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平重衡(しげひら)の墓 / 日野の里
地下鉄東西線「石田」駅の2番口を出て、日野通を20分間ほど東(正確には東南)へ向かって歩けば、そこは
“日野の里”と呼ばれている地域となる。また、逆に西(正確には北西)へ向かい山科川を渡ると“小栗栖(おぐりす)の里”となる。
“日野の里”は、近年宅地開発が進んできたとはいえ、まだ静かな山郷といえる。古代の行政区分では山城国宇治郡日野郷にあたり、奈良時代以降、藤原北家の藤原真夏(まなつ)の子孫にあたる日野家の伝領地
だったことから、日野家由来の法界寺や日野誕生院など古い社寺がある。平安時代になると天皇や公家の遊猟地とされ、桓武天皇は何度か猟に訪れたとの記録があるという。この“日野の里”までは最寄り駅から1時間に2便ほどバスが通っているが、天気の良い日を選び、徒歩で行かれることをお勧めする。日野家ゆかりの寺院の他、「方丈記」を著した鴨長明の庵跡や木津川のほとりで斬殺された平清盛の五男・重衡(しげひら)の墓。また、少し北へ歩くと真言宗醍醐寺派の一言寺もある。
●平重衡(しげひら)の墓 ・・・・・ 伏見区醍醐外山街道町 (そとやまかいどうちょう)
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![]() @墓苑の角に「従三位平重衡卿墓」と刻された石碑が立つ |
![]() A墓苑の周囲は団地で、公園の役割をしている |
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平重衡(たいらのしげひら)の墓は、法界寺門前の道を北(一言寺の方向)へ向かい、合場川を渡り300mほどのところ、やすらぎ公園横に「従三位平重衡卿墓」の石碑が立っている。この地は、重衡の妻、輔子・佐局(すけのつぼね)が壇ノ浦の戦いの後、しばらく隠棲していた姉の邦子(大夫三位/だいぶざんみ)の住まいがあったところ。 |
![]() B墓碑近くに、植えられた梅の若木が花を咲かせている |
![]() C安福寺(木津川市)境内にある重衡の供養塔 |
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重衡は、平清盛の五男。平氏の大将として治承4年(1180)12月、平氏に従わない南都(奈良)の衆徒に対して見せしめとして興福寺・東大寺大仏殿などの寺院を焼討、いわゆる「南都焼討」を 行い仏教界の強い恨み(特に南都)をかった。ところが、寿永2年(1183)、平氏一門は源義仲が率いる源氏軍に敗れて京都から離れ西国へ向かう(都落ち)、翌3年(1184)一ノ谷の合戦では源氏軍(源範頼・義経)に大敗。この戦いで重衡は捕らえられ鎌倉(源頼朝のもと)へ送られた。平氏は文治元年(1185)3月、長門(ながと)壇ノ浦で滅亡。平氏滅亡を知った南都の衆徒は、焼討の張本人である憎き重衡の身柄引き渡しを鎌倉(頼朝)に要求。要求は聞き入れられ、同年6月に源頼兼護衛のもと 鎌倉を出立。しかし、重衡は罪人のため京の都へは入れず、近江(滋賀)・大津の逢坂ノ関 を過ぎると山科で奈良街道(醍醐路)を南下して日野村を経て南都(奈良)へ護送された。日野村へ入ると重衡は、壇ノ浦の戦いで、建礼門院・徳子ら他の女官たちとともに入水するが助け上げられ、この日野に住む姉の邦子(大夫三位)の住いで隠棲していた妻の佐局(すけのつぼね)との再会を警護の者に頼み許しを得て再会。形見として前髪数本と着ていた衣服、それに一首の歌を与えたという悲しい場所がこの地である。重衡の身柄を引き取った 南都の衆徒は、その処置について協議。市 中引き回しの後、鋸で首を斬る、また生きながら体を土に埋めて首を斬るなどの意見がでたが、老僧たちの判断で警護の兵士により木津川の河原で処刑することとなり、木津川の河原で斬首された。 文治元年(1185)12月28日、享年29歳。重衡の遺骸は捨て置かれ、首は南都・般若寺(はんにゃじ)の大鳥居の前に釘付けに された。佐局は、晒されていた首と遺骸を僧重源(ちょうげん)の助けを受けて引き取り、荼毘したのち高野山へ送り、この地(日野)に墓を作った。その後、佐局は落飾(出家)し、大原の寂光院で建礼門院に仕えながら重衡の菩提を弔った。その後、法界寺を建立した阿波内侍とともに 建礼門院の極楽往生を看取った。なお、重衡 が斬首された木津川堤防近くにある安福寺境内に重衡の供養塔がある。安福寺は、JR奈良線「木津」駅を北へ徒歩10分ほどのところにある。安福寺の北西、JR奈良線を挟んで西側に「首洗池 (くびあらいいけ)」と「不成柿(ならずがき)」がある。池は重衡の首を洗ったと伝える池で、傍の柿の木は重衡が首を 斬られる前に、名残りに食べた柿の種を里人が哀れに思い植えたもの。成長したが実が成らないことから「不成柿(ならずのかき)」と呼ばれるようになったという。なお、現在の木は代替わりして秋には実が成っている。また、安福寺の本堂を、重衡の引導仏と伝えられる「阿弥陀如来像」を祀ることから「哀堂(あわんどう)」とも呼んでいる。重衡は、処刑される前、近くの寺から阿弥陀如来像を持ち出し木津川の土手に安置、その像の片手に紐を架け一方を重衡が持って「浄土に迎えられますように」と念仏を唱えながら斬首されたと伝承されている。その阿弥陀如来像を本尊として安置しているのが安福寺の本堂。
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