
赤山禅院(せきざんぜんいん)
天台宗 比叡山延暦寺別院 赤山禅院 ・都七福神巡り「福禄寿」札所
京都市左京区修学院開根坊町18
平安京の表鬼門
の守護神、赤山大明神を祀る
赤山禅院は、11月中旬頃からの紅葉が美しい寺として知られている、比叡山延暦寺の別院。紅葉は境内の池の周りが特に美しく、平安時代は池に船を浮かべて宴が催されたという。赤山禅院へは、市バス「修学院
離宮道」で下車し、音羽川沿いの修学院離宮道を東へ、住宅街を進む。案内標識に従い、いくつかの角を曲がって行くと右手に鳥居があり、赤山禅院と書かれている。鳥居からは緩やかな坂道となる。山門を入ると、両側の木の枝が参道を覆し太陽を遮る。更に進み、
突き当たり左の石段を登ったところに堂宇が並ぶ。
赤山禅院は、仁和4年(888)、天台座主・安慧(あんえ)が、師の慈覚大師円仁の遺命によって比叡山延暦寺の別院として創建
されたのが始まり。本尊は天台宗守護神の赤山大明神(陰陽道の祖神・泰山府君)。第三世天台座主・慈覚(じかく)大師円仁が遣唐使で中国に渡り天台教学を修めて日本への帰路の途中で出港地・泰山にある山の神(泰山府君=赤山大明神
)に航路平穏を祈願、無事に帰国できたことを感謝し、比叡山へ勧請しようとしたが生存中に果たせなく高弟の安慧へ託した。当初は比叡山横川に祀られたがその後、この地に遷座している。その後、後水尾上皇の修学院離宮行幸の折、社殿の修築及び赤山大明神の勅額を賜っている。
![]() |
![]() |
![]() |
||
| 正念珠を潜り赤山大明神参拝する | 柱には「皇城表鬼門」の札が架かる | 比叡山延暦寺・横川の赤山宮 |
本殿屋根に祀られた王城守護の猿。この猿は、京都御所の鬼門(東北角の「猿ヶ辻」と呼ばれところ)に祀られた猿と向かい合っている。いずれの猿も金網の中に入れられているが、これは夜になると道行く人に悪さをしていたので、懲らしめのためという。
![]() |
![]() |
![]() |
||
| 拝殿の屋根に奉られた王城守護の猿は御所に向かっている | 御所の東北角、「猿が辻」と呼ばれている築地塀の上方に奉られた守護の猿 | 福禄寿を祀る |
赤山大明神は、仏教の閻魔王に準じる冥界の神とされ、インドでは深沙大王、中国では泰山府君と呼ばれている。毘沙門天に似た武将を想わせる
姿をしているが、人の生死や寿命、福寿を司る延命富貴の神様。天台宗を守護する護法三十番神の一神。江戸時代のいつ頃からか、赤山大明神の賽日(さいにち)「申(猿)の日」の五日に”赤山さん”にお参りすると
掛け寄せ(集金)がスムーズにいくとの噂がたち、”赤山は集金の神様・商売の神様”との信仰が始まる。現在でも商売繁盛を願って集金前の早朝にお参りに来る人もあるそうです。「五十払い(ごとばらい)」の始まり。また、この地が王城(平安京)の東北(表鬼門)に位置することから方除けの神としても人々から崇敬されている。
天台宗比叡山延暦寺には千日回峰(せんにちかいほう)という荒行がある。1日も休まず、日に峰々を30km歩き、270箇所での礼拝を千日間続ける修行。この行の701日から800日の間は、比叡山から赤山禅院への往復30kmの(赤山苦行と言われる)荒行が加わる。
赤山禅院境内は、赤山大明神を祀る本殿の左側の地蔵堂に始まり、順路に従い境内を進むと、「都七福神巡り」に挙げられている福禄寿を祀る堂
の他、幾つかの小さな祠がある。順路の最後が瀧籠堂で環珠法の輪を潜るとスタートの寺務所前になる。
|
◇赤山禅院の所在地など
|
![]() |
| 修学院から比叡山へ登る”雲母坂”があり、その道沿いに祀られていた不動尊を祀る地蔵堂 |