<大原散策>

 大原の里は、比叡山の北西山麓。京都から福井への街道(小浜街道:京都から福井までの道で、小浜で獲った魚を京洛へ運ぶ道として使われたため、鯖街道の別名でも知られている)筋にある豊かな自然が残る山村。その昔、京洛で生活していた貴族や比叡の僧侶などが静かな生活を求め隠棲したことから、山間には幾つかの寺院が残る。これら寺院は、比叡山の天台系寺院で、声明修業の僧院として開かれている。
里に点在する寺院を、来迎院→三千院→勝林院→宝泉院→実光院→寂光院→阿弥陀寺と巡ります。


宝泉院 宗派: 天台宗 勝林院塔頭子院
ほうせんいん 山号:
住所: 京都市左京区大原勝林院町187
電話: 075−744−2409
拝観: 9:00〜17:00 拝観料:600円(抹茶・菓子付き)
交通: JR京都駅から京都バス「大原」下車、徒歩約15分。京都バスは京阪電車の「出町柳」からも乗れます。
京都市内から大原方面への京都バス始発停留所・時刻は「京都バス」のホームページで確認ください。

 勝林院を出てすぐ西へ進む細い道を行くと宝泉院がある。道の傍らには、法然上人が腰掛けたと伝える「法然上人腰掛石」があり、その右手奥になる。細い道を進むと宝泉院の門。 瓦葺の門をくぐると、石畳の小路は二つに分かれていて、真っ直ぐ行くと旧玄関で、その前に大きな石があり、傍に「法然衣掛け石」と明示されている。右が現在の玄関。

 

   
旧玄関前の法然上人衣掛けの石   玄関を入り、小さな木槌で板を叩くと奥から係の方が出てこられる。   抹茶(菓子付き)が運ばれてきます。

 宝泉院の拝観受付は玄関で柱に吊るされた板を木槌で叩くと、奥から人が出てこられる。客殿へ進むと先客がおられ、適当なところに座り、庭園を見ていると抹茶が 運ばれてきた。宝泉院の見所は何といっても庭園。客殿の奥に座ると景色が一番美しく見えるという。左右の柱、鴨居、敷居を四角の額縁に見立て、その奥に見える庭園を「額縁庭園」といわれている。西の額縁庭園は、緑の美しい楓と竹林。今は緑一色だが、秋には楓が紅葉して美しさが増幅することだろう。南の額縁庭園は樹齢700年余り、見事に手入れされた五葉の松を見ることができる。客殿から見えるこの庭の名は「盤桓園(ばんかんえん)」といい、立ち去りがたいとう意味らしい。

   
客殿の柱と柱を額縁に見たてた「額縁庭園」盤桓園(ばんかんえん)の西方。   盤桓園(ばんかんえん)南方の五葉ノ松   西庭の広縁そばの水琴窟があり、竹筒に耳を当てると澄んだ優しい音色が楽しめる。
   

他の部屋も、部屋から見る庭園は、それぞれに趣きを感じさせる。

 庭園を近くで見ようと広縁に出て、何気なく天井をみて驚いた。血痕があちらこちらに残る「血天井」である。説明によると、慶長5年(1600)7月、伏見桃山城での出来事。城の留守居をしていた鳥居元忠(もとただ)ら1800人は、小早川秀秋ら4万人の軍勢に攻め込まれ陥落、元忠は自刃したという。徳川家康は城を留守にしていて難を逃れたが、忠義を尽くした元忠の志を仰ぎ見ることが最大の供養として、血痕の残る床板を、家康に縁のある京都の複数の寺に移している。その一つが、この宝泉院の「血天井」。

 

   
  自刃した武将の霊を慰み、供養するため、自刃した場所の血痕が残る床板を天井に使い祀った「血天井」。   当院の住職で声明の大家である深達僧正(明治時代)が音律を調べるために愛用したサヌカイといわれる美しい音が出る石盤。  

 宝泉院は、大原寺(勝林院)住職の坊として平安末期の寿永2年(1183)にはじまるが、現在の建物は形式からして江戸時代の初期とされている。 客殿からの額縁庭園だけでなく、茶室から見える庭園も美しく、印象に残る宝泉院でした。宝泉院を出て、来た道を戻る。


 


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