発  病

1996年 6月
17日
 夜中
a.m2:00 熱さで目が覚めた。熱を測ってみるとなんと39.4度。
夫を起こそうか・・・と思ったが、(気持ちよさそうに寝ているし、病院へ連れて行ってもらうとしても明日だから・・)と思い直し、冷蔵庫からアイスノンを出してきてタオルで巻いて枕の上にのせたり、タオルを絞ってきて額にのせ再び布団の中へ入った。体中が燃えているように熱くて「早く朝が来ないかなー。」と思いながら悶々と朝が来るのを待った。

くしくもこの日は私の30回目の誕生日だった。
17日 「ちょっと熱があるみたい・・・。」私はいつも朝、夫を起こす時間に、「朝だよ。」の替わりに布団の中からつぶやいた。
「ちょっとじゃないじゃん!」
以前風邪をひいた時にお世話になった事がある個人病院へ、夫は仕事を休んで朝早々に連れて行ってくれた。
「肺炎を起こしているようですね。レントゲンを撮ってみましょう。」と言われた。
レントゲンを見て先生はびっくり。「肺全体が影で覆われていますよ。これは・・・・。」と言ったきり先生はしばらく言葉を失ったようだった。「最近、何か思い当たる症状はありましたか?」と聞かれ最近の寝汗、貧血、倦怠感、咳などの症状を話し、「3年位前から鎖骨の上辺りにしこりのようなものがあるんですけど、それも何か関係があるんでしょうか?」と尋ねてみた。先生は「きっと関係あると思うよ。」と言った。
夫を呼んでくるように先生に言われ、病状やこれからの事を話した。
レントゲンを見ながら「これだけ肺全体が真っ白だと肺がんの可能性がある。もしかしたら4期・・・既に末期かもしれません。でも、感じが肺がんとちょっと違うような気もする。明後日、肺の内視鏡をやってみましょう。とりあえずは肺炎を治す為、家では絶対安静、点滴を打つため明日から毎日病院へ来てください。」と言われた。
(私が肺がん?、それも末期!? 普通面と向かってこんな事突然言わないよね〜、絶対違うよ。)私は全く人事だった。
後から聞いた話だが夫はこの時、もう長くは生きられないと覚悟したそうだ。
18日 肺がんの末期だと言われた事などすっかり忘れていた。バカがつくほどの脳〜天気。
病名を言われた事より、今までの辛い症状で悩んでいた事から開放された、きっと開放されるんだと言う安心感の方が大きかったんだと思う。
先生に言われた通り点滴を打ってもらいに病院へ行った。
19日 予定通り、肺の内視鏡をした。夫が心配して付き添ってくれた。
この検査はとっても苦しいものだった。涙をポロポロ流しながらの検査だった。
後から思うにいろんな検査をやった中で、一番辛かったような気がする。もう2度としたくないと思った。
20日 先生には絶対安静と言われたけれど、二人暮しの私たちにはそれはなかなか難しい。ついウロウロ家事をしてしまう。夫が心配して「肺炎が治まるまで、せめて1週間だけでも実家に帰ったら?」と、言ってくれた。しばらくにしろ、別々に暮らすのは寂しかったが私もその方が身体のためには良いのかも・・・と思った。
いつも通り病院へ行った時、先生にその旨伝えた。先生もその方が良いという事で、実家のかかりつけの医院に今している治療など書いてもらった紹介状を作ってもらった。
23日 自宅から車で2時間程のところにあるF町の実家まで、夫に連れて行ってもらった。予定は1週間。次の土曜日にまた迎えに来てもらうようにした。
1週間もの長い間、夫と別々に暮らした事がなかったので、夫の帰り際、寂しくて涙が止まらなかった。
その時の夫の青ざめたげっそりした寂しげな顔が未だに忘れられない。
24日 母の運転する車に乗って、医院まで行った。点滴の他に胸のレントゲンも撮った。



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