告知〜抗がん剤治療

7月
1日

(月)
a.m6:30 採血
便秘気味だったがやっとすっきり出た。でもちょっと軟便・・・。
a.m 9:30 胸のレントゲン、その後胃カメラ。胃カメラは初体験。少し緊張気味だったが、検査してくれたのがS先生だったので、安心してやってもらえた。「ん〜、どっこも悪い所はないね〜、きれいな胃だよ。」と言ってもらえ、とりあえず「ほっ。」
p.m2:00 採血  朝採った分では足りなかったとか。
*この頃はまだまだ血管が太かったから失敗される事も無くて、何度採られてもたいし て気にならなかったな〜と、今思えばあの頃がうらめしい。 

採血の結果、赤血球の値が高いので熱がまだ出やすい。そのため後2〜3日はお風呂へ入ってはダメとの事。入院してまだ1度も入浴できない。この時期入れないのはかなり切ない。せめて髪の毛だけでも・・・とお願いしたらOKが出たので早速洗った。「気持ちぃー♪」
その後生検した所の消毒をしてもらった。

2日

(火)
昨日まで化膿止めの点滴をしていたが、今日からしなくてよくなった。点滴がないと、自由の身になったようで「ほっ」とする。
今日はあまり食欲がない。
昨日に引き続き便秘と下痢が交互にくる。結構辛い。S先生に話したら検便をする事になり、胃腸薬を出してくれた。そのため夕飯からおかゆになった。食欲がなかったので普通のごはんより食べやすかった。

気温が何度かわからないが、今日はかなり暑く、汗をよくかいた。
3日

(水)
検査の為朝食抜き。
a.m11:30 腹部のCT
検査の結果を伝えにS先生が来てくれた。開口一番「皮下脂肪はあるけど内臓には脂肪がなかったよ。」
「大きなお世話!」とは言ったものの、ちょっとほっとした。
「リンパ節が腫れていて肺を圧迫しているから咳は当分続くよ。」との事。

*この頃、しきりにリンパ節が腫れているって言われていたけど、この腫れは悪性腫瘍 だったんですよね〜。
4日

(木)
今日も洗髪だけ・・・。
食事は相変わらずおかゆ。昼食、入院して初めて出された物を全部食べる事が出来た。これってなんだか元気になったような気がして嬉しい。しかし、お腹の調子は一向によくならない。
p.m3:00 弟が来てくれた。
5日

(金)
今日はお腹の調子が悪い(下痢と便秘が交互に来る)だけでなく、食後差し込むような
腹痛がする。腹痛になった時に飲む薬をもらった。
夕食時、また腹痛がしたので、早速飲んだ。程なくして痛みが治まった。
6日

(土)
外泊の許可が出た。
a.m11:00 夫が迎えに来てくれた。ほんとはN市の自宅へ帰りたかったが、S先生から、何かあったとき近くにいた方が良いからと言われ、私の実家に帰った。
久々に家族といっしょに過ごせる事が嬉しくて、ついはしゃぎ過ぎてしまい夜、36.9度と少し熱が出てしまった。
7日

(日)
朝、36.7度、夜中に上がらなくて良かった。
昼食に母が病気に勝つという思いを込めて、とんかつを作ってくれた。嬉しかった。
皆、私の前では普通に振舞っていてくれているけれど、すっごく心配掛けてしまっているんだな〜と、この時思った。早く元気にならなくては・・・。

p.m3:30 病院へ戻った。久々にベットから離れた生活をして、それにとってもはしゃいでしまったので、疲れてしまったようだ。少し横になった。
9日

(火)
11日に日赤にて、ガリウムシンチ(骨以外の全身の病変や発熱などの原因などを写真撮影で調べる検査)をする事になった。今日はその前段階の注射をしてもらいにa.m9:30 母の運転で出掛けた。ここの病院にはこの検査をする機械がないので・・・。母は「大きな検査をする度に別の病院へ行くようなら、いっそのこと大学病院へ入院したほうが良いんじゃないの?」と心配した。大学病院て患者が多い分一人一人時間をかけて診てくれないんじゃないか、何だか扱いが冷たそ〜と言うイメージあり、行く気にはなれなかった。
日赤はとても混んでいた。帰ってきたらドッと疲れが出た。
10日

