抗がん剤治療

8月
1日

(木)
 薬のお陰か、今朝はあまり痺れを感じない。
夜、あまり寝られなかったせいか、頭痛がする。その為お昼頃看護婦さんが水枕を持ってきてくれた。
こういう時に限って病室のベランダ(個室はベランダでつながっている)や廊下を子供たちが走り回って大騒ぎする。だから余計に頭に響いて痛い。
それに少し鼻炎気味で、喉も痛む。
2日

(金)
a.m6:30 熱36.8  採血・・・前回と白血球数はあまり変わらない。今後あまり上がらないようなら白血球数を上げる注射をするとの事。
3日

(土)
次回抗がん剤投与の予定は6日
看護婦さんと、吐き気止めの注射のタイミング、と言うか、少しでも楽にスムーズに治療ができるように・・・と言うことを話し合った。
p.m1:20 S先生から私の両親に、病気についての説明をしてもらった。

相変わらず、頭痛と喉の痛みがする。
夫が近藤誠さんの『抗がん剤の副作用がわかる本』というのを買ってきてくれた。
告知を受けてから、「ホジキン病の事が詳しく書いてある本を買ったきて欲しい。」とお願いしてあった。いろいろと探してくれたようだが、ホジキン病の事が詳しく書かれている本がなかなかなく、その時この本を見つけ買ってきてくれた。
この本を見て、初めて自分は‘血液のガン’なんだ、リンパ腫には良性はないんだと言う事を知った。
その後、体調の良いときにマーカーで自分に当てはまる所をチェックしていった。
ホジキン病は治療法がなかった時代には10年生存率が1%程度だったが、現在は抗がん剤で治る率が8割以上に向上したと、この本には書いてあった。ちゃんと治療をすれば、即‘死’と言う事はないはずなのに、先生達は何故、ほんとの病名を教えてくれなかったんだろう?言ったら、私が半狂乱になったり、あまりにもショックを受けるのではと、判断した為なのか・・・?と思った。
4日

(日)
a.m6:30 熱36.7  血圧104/60
p.m5:30 熱36.6  脈 83・・・少し速いみたい。たまにドキドキする事がある。
今日は割りと元気。この間夫が買ってきてくれたパズルの本を夢中でやる。
看護婦さんに、目や頭を使うから頭痛の原因になる。ホドホドにと言われた。  
5日

(月)
a.m6:30 熱36.4  尿検査  採血・・・白血球数2500 
昨夜は暑いのと、蚊がブンブンうるさいのとでよく眠れなかった。

左肺が少し痛苦しい。
S先生が来てくれた。「脈が速いのは水分不足の場合もある。水分をよく摂るように。明日の治療の時は前回より多めに吐き気止めの薬を点滴する。
少し、太ってきたね。良い事だ。」と言われた。
a.m10:30 私の治療の指示を仰いでいる大学病院の医学生が勉強のため、私の病室に病気の事をあれこれ聞きにきた。この病院では勿論の事、大学病院にも私と同じホジキン病の患者さんはいないらしい。
話の最後にお互い「頑張りましょうね。」と言った。良い気分転換になった。
p.m2:15 心電図   レントゲン・・・前回より随分肺の陰が小さくなっていた。
検査の帰り、大部屋で一緒だった2人に会った。白血球数が低下しているため、あまり出歩いたり他の患者さんと何時までも話をするのは避けるように言われていた為、あまりおしゃべりは出来なかったけれど、何となく気持ちが弾んだ。
抗生物質を飲む事になった。腸にばい菌が行かないようにするためらしい。下痢気味になったら言うようにとの事。
6日

(火)
a.m7:00 熱36.3  採血・・・白血球数2400  血圧104/50
p.m1:00 吐き気止めの点滴  氷入りの帽子を被る。2回目の抗がん剤投与
p.m6:00 熱36.8  夕食を少しだけ食べた。
夜中少し気分が悪くなったが、それ程でもなかった。
7日

(水)
a.m6:30 熱36.8  採血・・・昨日とあまり変わりなし。  血圧105/70
朝食を少しだけ食べた。
a.m9:10 吐き気止めの点滴
お昼はおかずをほとんど食べる事が出来た。
点滴の中に眠たくなる薬を入れてくれたので、昨夜から食事とトイレ以外はほとんど寝ていた。
p.m3:00 同部屋だったWさんが会いに来てくれたが、私がこんななので、丁度来てくれていた母が、部屋の外で話をしてくれたようだ。
p.m5:30 I看護婦さんが来てくれた。
夕食は主食を半分残した他は全部食べられた。
8日

(木)
a.m6:00 熱36.5  血圧111/92
p.m12:00 看護学生が会いに来てくれた。
お昼は便秘の為、食欲がほとんどなかった。主食の冷麦だけ食べた。
p.m3:00 母がアイスクリームを持ってきてくれた。冷たくてさっぱりしているため、美味しく食べられた。
p.m6:00 熱36.7
時々肋間神経痛がある。足と同じような痺れのような痛みがお尻の辺りに感じられる。
9日

(金)
a.m3:15 地震で目が覚めた。割りと長く揺れていたので、机の下に隠れる準備をした。入院中に大地震が来たら・・・・と、嫌な事を考えた。
a.m6:30 熱36.4  採血・・・白血球数1900
a.m10:00 熱36.5  脈73
今朝の地震、震度3  マグニチュード4  結構大きかったんだ。
p.m12:00 体がだるい為か食欲がない。トイレが近い。
p.m3:00 検尿
肺炎予防の薬を飲み始める。これがオレンジ色をしていてどろっとしてて、スポイトで何滴か口の中にたらすのだが、何ともいえない不味い味。これから口内炎が出来やすくなるからとの事。
放射線治療をする事になると思うとS先生から言われた。「始めの説明ではそんなこと言ってなかったのに・・・。」と不満をぶつけた。
最初の説明では抗がん剤だけと言う事だったから、夫に買ってもらった本から、進行度はU期かなと思っていた。が、放射線をあてると言う事はV期?
夕食は何とか半分近くは食べた。
p.m6:50 熱36.7
抗がん剤の時に使う点滴針は通常のよりひと回りぐらい太くて長い。5cm位はあるかな。初めての時はS先生が針を入れてくれたのだが、1回で入れてくれ、それもほとんど痛みがなかった。しかし、2度目の抗がん剤の時は看護婦さんが針を入れてくれた。その看護婦さんに、2度も3度も入れなおされ、すっごく痛いは、後であざになるはでもう散々。針が太いから痛みも半端じゃない!そうでなくてもこれから嫌〜な治療が始まると言うのにその前にまだこんな痛い目に合わされるなんて・・・・と、思った。S先生に「お願いだから次回から針を入れるのS先生にして下さい。」と頼んだ。OKの返事がもらえ、「ほっ。」
p.m8:00 Mさんが、手紙をドアに差し込んで行ってくれた。手術後、元気になられたんだ。とっても嬉しかった。私もめげないで頑張らなきゃっ。
10日

(土)
a.m7:00 熱36.5
少し頭が重痛い。お尻から前にかけて痛い。首筋、腕、胃、手も時々同じ痛みがある。
病室のゴミ捨ては学生さんにやってもらうように言われた。
食事があまり採れない様なら点滴をすると言われたので、あまり食欲がなかったけれど、点滴は嫌なので一生懸命食べた。
昨日の尿検査は異常なし。
a.m11:00 血圧109/60
白血球数が低いから、下半身はシャワーを浴びても良いが、洗髪はしばらく我慢するようにとの事。
夫がアイスクリームを買ってきてくれたので、二人で食べた。
p.m5:10 仕事を終えたI看護婦さんが来てくれた。
11日

(日)
a.m6:30 熱36.3  採血・・・前回と変わりなし
昨夜はトイレが近かったので、今朝少し寝不足気味。
a.m10:30 熱36.7  血圧103/68
p.m5:30 熱36.9
夕食はほとんど食べられた。
友達のK夫婦からモモが自宅に届いたと夫から言われていたので、お礼の手紙を書いた。心配させてしまうかなとも思ったけれど、K夫婦の家は飯田市だし、病院の名前を言わなければ場所も判らないから、元気になったらまた連絡すれば良いんだしと、安易に考え、手紙の中に「体調を崩し、実家近くの病院へ入院している。」と書いた。
12日

(月)
a.m7:00 熱36.6  検尿  採血・・・白血球数1700、次回の治療は白血球がもう少し上がってきてからするとの事。
いつも、左腕から薬を入れるのだが、薬を入れていないときでも血管痛があると話したら、看護婦さんが熱いタオルを持ってきてくれた。
S先生が来てくれたので、その旨伝えると、次回からは、何かする時不便だが、右腕からにしようと言った。
最近、頻尿になると話したら、肺炎予防の薬のせいとの事。
a.m10:00 レントゲン・・・前回より小さく、影が淡い感じになってきた。
        首のエコー・・・腫瘍が小さく、わかりにくくなってきた。
部屋へ帰り、テレビをつけたら、夏の全国高校野球で、長野県代表チームが丁度戦っていたので観た。
最近夜寝不足なので、お昼寝をしようと思ったが、夜だけでなく、昼間も30分おきにトイレに行きたくなるので寝られなかった。しかし、便の方は全然出ていないため、下剤を夜寝る前に飲んだ。
13日

(火)
a.m6:00 熱36.3
a.m8:30 下剤のお陰でようやく便が出た。
a.m10:00 熱36.9
S先生が来てくれた。脈が速かったり、ドキドキするのは薬の副作用との事。洗髪しても良いよと、1週間ぶりにお許しが出た。
p.m1:30 洗髪   思った以上に髪の毛が抜けてすっごくショック。排水溝に溜まる髪の毛を時々取りながらでないと、水が流れていかなくなった。しばしその排水溝を見つめ茫然・・・。
14日

(水)
a.m5:30 熱35.9  採血・・・2000
暖かい時間ならシャワーを浴びても良いとの事。
下剤、1日1錠ずつなら毎日飲んでも良いとの事。
S先生はたいてい1日2度は来てくれる。しかし、明日は外来の為来れない。16日はお盆休みのため、採血の結果は見にきてくれるが、基本的にはお休み。先生はお盆休みがあって良いなと、つい思ってしまう。
15日

(木)
a.m8:00 右手の小指が痺れる。今朝起きたら髪の毛が随分抜けている。40本ぐらい・・・。つい、数えてしまった。頭がだいぶ薄くなってきた。S先生は無理に抜かない方が良いと言っていたので、そっと撫でておいた。
a.m10:00 熱36.6
p.m1:30 K夫婦がモモを持ってお見舞いに来てくれた。「何処の病院か言ってなかったのにどうして判ったの?」と私。「電話帳で調べたら、この町には大きな総合病院はここしかなかったから、きっとここだと思ってこの病院に電話して聞いたんだよ。それからいつ退院できるか判らないし、その間にこの間送ったモモが悪くなっちゃうからまた持ってきたよ。」と、K.。
私はただただ嬉しいやら、感激するやら、申し訳ないやらで、何て言っていいか言葉が見つからなかった。
白血球が低下しているため、二人にはマスクをしてもらって会話した。「この間、私たちの結婚式に来てくれたときは元気だったのにびっくり。」と言われた。そうだよね〜、私だってびっくりだもの・・・

今日は1日中肋間神経痛があった。
16日

(金)
a.m6:00 熱36.8  採血・・・結果を見にだけS先生病院へ来るって言っていたが病室には来なかった。
17日

(土)
a.m9:30 熱36.8  昨日の採血の結果2500
p.m3:30 Y先生が来てくれた。
夫に15日にK夫婦が来た事をまだ話してなかったので、わざわざ自宅から、もらったモモを切って持ってきてくれたので食べた。涙が出るくらい嬉しかった。 
18日

(日)
a.m10:40 熱37.3  血圧110/63  脈73
19日

(月)
a.m7:00 熱36.8  採血・・・1900
今日は手の痺れはだいぶ良い。
p.m3:00 レントゲン
20日

(火)
a.m7:00 熱36.6  血圧105/56
今日は3回目の抗がん剤投与
a.m11:00 軽い昼食を摂った。
a.m11:45 氷の帽子を被る。3回目ともなると、この帽子の臭いを嗅いだだけで吐き気を感じるようになってしまった。
a.m12:20 吐き気止めの点滴
a.m12:45 抗がん剤投与
p.m5:15     〃    終了   熱37.3  血圧110/66 
p.m5:45 氷の帽子を外す。
夕食は吐き気と胸苦しさで食べられない。
p.m37.4 ドキドキして、寒気がする。
p.m8:00 吐き気止めの注射   少し熱っぽいので氷枕をもらう。
ポータブルトイレを持ってきてもらう。トイレは部屋の中に付いていたけれど、嘔吐など、間に合わなかった時のために。
p.m9:00 だいぶ楽になってきた。今日はいつもより少し熱が出たため、S先生が度々病室を訪れてくれた。「ここまで良く頑張ってきたね。」と、初めて誉めてもらった。子供みたいだがやはり誉められると単純に嬉しい。
「薬が強いからたいてい肝機能障害を起こすが、肝臓が丈夫なそうで、今のところ大丈夫。」との事。  
21日

