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十輪寺(じゅうりんじ/通称 なりひら寺)

天台宗
京都市西京区大原野小塩町
481 

 平安時代の歌人・在原業平ゆかりのお寺、十輪寺(じゅうりんじ)。
天気も良く、サクラが咲くには少し早いが、梅が咲き残っていないかと思い
洛西・大原野へ出かけた。

 
小塩山の麓にある十輪寺は、通称“なりひら寺”と呼ばれ、平安前期の歌人で「伊勢物語」の主人公、また作者といわれる在原業平(ありはらなりひら)の墓所があることで知られたところ。
 拝観券を求めた窓口で、外国人の若い僧侶が、私にたどたどしい日本語で「説明しましょか?」と言ってくれた。スリランカから修行に来て2年目という若い僧侶で、拝観者は私一人。これは良い機会だと思いその言葉にあまえ、説明をお願いした。
 本堂へ入ると、秘仏の本尊は覆い隠されていたが、その前にスリランカ釈迦仏2体が奉られている。スリランカの僧なので、スリランカの言葉でお経を挙げるといい、若い僧侶のお経が始まる。しばし、スリランカのお経を耳にしながら、仏様に向かって手を合せた。終えると、ご本尊と寺の歴史
丁寧に説明してくれ、庭園(三方普感の庭)や極彩色の襖絵なども案内してくれた。
 
 この十輪寺は、在原業平の晩年の閑居跡と言われ、本堂の裏山に業平の墓と、業平が設けた塩竃跡があります。本堂の裏山にある業平の墓と塩竈(しおがま)跡を見てお寺を出た。目的のサクラの木は本堂横の高廊下にしだれ桜が見られたが、まだツボミの状態。梅の木は気がづかなかった。ただ、境内に“なりひらモミジ”が静かに枝を広げていた。   
 天台宗の古刹。寺は、嘉祥3年(850)文徳天皇のお后、染殿
(そめどの)皇后(藤原明子:ふじはらあきらけいこ)の世継ぎ誕生を祈願のため、伝教大師作の延命地蔵菩薩を安置したのが始まりです。めでたく皇子(後の清和天皇)がお生まれになられたことから文徳天皇勅願所となりました。その後(江戸時代)、藤原北家(花山院家:かさのいん)が帰依され、一統の菩提寺とされました。  *帰依(きえ):仏を信仰すること。信仰してすがること。
 ご本尊は、伝教大師が作られた延命地蔵菩薩です。秘仏で年一回8月23日がご開帳日です。等身大木像の坐像で、お腹に巻かれた腹帯で染殿皇后が安産されたことから腹帯地蔵尊とも呼ばれていて、子授けや安産を願う人達の厚い信仰をあつめています。花山天皇が観音霊場巡拝の際に、背負ったという観音をまつる。寺のお守りには、縁結び(恋愛・結婚成就)、子授け、安産(腹帯授与)、厄除け・開運、延命があります。

本堂:創建当時の伽藍(がらん)は応仁の乱で焼失しています。現存のものは寛延3年(1750)に再建されたものです。屋根は鳳輦形(ほうれんがた)という御輿をカタチどった非常に珍しい形です。内部天井の彫刻も独特の(手前が神社風で、奥側が寺風)意匠が施されていました。文化財指定。 庭園(三方普感の庭:さんぽうふかんのにわ):
寛延3年(1750)、右大臣藤原常雅公が本堂再興したときに造られたもので、高廊下、茶室、御殿の三ヶ所から、場所を変え見る人に様々な想いを感じさせる、いわば”心の庭”です。
・ 写真は御殿から見たもの。

◇十輪寺の所在地など
・ 京都市西京区大原野小塩町
481   ・TEL:(075)331−0154

十輪寺へは、JR向日町駅または 阪急東向日駅から阪急バス(66系統)善峯寺行きに乗り、「小塩」で下車、直ぐ近くです。


業平の塩竃跡

 平安時代の歌人・在原業平(ありはらなりひら)は、当時、勢いを増してきた藤原氏に抑えられ、政治的には不遇の日々をおくっていたようです。50歳過ぎからこの十輪寺に住み始めましたが、業平にとって、この大原野里は美しい自然と静かな環境に恵まれ、心を癒すのに都合が良かったのかもしれません。当時、貴族の風流な野遊びの一種に塩焼きがあります。

塩竃の跡


 業平は、境内の小高い丘に塩竃(しおかま)をもうけて、煙をたなびかせました。業平の母が十輪寺から北へ1キロ余り離れた大原野の上羽村に暮らしており、その母を慰めるためとも。また、忘れられない恋人・二条后(藤原高子)への思いを煙にたくしたとも伝えられています。業平には、煙の如く消え去った優雅な生活を惜しむ気持ちがあったのかも知れませんね。
 本堂の裏山には、業平が煙をたなびかせたという、塩竃の跡があります。
 塩竃は、直径5メートルほどの窪地の中で、周囲は円形にしめ縄が張り巡らしてあります。
 なお、境内の「なりひらモミジ」が色づく頃の
1123日、業平を偲んで塩焼きが再現されます。この日は大原野の里に、かっての日のように紫の煙がたなびきます。
 「小塩」という地名は、この塩焼きにちなんで付けられたといい、遠く難波津(大阪)から運んできた海水を溜めたと伝えられる、汐汲池が飛び地境内にあります。


■業平の墓
 在原業平は、父が平城天皇の皇子である阿保親王。母は桓武天皇の皇女である伊都内親王。天皇家にご縁があります。天長2年(825)に誕生、元慶4年(880)
528日、56歳で死去しました。十輪寺では毎年、命日にあたる528日、業平をしのぶ「業平忌三弦法要」 を行います。
 本堂横の細い道を登ると、見逃しそうな小さな石塔と出会います。それが業平の墓です。現在、この墓は恋愛・結婚成就にご利益があるとされ、多くの女性が訪れているようです。
  なお、京都大学の東にあるのが吉田山。その麓にある吉田神社(京都市左京区)の右手の山道を登った山頂近くに竹中稲荷社があり、その稲荷社の奥(北側)にも、業平塚がひっそりとあります。
  

十輪寺にある業平の墓 吉田山の竹中稲荷社・天満宮の後方にある業平塚

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