(水)
今日1日、明日のガリウムシンチのための‘ボンコロン食’という食事が出された。それが私の嫌いな梅味。食べ終わるのに1時間かかってしまった。看護婦さんにお願いしてお昼は普通のふりかけにしてもらった。

便が出なくてお腹が張るので、コーヒーを2本買ったきて飲んだ。便秘の時、コーヒーを飲むといつも何となく出たくなるから。その後屋上へ行って運動した。と言ってもグルグルと屋上をゆっくり歩き回っただけ。多少効果が出るかなって思って。
結局ダメだったので夜下剤を飲んだ。出た♪出た♪
夕食のボンコロン食はコーンスープのようなものとオレンジジュースのようなものだった。
11日

(木)
a.m7:00 浣腸
a.m8:00 日赤にてガリウムシンチ
p.m3:00 抜糸(生検の時の)

夕方S先生が来て今日の検査の結果を教えてくれた。脊髄の辺りにもリンパ節の腫れのような物があるとの事。
明日は骨髄穿刺(骨髄機能を検査する為、胸骨又は腰骨に特殊な針を刺し、骨髄液を採取する)、16日には大腸の内視鏡検査、18日にはMRIを日赤にてやる予定だと言われた。
「え゛〜〜、検査検査でもーいやだ〜。」と私。毎日訳もわからず只検査漬けの毎日に気持ちはすっかりブルー。
「病気が何なのかはっきりさせるには仕方がないんだよ。気持ちは判るけどま〜頑張ってよ。」と、S先生。
膨れながら「はい。」と答える私。しょうがないよねー自分の病気が何なのか知るためには・・・。
12日

(金)
a.m5:00 検尿
この頃朝起きてトイレに行ったついでに、ナースステーションの前に置いてある体重計に乗るのが日課になっていた。前兆のある少し前に比べ12kgも減っていた。
体調が良かったので運動にと病院の1階から3階まで、階段を往復した。

p.m3:05 骨髄穿刺  ベットにうつ伏せになって、腰骨から針を刺した。始めに行った麻酔がとっても痛かった。「痛、たたたたっ」と大騒ぎした。同じ病室の人たちが気を使って外へ出て行ってくれた。みなさん、有難う。
S先生がやってくれたのだが、あまり経験がないらしく(まだお若い・・・私と同い年)Y先生が横に着いて指導しながらの進行だった。痛みはほとんどなかったが、「グリグリ、ゴリゴリ」という音が何とも気分悪かった。
終了後そのままの体制で12時間安静。でも、途中でトイレに行きたくなりナースコール。S先生が来てくれ、出血があるかどうか確認してくれた。大丈夫のようだったのでトイレへ。
今夜は検査での体力消耗が激しかったせいか、よく眠れた。
13日

(土)
相変わらず今日も便が出ない。便が出ないと言うのは結構辛く、憂鬱・・・。
夫が午後来てくれた。
とっても暑い1日だった。
14日

(日)
夫は昨夜は私の実家へお泊り。そこからまた病院へ来てくれ、夕方までいてくれた。同室の人に「こんなに優しいだんなさんはそういないよ。旦那さん自身、心配で不安いっぱいな筈なのに暗い顔1つしないでいつ来てもみんなに明るさを振りまいていってくれるんだもの。早く元気にならないとね。」って言われた。ほんとにその通りだと思った。元気になったら夫孝行しないとね。

