清閑寺

宗派:

真言宗智山派

 

 

せいかんじ

山号:

 

 

 

 

住所:

京都市東山区清閑寺歌の中山町3 (清閑寺山ノ内町)

 

 

 

電話:

 075-561-7292

 

 

 

拝観:

7301630・冬季は1600まで  拝観所要時間:約10

拝観料:

志納

 

交通:

京阪バス「山ノ内町」下車、徒歩約4分。

 

 

 

駐車:

数台可能

 

 

高倉天皇の菩提を弔って過ごした小督局終焉の地

 徒歩で清閑寺へ行く方法は二とおりある。一つは、東大路通馬町から渋谷通りを東へ向かう緩やかな登り坂を行く(左側を歩くこと)と、やがて五条通の延長(国道1号線)と出会う。その手前に国道の向かい側へ抜け出る歩行者専用地下道(車不可)あるので、その道で国道を越える。地下道を抜けたら右へ行き、「京都一周トレイル」の案内柱を越え左手に折れて突き当たりの石段を登ると目の前 が清閑寺である。東大路通馬町から歩き方にもよるが20分間は必要だ。もう一つは、清水寺境内の塔頭泰産寺(たいさんじ)の南(南門?)から外へ出て10分ほど静かな林道(歌の中山)を歩くと清閑寺へ行ける。こちらは清水寺の拝観をしなければならない。
 車でなら、五条通(国道1号線)を東へ、東大路通を越えて、トンネルの手前左側の東山ドライブウエイへ向かう道へ入ると直ぐにある。観光地から少し離れたところにあり、訪れる人も少ない。私鉄のバスが通っているが、本数が少ない。他府県から観光で来て 徒歩では不安に思われたならタクシー利用をお薦めする。
 さて、
交通の便に恵まれていないためか、拝観者は自分一人。門前に六条天皇・高倉天皇稜があり、その右手の石段の上にある。寺伝では、延暦21年(802)天台宗の紹継(しょうけい)によって創建された寺との説明。後に荒廃し、一条天皇(9861011)のとき、伊予守の佐伯公行(さえききんゆき)により再興され勅願寺とされた。その時、菅原道真が梅の木で彫ったという十一面観音菩薩を本尊としている。(なお、大治4年(1129)に火災に遭ったが直ぐに再建されている)。安元2年(1176)に六條天皇を、養和元年(1181)には高倉天皇を境内に埋葬したことから皇室から尊崇されることになり寺は栄え、法華三昧堂(ほっけざんまいどう)や宝塔等の伽藍が並ぶ広大な寺域であったという。現在、天皇を埋葬した所は寺の背後となり宮内庁管轄の天皇稜となって いる。

清水寺塔頭の泰産寺横から林道を10分ほど歩くと3本の石柱が天皇稜へ案内してくれる 天皇陵にたどり着く(右手の石段を登ると清閑寺)。 六条天皇稜・高倉天皇陵 (清閑寺稜)の正面。この近くに小督局の塚があるとされるが、行くことはできない。
     
天皇陵右手の石段の上に清閑寺がある 拝観料は志納で、張り紙の上のポストへ入れる 山門を潜った正面に小督局の宝筺院塔(奥)

 その後、寺は応仁の乱(146777)で焼亡したが、慶長年間(15961614)には紀州(和歌山)根来(ねごろ)寺の性盛(しょうせい)により本堂のみ復興された。さらに江戸時代に入り、平等寺(因幡薬師)の兼帯寺となり真言宗智山派に属し、現在に至っている
 
山門を潜ったらすぐ正面に大きな宝筺院塔が二つある。奥の楓の下にある、やや小さいのが平家物語に登場する小督局(こごおのつぼね)の宝筺院塔。小督局は、高倉天皇の中宮(建礼門院)徳子に仕えた女官で宮中一の美女であり琴の名手であったという。天皇の寵愛を受けたことから、中宮(徳子)の父である平清盛の怒りをうけ
て宮中から追い出され、嵯峨野の小さな庵で隠棲させられる。小督を忘れきれない天皇は、笛の名手で宮中で何度も小督と合奏したことがある源仲国に探させる。源仲国は、嵯峨の渡月橋辺りで琴の音を聞き小督に違いないと思い、仲国も笛を琴の音に合わせて吹き、小督を見つけ天皇の真意を話し御所へ連れ戻す。しばらくして、小督は範子内親王を出産。これを知った清盛は激高して親王を取り上げ、出家(清閑寺)させた。しかし、生まれつき体が弱かった天皇は、養和元年(118121才で崩御された 。天皇は、直前に「小督局のいる清閑寺に葬ってくれ」と言い残されたため遺言により清閑寺に埋葬された。悲しみの小督はすぐに御陵近くに庵をつくり、44才で亡くなるまで天皇の菩提を弔って過ごしたという。現在も高倉天皇の御陵の傍に、小督の墓があるとの説明はあるが、近寄れず確認できなかった。同様の逸話は、嵯峨にある智福山法輪寺にもあり、本堂背後に小督塔(非公開)があるという。

祠の前の石橋に「琴きき橋」と書かれているが、琴聴橋とも駒(馬)留橋とも呼ばれ、仲国が「想夫恋」の曲を聴いたところ 嵯峨に身を隠したときの仮住まいが、この「小督塚」辺り。の写真の直ぐ近くにある。 渡月橋北詰めに立てられた
「琴きき橋跡」の石碑。
(橋を渡ると法輪寺がある)

 清閑寺には鐘楼後方の高台に茶室「郭公亭(かっこうてい)」あった。この「郭公亭」は荒廃のため平成3年に解体されたが、幕末の安政5年(1858)ごろ、西郷隆盛と清水寺成就院住職の月照上人勤皇の謀議を重ねたことで知られた茶室跡である。
 
境内の奥に要石(かなめいし)と呼ばれる大きな石がある。この位置から京都市街(南方)が広角度によく見える。ちょうどこの位置が扇の要に当たることからこのように呼ばれている。この石
に願いを掛けると叶うという信仰 もある。
 京都の焼き物といえば清水焼が知られたいるが、実はこの辺りは京都の陶磁器の発祥地。清水焼が生まれる以前の奈良時代の
天平年間(72949)に、行基東山で窯を造り土器をつくり始めたというのがこの清閑寺領の一角。時代が下って、茶道が盛んになり茶器が多く造られる江戸時代初期頃から清閑寺窯から発展して、清水焼、粟田口焼(粟田焼)、御室焼、仁和寺焼などの焼物(窯)が生まれ、これらを総称して「京焼」という。
 清水寺から清閑寺までの林道を「歌の中山」というが、この道は昔は紅葉の名所であったらしい。私が拝観に訪れたのは初春で季節はずれ、紅葉の季節にもう一度訪問しよう。

菅原道真が作った本尊十一面観音像を安置する本堂 鐘楼の背後高台に茶室「郭公亭(かっこうてい)」があった。 要石、背後に京都市外の南部が一望できる
東大路通馬町から徒歩で清閑寺へ行くには(所要時間、20〜25分ほど)

@東大路通馬町から渋谷通(街道)を東へ
500mほどで右側に正林寺

Aさらに500m行くと五条通(国道1号線)
を越える歩行者専用地下道。

B地下道を潜って右に進むと公益社
(葬儀社)がある。建物の角を左へ行く。

C建物の角に「京都一周トレイル・16-1」の
案内柱があり、図に”清閑寺”が見られる

D案内柱の向かいの角に天皇陵参道を示
す石柱(写真左奥の石段を登る)

E石段を登るとそこにも天皇陵参道の石柱と
「京都一周トレイル・16-2」の案内柱もある

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