
大徳寺
黄梅院(おうばいいん)
臨済宗大徳寺派 塔頭 黄梅院
京都市北区大徳寺町

千利休作庭の池泉式枯山水庭園をもつ塔頭寺院「黄梅院」
黄梅院は、織田信長が28歳で入洛した永禄5年(1562)、父・信秀の追善菩提のために春林宗俶(しゅんりんそうしゅく)和尚(大徳寺第92世住持)を開祖として建てた庵「黄梅庵」が始まり。織田信長は本能寺の変(天正10年(1582)6月)で亡くなり当地に密葬されたが、その後、秀吉は主君の塔所としては寺領が小さいとし、山内の別のところに「総見院」を建立し移し信長の菩提所としている。寺名の総見院は信長の法名にちなむ。
その後、小早川隆景が開基となり毛利輝元はじめ歴代が檀越として天正14年(1586)本堂を造営、隆景の死後、隆景の法名をとり黄梅院に改称された。庫裡は天正17年(1589)造営で、茶室「昨夢軒(さくむけん)」などがある。
本堂南側の枯山水庭園「破頭庭(はとうてい)」は、手前半分に白砂が敷かれ、奥半分は一面を苔で覆われた中に二つの石が配置された、シンプルな作庭。大書院南側の庭園「直中庭(じきちゅうてい)」は、秀吉の希望により千利休が66歳のときに作庭したと伝えられている枯山水庭。中央に石橋が架かっている瓢箪型の枯池で、対岸左手側に配置されている大石が庭のポイントといわれている。また、加藤清正が朝鮮から持ち帰ったとされる朝鮮灯籠が左側に見える。なお、加藤清正は、朝鮮伝来の梵鐘も寄進している。
客殿の襖絵は雲谷等顔(うんこくとうがん)筆の水墨画「竹林七賢図」は重要文化財に指定されており見所のひとつ。院内には、多数の茶室がある。一般拝観者は墓地に入れないが、小早川隆景夫婦の五輪塔や毛利元就夫婦の墓碑などがある。静かで落ち着いた寺院である。
黄梅院では、庫裡前庭以外は撮影禁止のため、文章に対応した写真がありません。ここに掲載した写真から本庭の美しさを想像してください。
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| 庫裡(重文)/天正17年、小早川隆景寄進の庫裡は日本最古とされる | 庫裡前庭/新緑と苔が眩しい | 唐門(重文)/正面の奥に見える |
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| 本堂前庭「破頭庭(はとうてい)」 | 本堂北庭「作仏庭(さぶつてい)」 | 鐘楼/鐘は朝鮮伝来で加藤清正の寄進 |
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◇大徳寺 黄梅院の所在地など |
右の写真は、山門を潜った右手にある石柱。左から
蒲生氏卿公墓地 |
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