下剤をもらってようやく便が出て楽になった。
15日

(月)
入院して初めての入浴が許可された。とっても気持ちよかった。ん〜しあわせ♪
S先生が病室に来て、「しっかり食事をして体力をつけておこうね。」と言った。
「えっ!そんなに体力がいる治療が始まるんですか?」と私。
「どんな治療でも体力はつけておかないとね。」とS先生。
どういうことだろう、そんなに辛い治療をしなければならないような重い病気にかかったんだろうか?ちょっと不安・・・。
16日

(火)
午後から大腸の内視鏡検査。
その検査のための水(下剤 )2gをa.m9:30〜飲み始めた。この水を飲むのがものすご〜くきつかった。だってまずいんですもの。生臭いような鉄臭いような味。キャラメルや飴といっしょに飲んでも良いと言われ、そのようにしたけどこのまずさは只者ではない!!時々S先生が「飲み終わった〜?」と様子を見に来てくれるが、始めのうちは「まずいけど頑張ります。」って言いながら飲んでたけれど、あまり頻繁に「まだ〜?」なんて来るもんだから「こんなにまずくてたくさんの量、簡単に飲めないよ。」となかなか飲み終えれない苛立ちをS先生にぶつけていた。
飲み終わるまでなんと4時間もかかってしまった。
p.m3:30 ようやく検査。
検査をしてくれた先生は、この病院で一番内視鏡が上手いと評判の先生。S先生は私の側に着いてて「今この辺を診ているんだよ。」とか「きれいな腸だよ。」とか解説してくれていた。
2gの水を飲む苦しさに比べたら、ほとんど痛みもなかったし、割りと楽な検査だった。本人も映像を見せてもらいながらだったのだが、何日か前に食べたスイカの種が幾つか残っていて先生達に「おっ、スイカの種だ。」「んっ、またあるぞ。」と言われたのはちょっと恥かしかった。(食べた時ちゃんと種は出してる筈なのにな〜?)
でも、スイカの種のお陰で気が紛れて良かったかな・・・。
17日

(水)
今日は暑いのでシャワーを浴びた。
夜、あちこち蚊に刺された。
18日

(木)
p.m1:00 日赤へMRIの検査に行った。初めてのMRI、その後何度かこの検査はする事になるのだが、カプセルのような所へ入れられて只横になっていれば良いだけの検査だから別に辛い事は何もない。しいて言えば造影剤の点滴の針がなかなか入らなくて何度もあっちこっち刺されることがあるので、それがちょっと嫌かな。この時はまだ咳がよく出ていたため、時々息を止めていなければならない時、結構しんどかった。

とりあえず、予定していた全ての検査が終わった。
検査の結果、病名がはっきりしたようだ。明日、それを二人で聞くため、夫が午後病院へ来てくれる事になった。
ほんとは私の両親も一緒に告知を受ける事になっていたのだが、都合が悪く、都合のつくときにもう1度両親にだけS先生から話してもらうことになった。
19日

(金)
病名が告げられた。「リンパ腫 ホジキン病」(後に判るのだが、本当の病名は悪性リンパ腫 ホジキン病 )
「リンパ腫には多くの種類があるが、大きく分けてホジキン病と非ホジキンがある。ホジキン病は日本においては、全体の10%に見られる。主にアメリカに多い。日本では非ホジキンが圧倒的に多い。
この病気を治すには抗がん剤に限りなく近い薬(この時は抗がん剤とはっきり教えてもらえなかった)を使って治療する。2週間に1度、4週間で1セット、を2クールの予定。
吐き気、脱毛、白血球低下など、強い副作用がある。」と言われた。それから
「S大学病院の放射線科にこの病気を研究したりして詳しい先生がいるから治療はその先生の指示を仰ぎながら進めていく。」とも。
私は頭の中が真っ白になった。「治療しなければどうなりますか?」と私。
「心臓が停止するでしょう。」と、S先生。私「・・・・・・。」
Y先生もいっしょにいたのだが、「肺がんを疑っていたが、そうでなくて良かった。肺がんでこれだけ肺が真っ白だと、治療のしようがないからね。」と言った。この言葉はほんとにそうだったのか、それとも私を少しでも励まそうと思っていってくれたのかは判らないが、ちっとも嬉しい言葉ではなかった。
一通り説明が終わり、質問なども済んで、先生達は部屋から出て行った。私はしばらく固まっていたが、夫の「病室へ戻ろうか。」と言う言葉で我に返り、その部屋を出た。しかし部屋を出たとたん、下半身の力が抜けたようになってそこへしゃがみ込んでしまった。(そんなに大変な病気だったなんて・・・・・・)と言う思いと(家族の誰かじゃなくて私で良かった。)と言う思いが頭の中をグルグル回っていた。
気が重くてなかなか病室に戻る気にはなれなかった。
同室の皆には、「今日、何の病気か説明があるんだよ。」と言ってあった。説明から帰ってきた時、私がどんな顔をしていたか判らないが、「どうだった?」と聞く事もなくそっとしておいてくれた。とても嬉しかった。
夕食はいろんな思いで胸がいっぱいだったため、ほとんど食べる事が出来なかった。夫はだまって夕食が済むまでいてくれた。