(水)
a.m6:30 熱36.6  採血・・・白血球数2000
昨日より随分楽になったが、多少頭痛がして身体がだるい。
a.m7:00 母が私の様子を見にきてくれた。あまり食欲がなかったけれど、母がいてくれたのでなんとなく気が紛れて少しだけだが食べられた。
a.m9:30 吐き気止めの点滴
a.m10:00 熱36.7  血圧105/66 
a.m11:00 「また会えなかった時のために・・」と手紙を書いてWさんが会いに来てくれた。束の間の楽しい一時を過ごした。
p.m8:00 義姉が、忙しい中、やはり会えないかもという事で手紙と、ポプリ入りのティッシュカバー(私の好きなひまわりの飾りがついている)やハンドマッサージ、造花などを持ってきてくれた。家の事、病院での事などしばらくいろんな話をした。
個室に移ったばかりの頃は、実家から丁度今が盛りの小さ目のひまわりを2、3本採ってきてもらって花瓶に刺していた。ひまわりはいつも太陽に向かってまっすぐ伸びていて、それがとても前向きで明るいイメージがあり、この花を見ていると元気が湧いてきた。しかし、白血球が低下してくると生もの禁止令が出て、飾ってある花さえもダメと言われ、寂しかった。だから造花でも花をもらったのはすごく嬉しい。
p.m6:00 夕食は、主食は半分以上残したが、おかずはほとんど食べる事が出来た。
吐き気は治まったが、頭痛とだるさはある。
22日

(木)
a.m3:40 トイレへ行って貧血を起こした。意識がなくなるほどではなかったが、楽になるのを座ったままじっと待った。その後から、頭痛、だるさ、胸のむかむかが酷くなってきた。
a.m6:30 熱36.7
a.m10:00 熱36.7  血圧110/76
お昼は冷やし中華。ここの病院のこれは、今まで食べた中でサイコーにおいしい。だから何時出るか何時出るかといつも楽しみにしていた。が、今は全く食欲がない。それでもなんとか欲でほんの僅かだが食べた。
ここの病院でもう1つ楽しみな献立はかつカレー。しかし、不運な事にこの2つのメニューの時はたいてい食欲のない時に出る。S先生もかつカレーが好きなそうで、これが出た日の午後病室に来ると必ずと言っていいほど「かつカレー食べた〜?美味かったな〜。」言いながらやってくるのだ。「気分最悪の私をこれ以上陥れたいのか〜〜〜!!」と、口に出しては言わないけれど、こういう時は思いっきりにらみつけてやるのだ。
a.m12:30 熱36.7  吐き気止めの点滴
p.m5:00 熱36.9  吐き気が治まらないので、もう1本吐き気止めの点滴
夕食は、ゼリーとスープだけなんとか食べた。
23日

(金)
a.m7:00 熱36.6  採血・・・聞き忘れてしまった
a.m9:00 カビが喉についているか綿棒で検査した。直接管を入れて、尿の検査をした。
昨日に比べればだいぶ体が楽になったきたが、まだ多少気分が悪く、頭痛とだるさがある。
a.m10:00 熱36.6  血圧100/71
p.m4:00 Mさんから手紙とゼリーを頂いた。Mさんの手紙は後ろ向きになりがちな気持ちを前向きに軌道修正してくれる。
p.m4:30 母と一緒に弟が来てくれた。
p.m5:30 吐き気止めの点滴  点滴のお陰で少し体が楽になってきた。
24日

