随心院 (ずいしんいん)   

真言宗善通寺派 隋心院門跡
京都市山科区小野御霊町35

  小野小町ゆかりの寺

 総門を入ると右手に梅園がある。随心院の梅は、薄紅色(はなず色)のぽってりとした厚物の花びら。遅咲きで知られ、北野天満宮の梅園とは違った趣がある。梅園の向かいが書院、本堂となる。
 庫裡を入り、書院前庭園は苔庭と本堂前の池と植え込みの庭園は、腰を降ろしていつまでも眺めていたい気持ちになる。 庭園の苔は、6月中旬以降の梅雨の時期が最も緑が濃く、美しいとされる。写真は5月下旬で平日。拝観者もまばらで静かだった。奥の書院では、狩野派の画家の描いた襖絵を見ることができる。
 随心院は、平安時代の正暦2年(991)に一条天皇から寺地を下賜され、弘法大師から八代目の弟子にあたる仁海僧正が牛皮山(ぎゅうひさん)曼荼羅寺を建立したもので、真言宗小野流発祥の地 となる。
 その後、第5世僧俊阿闇梨の時、塔頭として随心院を建立。鎌倉時代の寛喜1年(1229)に後堀河天皇から門跡の宣旨をうけ、以来、小野曼荼羅寺御殿随心院門跡となる。承久・応仁の乱の兵乱により焦土と化してしまうが、江戸時代の慶長4年(1596)、九条家と二条家の両宮家から門跡が入山され再興し、今日に至っている。
 

   
宝暦3年(1753)二条家から移築された庫裡 は、二条家の政所であった   庭園(奥に見えるのが本堂)   庭園(奥に見えるのが表書院)

  本堂は再興当時のもので、本尊如意輪観世音菩薩のほか、阿弥陀如来像及び快慶作の金剛薩?(こんごうさった)像等を安置する。書院は徳川秀忠夫人天真院尼の寄進である。昭和6年(1931)、善通寺(香川県)に所属し、善通寺派となった。
 隋心院が建つ、この付近一帯はこの地方の勢力者、小野一族の土地。隋心院境内は小町の旧跡と伝え、小町は現在の随心院の「小町化粧の井戸」付近に住んでいた。小町は小野良実の娘で宮中の後宮に仕えていて、容姿端麗・超美人で和歌に優れた才能を発揮していたとか。小町のもとへ深草少将が百日通ったという伝説の舞台がここである。積もる思いを胸に秘めて訪ねてきた少将に対する小町は冷たかった。少将は『あなたの心が解けるまで、幾夜でも参ります。今日は第一夜です』と、その印 として門前のカヤの実を採って渡した。通いつめて九十九夜、その日は雪の夜であった。門前にたどり着いた少将は疲れきって九十九個目のカヤの実を手にしたまま倒れ、再起できなかったという。境内には深草少将をはじめ多くの男性から小町へ寄せられた文を 埋めた文塚。小町が朝夕の化粧で使った化粧の井戸。文塚から少し北には寂しく1本のカヤの木があるが、少将が亡くなったことを知った小町が庭に植えたもの。かつては九十九本あったという。また、小町に寄せられた文を下張りにして造られたという「文張り地蔵菩薩像」と卒塔婆小町坐像(小町の晩年の姿を写したという) が、表書院と本堂の間の部屋に安置されている。なお、随心院の祭事で有名「はねず踊り」は、小野小町を忍んで小町と深草少将の百夜通いをもとにした芸能である(毎年3月の最終土・日曜 に催される)。
 なお、洛北・市原にも小野小町を祀る
「小町寺」(正しくは補陀洛寺)がある。

   
文塚/深草少将ほか当寺の貴公子たちから寄せられた千束の文を埋めたところ   小町塚(傍に小町に仕えた侍女の塚もある)   小町の屋敷跡に残る化粧の井戸で、小町は朝夕この水で化粧をしたと伝える

◇随心院の所在地など
・住所:〒607-8257 京都市山科区小野御霊町35
・電話:TEL 075-571-0025
・拝観:9:00〜16:30:本坊・庭園 400円、石楠花(4月中旬が見頃)
・梅園:400円(2月末〜四月初)
・市バス東9で小野下車又は、地下鉄東西線小野駅下車、徒歩約3分。

   
  深草少将が百日通いの折、小町に渡されたカヤ(榧)の 実は、後にこの地に播かれ、かつては九十九本だったという   小野梅林 に咲く薄紅色(はなず色)の梅は3月上旬が見頃

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