夕食が済み、夫が今日泊まる私の実家に帰ってから、私は病室の皆に病名とこれからの治療の話をした。就寝時間が来るまで、皆に励ましてもらい、いっぱい勇気をもらった。

S先生が、よく寝られるようにと安定剤を出してくれたが、全然効かず、ほとんど眠れなかった。
20日

(土)
朝、体重を測ってからそのまま屋上へ行き、6周ゆっくり歩いた。
今日は1泊の外泊。夫が迎えに来てくれて、a.m11:00 に実家へ帰った。昼食は冷やし中華。病院ではあまり食欲がないが、実家では食欲旺盛になる。
昨日主治医から告知された事を父母に話した。私は辛くて話せなかったので、替わりに夫が話してくれた。
やはり、だいぶショックだったみたいだ。
夜夫と二人きりになってから、止めどなく涙がこぼれた。今考えて、あの時なんであんなに涙が出たんだろうと思った。これから先の事への不安・・・?それとも治療への恐怖・・・?告知されるまでの不安が実家へ帰ってきて、そして久し振りに夫と二人きりになって、涙となってどっと湧き出てきたのかもしれない。
21日

(日)
昨日はお昼も夕飯も食べ過ぎてしまったため、今朝はお腹が下り気味・・・。そのせいで朝は食べられなかった。
今日は頭痛がする。
p.m3:30 病院へ戻った。夫が記念(記念と言って良いのか?)にと同室一人一人と6人全員の写真を撮ってくれた。
後に皆に配った。
末期の肝臓ガンの人、胃がんでこれから手術をする人、膠原病で何ヶ月も入院している人、糖尿病で入退院を繰り返している人、皆いろんな病気を抱えていたが、ほんとに病人?っていうくらい、明るくて元気が良い人たちばかりだった。楽しく入院生活できた事を感謝するばかり。

身長、体重を測った。
22日

(月)
a.m5:30 採血、尿検査
頭痛と、喉が痛い。
p.m12:00 心エコー、心電図
p.m1:30 少し前までほんの10日程一緒の部屋に入院していたWさんが来てくれた。
ここの病院へ入院して唯一私と同年代の人。Wさんとは現在も手紙やメールのやり取りをして仲良くさせてもらっている。
いろんな話をお互いにし、心和む一時だった。
p.m4:00 レントゲン

明日から抗がん剤治療が始まると言う事で今夜は良く眠れるようにS先生が安定剤を出してくれた。今夜はぐっすり寝られた。
23日

(火)
a.m6:15 当分お風呂へは入れなくなるだろうと言う事でシャワーを浴びた。
p.m12:00 昼食を軽く取った。
p.m12:30 吐き気止めの点滴開始(約3時間)

・食前にうがいをする事
・手を洗った時や病室へ入るときは、病室の前に置いてある消毒液で消毒する事
と、S先生から言われた。
p.m1:30 脱毛を最小限に抑える為、アイスノンが入った帽子を被る。
p.m2:00 抗がん剤投与(ABVD療法・・・後に大学病院へ転移してから主治医に教えてもらった)