(土)
a.m6:30 熱36.4  採血・・・白血球数を聞くのを忘れてしまったが、今までで一番低かったようだ。今日から白血球数を上げる注射をする事になった。
足の指の付け根と第2関節が痺れる。股がピリピリする。
今日、Mさんが退院。退院してしまう前に会えるか心配だったが、会えて良かった。Mさんには感謝感謝。私なんて、自分の事で精一杯なのに・・・・。Mさんにしてもらったように、私も誰かに何か出来れば良いな・・・。
a.m10:00 熱36.7  血圧102/69
p.m2:20 白血球数を増やす注射をした。これがものすご〜く痛い。これをしばらく毎日するのはちょっと憂鬱・・・・・。
友達のIから手紙が来たと、夫が持って来てくれた。Iとは、独身の頃同じ仕事場で知り合って以来の友達。Iが先に結婚したのだが、それ以来ずっと手紙のやり取りをしている。Iには、入院してからの事をいろいろ手紙で話していた。グチもいっぱい聞いてもらっている。「I、グチばっかでごめんなさ〜い。」
25日

(日)
今日で入院して丁度2ヶ月・・・と、しみじみ思ってしまった。
a.m6:30 熱35.9
a.m9:30 注射
点滴針を確保しているところが痛かったので、針を抜いてもらった。抜いてもらったら気持ちまでスッキリした。
26日

(月)
a.m6:30 熱36.5  採血・・・白血球数7000
a.m9:30 注射
朝から雨。少し肌寒く感じたので今まではタオルケットだけだったが、初めて布団を着た。
p.m1:30首のエコー、レントゲン・・・結果は良好
生検をしてくれた外科のK先生が様子を診に来てくれた。会うのは何と1ヶ月振り。何だかとってもなつかしく感じた。こちらの病棟のナースステーションに来たついでに私のカルテを見て、それで来てくれたとか。もう会うことのない先生だと思っていたので、嬉しかった。
p.m5:30 熱36.9
27日

(火)
a.m6:00 熱36.7
a.m9:15 注射
頭痛もだいぶ楽になり倦怠感もない。
Wさんへ手紙を書いた。
28日

(水)
昨夜は朝の4時頃まで1度も起きずにぐっすり眠れた。よく眠れたのは本当に久し振り。
a.m6:00 熱36.5  採血・・・白血球数7700
a.m9:15 注射・・・痛〜い注射もとりあえず今日で終わり。ほっ
義母へ手紙を書いた。
29日

(木)
a.m6:30 熱36.6  採血・・・白血球数5000
p.m2:15 首と肺のCT・・・小さくなってきたが、レントゲンに写ってない部分でまだ腫瘍があるとの事。
「もしかしたら骨髄穿刺、又やるかも・・・。」とS先生。
私「え゛ー。」

義姉とIに手紙を書いた。
30日

(金)
a.m5:30 熱36.5  採血・・・白血球数3000、1000代に戻ったらまた注射をするそう。(白血球数が下がりませんように・・・)
p.m1:30 10日振りに髪の毛を洗った。
p.m5:30 仕事を終えたI看護婦さんが来てくれたので、しばらくおしゃべりをした。
来週骨髄穿刺をすることになった。やだなー
31日

(土)
a.m6:30 熱36.3  検尿
骨髄穿刺保留・・・やるのかやらないのかはっきりしてー!、中途半端なのは一番嫌だ。
夫と2人、S先生からこれからの治療についての話があった。この間撮ったレントゲンを見ながら「肺の腫瘍が小さくなったとはいえ、まだ消えたわけではない。もう1クール化学療法をやってみようと思う。」と言われた。「まだ1回抗がん剤治療が残ってるのに・・・、それにほんとにやる価値があるんですか?」と、いろいろ不満をぶつけてみた。しかし、放射線治療をするにはなるべく腫瘍が小さい方が良いからと言われ、納得してしまった。
夫はS先生に「私は離れている所に暮らしている為毎日ここへは来れません。その分治療だけではなく全ての事において支えてやって下さい。」と言った。S先生は「わかりました。」と答えた。そして「優しいだんなさんが付いててくれるんだから後3回、治療頑張ろうね。」と、S先生。治療が増えた事ですっかりブルーになっていた私は「付いててくれたって治療して苦しいのは私だけだもの。」と、今考えると穴があったら入りたいような酷い事を言ってしまった。この時は「なんで自分ばっかり。」と、病気の事、自分の事しか考えていなかった。夫の支えがあるからここまで頑張ってこれたのに。
しかし、この夜は治療が増えた事で頭がいっぱいで、このままドンドン治療の回数が増えて、死ぬまで病院から出られないかも・・と、初めて‘自分の死’というものを考えた。一晩中泣いた。


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