診
3、4日前に、首に米粒くらいのしこりがあるのに気づいたのでその事を話した。心配ないとの事。再発かも・・とずっと心配していたのですっごくほっとした。次回から4ヶ月に1度の診察になった。
11月
5日

(木)
10月の終わり頃から左耳が貝殻でも耳に当てているような音が度々するので耳鼻科へ行った。診察してもらうと、耳の管が細くなっていると言われた。原因はストレス、寝不足、疲れだとか。全部当てはまるな〜。
耳鳴り止めの飲み薬が処方された。
17日

(火)
昨夜、いつもより早く寝たのにもかかわらず、眠たくて仕方がない。仕事場まで歩いて行くのだが歩きながら寝てしまいそうだった。身体がすごくだるい。仕事中、ひどい頭痛がしていた。
最近、胃の調子もよくない。
1999年  2月
3日

(水)
年が明けてもあいかわらず頭痛と倦怠感がある。夜しっかり寝ているのに1日中いくらでも寝られる感じ。
自分では自覚がないけれど仕事がきついのかな〜?夫にも時々「いつもだるいだるいって言ってるけど、仕事辞めた方が良いんじゃない?」って言われる。しかし、体重は増えつつある。
19日

(金)
定期検診
レントゲン・・・異常なし  採血・・・結果は次回
5本も採血したせいか体調がたまたま良くなかったのか、採血後貧血を起こしてしまった。
5月
14日

(金)
定期検診
この間の採血の結果・・・甲状腺ホルモンの値が正常範囲よりかなり高いという結果が出た。(正常値・・・TSH 0.3〜5  私・・・TSH 23.5)
その為、老年科(内分泌科)に紹介状を書いてもらい診てもらった。結果、甲状腺機能低下症になっていることが判った。不足したホルモンを補う為、これから毎日1錠薬(チラーヂン)を飲む事になった。
再び放射線科へ戻り、老年科での診察の結果を報告した。「甲状腺に放射線を当てると甲状腺機能低下症になる事があると言う事が実は最近になって判ってきた。治療当時はまだそれがはっきり判っていなかった。チラーヂンを飲んでも低下症が治る事はないから一生この薬を飲み続けなければならないでしょう。」と言われた。
体調が思わしくなかったのはこのせいだったんだ、でも、治療時本当にまだ機能低下症になる事が判っていなかったのだろうか?実験されてたんじゃ・・・・と思わずにはいられなかった。それに、一生この薬を飲み続けなきゃいけないなんて・・・とてもショックだった。
〜2002年  4月
チラーヂン1錠では体調は良くならず、2錠にしてみたり、3錠にしてみたりといろいろ試してみた。2錠では相変わらず倦怠感などが改善されず、3錠では効き過ぎるのか不整脈が頻繁に出るようになった。2001年8月頃から2錠半にしてからは倦怠感もなくなった。


退院してから毎年のように一人、又一人と同部屋の励ましあって
病気と闘ってきた仲間が亡くなっていった。そして現在、私だけになってしまった。
皆の分まで元気に生きるなんて言ったらおこがましいけれど、
身の回りの世話をしてくれた両親、夫、励まし心配をしてくれた
友人達のお陰で今私は元気に暮らせている事、生きていられる事を
自覚し感謝しなければと思う今日この頃です。


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