しばらくしてから、Y先生とS先生が様子を見に来てくれた。「具合はどう?」「頭が少し寒いけど今のところ元気です。」と言う会話を交わした。
先生達が行ってしまってから、帽子を被ったこの格好を記念に撮っておこうと思って病室の皆と一緒のところを看護婦さんに撮って貰った。
5時ごろまで皆と元気におしゃべりをしていたが、その内、左胸が痛くなりナースコール。S先生が慌てて何の機械か判らないが大きな機械を看護婦さんと一緒に持ってきた。多分、不整脈とか心臓の関係で異常が出たのでは・・・と思ったらしい。触診の結果、肋間神経痛との事。私は痛くてたまらなかったが、先生は「肋間神経痛で良かった。」と言っていた。
頭が寒いせいか冷えてトイレが近い。
p.m7:00 トイレを済ませトイレから出てきたところで貧血を起こしてしまった。それに気づいた看護婦さんが慌てて車椅子に私を乗せてくれ、病室まで連れて行ってくれた。
p.m8:00 吐き気がして来た。看護婦さんにポータブルトイレを持ってきてもらう。
程なくして2度吐く。
p.m12:30 吐き気止めの注射をしてもらう。注射と言っても点滴の管から直接注入。この薬が血管を通る時、冷たくって結構痛い。
初めての抗がん剤投与だった為、吐き気止めの点滴や注射のタイミングが上手く行かず、あまり効果がなかった。
一晩中、吐いたり下痢したりで辛かった。病室の皆はもちろん私のせいで寝られるわけもなく、それでも「周りの事なんか気にしなくて良いんだからね。我慢しちゃダメだよ。」って言ってくれてた。ほんとにほんとに皆には感謝感謝です。
24日

(水)
a.m6:00 熱36.8度  血圧116/66
朝起きたら髪の毛が少し抜けていた。やはりショック。
朝食は味噌汁を少しだけすすった。
a.m10:00 点滴・・・水分・・かな?
昼食は気分が悪くて食べられず。
p.m2:00 吐き気止めの注射と点滴
p.m3:30 個室へ移動・・・副作用の白血球低下などで免疫力が低下するため、用心のために個室に移動するように言われた。
今までいつも誰かと話をしていたので、独りぼっちはとっても寂しかった。
p.m9:00 吐き気止めの注射
同部屋だったMさんが手紙を書いて、締まっている病室のドアにそっと差し込んで行ってくれた。Mさんだって、これから大変な胃がんの手術が待っているのに、普通なら自分の病気の事で頭がいっぱいの筈なのに、私に励ましの手紙を書いてくれた。涙が出るくらい嬉しかった。その後も時々手紙をドアに差し込んでいってくれ、すごく勇気づけられた。現在も時々手紙や電話でお話させてもらっている。80歳を過ぎていらっしゃるが、お元気に暮らしてるそうだ。今でも励まされる事ばかり。  
25日

(木)
a.m5:30 熱36.5度  血圧110/50  採血
朝食は味噌汁を少しすすっただけ。
a.m9:15〜p.m3:30 点滴  水分など
p.m12:30 吐き気止めの注射
口内炎が出来たら早めに言うように言われた。
夕食はほんの少しのうどんと母が持ってきてくれたメロンを2切れ食べた。メロンがとても美味しかった。
夕食に出たパインを食べたら口の中が荒れてしまった。
p.m7:30 今夜最後の点滴  だいぶ気分が良くなってきた。が、それも束の間再び吐き気到来。
p.m9:30 吐き気止めの注射・・・・しかし、しばらくして吐く。
26日

