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清涼寺(せいりょうじ) 通称:嵯峨釈迦堂
浄土宗知恩院派 五台山 清涼寺

清涼寺の前身は、光源氏のモデルとされる嵯峨天皇・皇子の源融(みなもととおる)の山荘「棲霞観」(せいかかん)で、融が亡くなって棲霞寺と改めらたが、天慶
本堂(釈迦堂)の裏に放生池があるが、池の中の二つの小島には弁天堂と忠霊塔が建つ。忠霊塔の地下には、各戦争犠牲者の霊を弔う写経石が一万数千個(一石一字)、また沖縄ひめゆりの塔、その他、各戦跡で集められた血染めの小石が納められている。本堂(釈迦堂)に安置されている本尊は、日本三如来の一つで三国伝来(インド〜中国〜日本)の生身の釈迦如来として尊祟されている。
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| 薬師堂脇の生の六道石柱:小野篁が冥土と現世を往復していた“生の六道” | 豊臣秀頼公の首塚:大阪城の三の丸跡発掘現場から出土。 | 本堂(釈迦堂) :元禄14年(1701)に再建されたもの。 |
さて、西門近くの「薬師寺」(旧福生寺)の脇に「生の六道」の石柱がある。嵯峨釈迦堂の東隣が六道町で、昔はそこに福生寺があり六道の辻があったという。小野篁が冥土と現世を往復していた、冥土への入口“死の六道”が六道珍皇寺に対し、冥土から現世へ戻る出口“生の六道”が福生寺(現薬師寺)と伝えられている。
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| ちょう然の墓:開祖ちょう然上人 | 放生池の小島に弁天堂: | 阿弥陀堂 :嵯峨天皇の第12皇子・源融公(光源氏のモデルとされている)の没後、遺族が御堂を建てた。これが阿弥陀堂の始り。 | ||
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| 一切経蔵:徳川中期の建築で、中には一切経をおさめた輪蔵があり、回すことで一切経を読んだことになる。 | 愛宕権現社 :火除の神・愛宕権現を鷹ヶ峰から愛宕山頂へ移す時、ここで祀った跡地。神仏分離(明治時代)以前はここで神事が行われていた。 | 聖徳太子殿:境内の西南隅にある。 | ||
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| 鐘楼: 梵鐘には文明16年(1484)11月の日付と足利義政・義尚・日野富子など堺の商人のながきざまれている。 | 源融(みなもととおる)の墓:多宝塔の裏にある宝篋印石塔 | 多宝塔:内部に多宝如来がまつられている。 |
◎嵯峨釈迦堂(清涼寺)の所在地など
京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46 TEL(075)861−0343
・市バス大覚寺行き「嵯峨釈迦堂」下車、徒歩約1分 ・JR嵯峨野線(山陰線)「嵯峨嵐山」下車、徒歩約15分
・拝観料:300円