東福寺塔頭 即宗院(そくしゅういん)

臨済宗東福寺派 塔頭  山号:臥雲山
京都市東山区本町15丁目 

九条兼実の山荘「月輪殿」跡地で、幕末維新の舞台となった
 
即宗院は、
東福寺塔頭のひとつで、東福寺方丈の東側にあり通常非公開の寺院。即宗院の山門は、江戸時代初期の慶長18年(1613)の遺構で、左右に石造りの仁王像を配した貴重な建造物である。仁王像は木枠で囲まれているが、覗き窓から見える。石畳の参道を行くと市指定の名勝庭園となる。植え込みや苔、灯篭、池などが配置され、静かで落ち着いた庭である。
 この地は、平安時代後期に関白藤原忠道(ふじはらただみち)が御所の東御堂として建立したのが始まりで、三男の兼実(かねざね・公家九条家の始祖)に引き継がれ、兼実は建久7年(1196)、「月輪殿」と称し山荘として使っていた。山と樹林に囲まれ閑静な地にあり、寝殿造系庭園として広く知れた。明治になって一部が荒廃したが、昭和47年(1972)以降、順次整備がすすめられ往年の姿を取り戻してきた。平安時代以来の地割りを受け継いでいることや、月輪殿の滝跡の石組みの残存や池などが当時を偲ばせ、価値も高いため平成元年((1989)4月1日に京都市史跡に指定にされている。
 なお即宗院は、南北朝時代の元中4年(1387)、薩摩藩(鹿児島県)藩主島津氏久の菩提のため、藩との関係が深い東福寺第五十四世住持、剛中玄柔(ごうじゅうげんじゅ)和尚を開基として「月輪殿」跡地に創建されたのが始まり。その後、永禄12年(1569)に焼失したため、慶長18年(1613)に島津家によって再建され、以来島津家の菩提所として現在に至っている。
 境内の東の奥には、西郷隆盛と清水寺成就院の僧月照(法名忍向)などが倒幕へむけ密議を交わした茶室「採薪亭(さいしんてい)」(現存しない)や、謡いで有名な自然居士の石塔(墓碑)。西郷は、採薪亭に隠れ住み、ここからさまざまな令を発して維新の大業をやり遂げたという。また西郷は、慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦いに始まり会津若松の(白虎隊)東征が終わって、この間に戦死した島津藩士524柱(名)の事績を永く称えるため、当院に半年滞在し、斎戒沐浴(身を清めて)して自ら工事を監督し筆をとって銘文をつくり、顕彰碑を建立。その後、月照と西郷は京を離れ薩摩(鹿児島)へ逃れたが、月照は失意の中錦江湾に身を投じた。一方、西郷は大島へ流された。

境内 庭園 池は「心」の字体が表現されている

◇即宗院の所在地など
・住所:605-0981京都市東山区本町15丁目 
・電話:075-561-9200
・拝観:特別拝観期間のみ
・交通:JR奈良線又は京阪本線「東福寺」下車、東へ徒歩約10分、市バス「東福寺」下車徒歩10分

  西郷隆盛が建立した顕彰碑の入り口 島津藩士524柱の名が刻まれた顕彰碑


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