(金)
a.m5:30 熱36.5度
朝食はそうめん2、3本と、リンゴジュースを少しだけ飲んだ。
a.m9:20 1本目の点滴(水分など)
この点滴を始めると何故か具合が悪くなる。お水を飲みすぎたような、変な言い方をすると溺れたような感覚になりアップアップしてくる。この事をS先生に訴えると「じゃーこの1本で終わりにするけど、その分しっかり水分を取ること。」と言われた。

入院してからずっとピアスをしていた。S先生がそれに気づいて、「念のため毎日エタノールで消毒するように。」と言った。面倒なのでピアスは外した。

a.m10:30 レントゲン    あまり変わっていないが、首のリンパ腫の数が減ったようだと言われた。
p.m1:45 今度はバス、トイレ付きの部屋へ引越し。1日6000円。差額代5000円は
保険が利かない。この時期、O−157が大流行、それに白血球低下の時の事を心配して、もしものためにトイレやお風呂は別にした方が良いだろうとの先生達の配慮から移る事になった。しかし、後に大学病院へ入院して知ったのだが白血球が1000代になっても平気で皆大部屋にいるし外泊許可も下りていたから私のあの何ヶ月間の孤独な日々は何だったんだって思ってしまった。
この時は病気を治す事しか頭になかったのだが、この部屋へは好き好んで行ったのではなく、行くようにと言われ入ったのだから、「差額分は払わなくても良いのではないか」と交渉しても良かったのだが、今となっては後の祭りかな。今更って気もするし。でも、この5000円は結構負担になった。3ヶ月近くもいたのだから・・・。
p.m6:20 熱36.7度
以前までの個室より、もっと寂しさを感じた。階は同じだが病棟は今までの内科ではなく、産婦人科の病棟でそれも奥の方だから人通りもほとんどなくひっそりしているし部屋の中も薄暗い感じなんだもの。この部屋へ移って2時間以上誰も来なかったからつい、涙がこぼれた。

吐き気が治まりお腹が減ってきた。
27日

(土)
a.m7:00 熱36.4度
シャワーの許可が下りた。左手に針が付いたままになっているので、水が入らないようにビニール袋をはめ、テープでしっかり巻いてもらって久し振りのシャワーを浴びた。

来週から白血球の検査

a.m9:50 点滴
a.m10:30 熱36.8  血圧114/70

a.m11:30 内科でお世話になり仲良くなった看護学生2人が「寂しがってんじゃないかと思って。」って言いながら会いに来てくれた。すっごく嬉しかった。久々に笑った気がした。

p.m6:50 熱36.8   少し鼻炎ぽい
28日

(日)
a.m5:30 熱36.2  血圧105/55
午後、内科でお世話になったI看護婦さんが会いに来てくれた。「同じB型だね。」この一言で何故かとっても仲良くなってしまった。今日は後帰るだけだから・・・てことでしばらく私の相手をしていってくれた。
同部屋だったMさんの娘さんが「胃がんの手術、無事終わったんですよ。」と、ランやりんどうの花を持って病室に訪れてくれた。
手術が成功して良かった良かった。私もがんばろっと! 
29日

(月)
a.m6:15 熱36.4   採血(白血球・・・2600)
採血は1日おきにするとの事。レントゲンは1週間に1回。
マスクはいつもしている事。(毎日取り替える)

喉に細菌が付いていないかどうか綿棒で調べた。
p.m2:30 レントゲン   首のエコー
レントゲンの結果、肺の部分の影が小さくなっているとの事。
イソジンが出される。1日3回、食前に。

今夜は雷がすごい。停電もあった。

*白血球の正常値・・・4000〜8000
30日

(火)
a.m5:30 熱36.1   採血(白血球・・・2900) 1日おきと言っていたのに何故か今日も採った。
朝、目が覚めたら右手と右足の人差し指が痺れていた。
a.m9:30 熱37.1
p.m6:45 熱36.8
痺れに加え、右膝から下がだる痛い。
31日

(水)
a.m6:30 熱36.1  採血・・・白血球が3000代に戻って来たとの事
毎日のように肋間神経痛がある。



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