晴明神社(せいめいじんじゃ)

祭神:安倍晴明・倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
京都市上京区堀川通一条上る清明町806

天才陰陽師・安倍晴明を祀る
 晴明神社は、平安時代の最も有名な陰陽師(おんみょうじ)安倍晴明を祀っている。場所は、上京区の堀川通今出川を南へ下った西側。晴明神社が全国に知られるようになったのは近年といえる。小説「陰陽師」(夢枕獏著1988〜)、コミック「陰陽師」(岡野玲子作1993〜)、映画「陰陽師」(監督滝田洋二郎・東宝2001〜)などの作品を通じてブームが巻き起こり、全国に知られて崇敬者が神社を訪れるようになった。
 陰陽道は推古の時代、朝鮮半島の百済から日本へもたらされた。推古10年(602)、僧の観勒(かんろく)が「陰陽道書」を日本へもたらし官僚は中国伝来の陰陽道を習い始めている。陰陽道は、古代中国の自然哲学の陰陽(いんよう)・五行(ごぎょう)説が源。星の動きから自然を読みとり暦を作成し吉凶を予言すること。正確な暦を作ることは、民衆を統括する支配者に欠かすことのできない知識。陰陽道が受け入れられ、内務省管轄下に陰陽寮が設けられている。その職務は、大きく分け事務を行う事務部門と陰陽・暦・天文・濾剋を行う技術部門とで構成。陰陽道は陰陽寮の下、公的利用され始めたという。ところが、奈良時代から平安時代初期にかけ、政変・内乱、疫病が相次いで、貴族たちは神の崇とか、政敵者の怨念の仕業と考えた。陰陽寮へ吉凶の予言に加えて、日常生活の吉凶判断や解決に導く方策を要求。陰陽師は積極的に災厄を払うようになる。やがて陰陽寮で働く職員全てを陰陽師と呼ぶようになり日本独自の宗教的陰陽道が生まれた。天才陰陽師安倍 晴明(921〜1005)の出現である。

多くの修学旅行生で賑わう 。ここで、厄鬼をはらう追儺(ついな)など、都を護る様々な儀式が行われた 陰陽道の護符である五芒星が刻まれた晴明井。晴明の念持力で湧き出たといい、飲むと悪病難病が治ると伝える。 本殿は昭和3年(1928)に再建された

 安倍晴明は、康保4年(967)47歳で陰陽師っとなっている。その後、朱雀天皇から村上、冷泉、円融、花山、一条の六代の天皇の側近をはじめ藤原道長など貴族の天文・陰陽博士として仕えている。一条天皇に仕えていた寛弘2年(西暦1005年)9月、85歳でこの世を去った。2年後、一条天皇は晴明の遺業は非常に尊いものであったと、 晴明の邸宅跡に一宇を設け御霊を祀ったのが晴明神社の始まり。
 資料によると創建時の敷地は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通と、現在と比べものにならないほど広大。しかし、応仁の乱の戦火や豊臣秀吉の都市改造、天明の大火などにより次第に敷地が縮小。併せたように社伝書や宝物なども散逸するなど酷く荒れ果てた。見かねた地元の氏子が中心となり嘉永6年(1853)式年祭に合わせて再建。以後、明治11年、明治36年、昭和3年、昭和25年、平成15年と整備改修を重ね、現在の姿となった。屋根瓦、提灯などに「 晴明桔梗紋」という一筆書きの星の紋がついてる。これは陰陽道で用いる呪符(じゅふ)で、魔除の力があるとされる。
 安倍晴明には不明なところが多い。親なしの化け者にはじまり、右大臣大善大夫益材(だいぜんだいふますき)の子とか、保名(やすな)という男と白狐が化けた葛葉(くずのは)という女との間にうまれた子などいろいろ。ありえない話しである。また、出生地も大阪市阿倍野区阿倍野の安倍 晴明神社・安倍王子神社に始まり、香川県香川郡、茨城県真壁郡など。住居も現晴明神社が屋敷跡と説明されているが、異説も見られる。上京区中立売通新町の京都ブライトンホテルが建つあたりとする説、東山区本町通十丁目下池田町の一橋小学校の南にあった「一ツ橋」のあたりという説。2001年山下克明氏の書によると、京都ブライトンホテルの駐車場西端部が邸宅跡地という。安倍氏は、永徳4年(1384)から土御門(つちみかど)家と公称しており、ホテル付近にある土御門町、元土御門町の町名がこれを伝えているように思える。
 また晴明塚(墓)は全国に分布する。北は茨城県から千葉県、神奈川県、静岡県、長野県、愛知県、岐阜県、福井県、和歌山県、大阪府、京都府、兵庫県、岡山県、広島県、香川県、福岡県まで。最も確証が高いとされるのが京都・嵯峨の「晴明墓所」で、 晴明神社飛び地境内にある。その場所は、右京区嵐山の渡月橋(とげつきょう)から左岸を下り、細い路地裏に位置する。墓所は写真のように立派な鳥居で囲われ、没後970年記念の石碑が真ん中に して奥に墓が位置している。
 京都の陰陽寮で働いていた遅咲き陰陽師(安倍晴明)の伝説がなぜ全国的なのか?国の役人といえども薄給で生活が苦しく、中には地方へ下り居つく陰陽師もいたとか。いつしか民間の占い師となり、地方の陰陽師となる。これらの陰陽師と都の陰陽師(安倍 晴明)と同一化され、伝説化しているのではと私は考える。

境内に再現された昔の戻り橋 嵯峨・嵐山にある「安倍晴明墓所」 神紋「 晴明桔梗紋」に因みうえられた桔梗

 一条戻橋は、一条通りを横切って流れる堀川にかかる橋で、晴明神社の少し南のある。橋の下にはが自分の意のままに操ることのできる式神(鬼神)を住まわせていたという伝説が残る。現在の一条戻橋は新築されたもので、昔の橋・欄干は晴明神社(晴明住居跡に建立)で見ることが出来る。

◇清明神社の所在地など
・住所:京都市上京区堀川通一条上る清明町806   ・電話:電話:075-441-6460
・拝観:境内自由
・交通:市バス「一条戻り橋」下車、北へ徒歩約2分。地下鉄烏丸線「今出川」下車、西へ徒歩約6分
・ホームページ:清明神社 http://www.seimeijinja.jp/

現在の「戻り橋」

●名所旧跡めぐり ・目次へ戻る   ●トップへ戻る