
奈良時代の後期に入ると朝廷の後押しを受け“賀茂の社”は上下に二分され、上社(じょうしゃ)を「上賀茂神社」
、下社(げしゃ)を「下鴨神社」とされ、総称して「賀茂神社」と呼称されるようになった。両社の祭祀権は朝廷へ移されたが、賀茂一族の子孫が祠官として奉仕してきた。更に平安京遷都(794年)後、王城の鎮護社となり伊勢神宮に次ぐ尊崇を受けることとなり、勅使による奉幣など国家の最高神として扱われる大神社となった。両社は、平安時代以来の古い仕来りを現在によく伝えるとして、平成6年12月、世界文化遺産に登録された。
右の写真は、賀茂川に架かる葵橋から北を望む。
下鴨神社
(しもがもじんじゃ) (正しくは賀茂御祖神社) 世界文化遺産
祭神:賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)
京都市左京区下鴨泉川町59
賀茂川と高野川が合流する三角地を只洲(ただす)河原といい、その北に広がる森を「糺(ただす)の森」(河合森とも呼ばれる)と呼ばれている。糺の森は、古代の山城北部が森林地帯であったころの貴重な森林が時代を経て残されており、国の史跡に指定されている。糺すとは、「正しくなす」・「誤りをなおす」の意味であるが、賀茂建角身命はこの森で集落の人々の苦情を処理していたことから糺の森と呼ぶようになったとする説もある。また、“糺
の森”の名前は、嵯峨天皇の時代(809〜822)、現右京区太秦に鎮座する「木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみむすび)神社」から遷され、下鴨神社の森を“糺
の森”、木嶋(このしま)神社の森を“元糺の森”と称するようになったとも伝承されている。
さて、下鴨神社であるが、この樹木の生茂る「糺の森」北部に本殿を構えている。本殿は賀茂建角身命を祀る西殿と玉依姫命を祀る東殿とからなる。正式社名は賀茂御祖神社(かもみおや)で、上賀茂神社の祭神(賀茂別雷神命)の祖父神(賀茂建角身命)と母神(玉依姫命)を祭神としていることから“御祖(みおや)”とされた。もとは、上下の賀茂神社は一つの神社で
、平安遷都以前からこの賀茂の地を支配していた豪族、賀茂氏が祀った“賀茂の社”が起こり。奈良時代後期に朝廷の後押しを受け分離独立。平安京遷都(794)後は王城の鎮護社とされ祭祀権は朝廷に移されたが、神官は賀茂県主がなっている。上賀茂神社とともに王城(平安京)鎮護の社とされ、伊勢神宮につぐ崇敬を得ていた。嵯峨天皇の御代以来、皇女が斎王として奉祀されるようになった。上下の賀茂社に仕える斎王は奉斎期間に常住したのは紫野斎院(上京区)であった。
糺の森には、二本の小川が流れていて、西側に流れる小川を「瀬見の小川」という。瀬見の小川に沿ってひたすら北へ向かって歩くと朱色の楼門。楼門を入って西側に出雲井於神社(いずものいのうえ)がある。祭神は建速須佐之男命(たてはたすさのおのみこと)で、井泉を祀る出雲郷雲上里の産土神。通称を比良木社(開き神・柊木神とも)とも。出雲郷は、山陰地方の出雲から亀岡盆地を経て賀茂社の社地に隣接した賀茂川右岸地域に生活圏を持った豪族。現在では“出雲路橋”の地名を遺している。
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| 太古の昔からの植生が保たれている「糺の森」。参道は森を一直線に北へ延びている | 御手洗社の前から流れ出た御手洗川は、糺の森では「瀬見の小川」と名を変えて流れる | 南口鳥居を潜った右手にある御手洗は、覆屋に透塀の中に置かれている。神水は、糺の森で育った樹齢600年のケヤキの桶にそそぐ。 |
本殿の東、小さな池を前にした御手洗社(井戸の上にあることから井上社ともいう)は、瀬織津(せおりつ)姫命を祭神としている。毎年土用の丑の日に行われる「御手洗祭」は有名。社前の池に足を浸けると夏痩せを防ぎ、病気にかからないといわれる。この祭は、右京区太秦に鎮座する「木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみむすび)神社」でも行われていた。
また、糺の森の「瀬見の小川」の西側にあるのが第一摂社の河合神社。正式名称は小社宅(おこそべ)神社で、はじめは賀茂社の社家に祀られていた屋敷神だったという。祭神は玉依姫命(神武天皇の母)である。元はここより少し南の賀茂川と高野川が合流する只洲(ただす)河原に在ったと伝える。二つの川が合流する河川敷にあったことから河合神社とされたらしい。小さな社であるが、本殿は本宮の本殿と同じ三間社、流造、桧皮葺である。「方丈記」の著者・鴨長明ゆかりの神社。糺の森の中央辺りにある神宮寺跡は下鴨神社の神宮寺で、明治の廃仏毀釈で廃絶させられ他らしく、現在は池の礎石が残るのみである。
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| 楼門 | 楼門を入って西側に鎮座する出雲井於神社 | 境内。右奥に神が祀られている |
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| 「御手洗川」と「輪橋(そりはし)」 | 御手洗社/土用の丑の日に社前の池に足を浸けると夏痩せを防ぎ、病気にかからないとの信仰がある | 5月15日に執り行われる葵祭(賀茂祭)の行列 |
祭礼で有名なのは、都大路に王朝絵巻を繰り広げる「葵祭」。京都三大祭(祇園祭・葵祭・時代祭)の一つの「葵祭」は、上下の賀茂神社の祭事。毎年、5月15日に執り行われていて正しくは「賀茂祭」という。「葵祭」と呼ばれるようになったのは、神前や祭に供奉する人々が冠帽や飾った葵に因んでいるという。この葵祭は、既に平安時代には盛大に行われていて、「源氏物語」第四章には源氏の君の妃であった葵の上と、六条の御息所の車争いが書かれている。これは良い場所で祭り見物を行おうとするために起こったもの。王朝絵巻さながらの衣装を身にまとった優雅な行列は、京都御所から下鴨神社を経て上賀茂神社へ到着する。賀茂祭の起こりは明確でないようで、平安遷都以前に既に行われていたようだが、当初は五穀豊穣祈願であったようだ。遷都後に賀茂神社が、朝廷の尊崇を受けるようになってから祭りの形態も斎宮が牛車に乗る現在の形式に変化してきたという。
◇賀茂御祖神社(下鴨神社)
・住所:〒606-0807京都市左京区下鴨泉川町59 ・電話:TEL 075-781-0010
・拝観:境内自由 (社殿拝観は10:00〜16:00 大人500円)
・アクセス:京阪本線「出町柳」駅、叡山電鉄「出町柳」駅下車、徒歩7分。又はJR京都駅前から市バス205番「下鴨神社前」下車すぐ。
・下鴨神社のURL: