「哲学の道」沿いの社寺哲学の道若王子神社大豊神社霊鑑寺安楽寺法然院銀閣寺白沙村荘


若王子(にゃくおうじ)神社

  「哲学の道」の南の起点となる若王子橋の近くにあるのが若王子神社。正しくは熊野若王子神社という。東大路丸太町の北西角の熊野神社、東大路七条を南へ5分ほどの所にある新熊野(いまくまのと読む)神社の二社と共に、京都三熊野の一社である。
 若王子神社は祭神として、天照大神、伊佐那岐(いざなぎ)命、伊佐那美(いざなみ)命、国常立(くにとこたち)命が祀られていて、天照大神の異名「若一王子」からとった社名である。

 神社は“若王子さん”と呼ばれ、縁結びの神様として若い人達に人気で、お参り帰りに哲学の道を散策されている。また境内末社の恵比須社で祀られている恵比須大神は、かっては西洞院中御門(椹木町)あたりの蛭子社で祀られていたが、応仁の乱で神だけ残し焼失、その後この若王子で祀られるようになったとか。蛭子社の傍を恵比須川が流れていたが、現在では“夷川通り”の名だけが残っている。勿論、この恵比須社へは開運・商売繁盛を祈願する人のお参りがある。

 若王子神社は、永暦元年
(1160)、後白河法皇が紀州の熊野権現を永観堂禅林寺の守護神として分霊を迎えられ祈願所とされ、禅林寺新熊野社・若王寺と呼ばれたこともある。室町時代には、足利尊氏、義政などが境内で花見の宴を催したという記録がもある。その後、明治初年の神仏分離によって独立した。
 なお、この神社の御神木「椰(なぎ)」の葉で作られたお守りは、あらゆる悩みをナギ倒すとして人気だそうですよ。

 いよいよ哲学の道を歩き始める。若王子神社から疏水に沿い下流(北)へ100メートルほど、二つ目の橋の向かい側、 疏水縁に「宗諄(そうじゅん)女王墓」がある。宗諄女王は、伏見宮貞敬親王の第九王女として、文化13(1816)に生まれた。4歳の頃から霊鑑寺に入り文政6年(1822)に得度して、法名を宗諄とした。その後も霊鑑寺に住持し布教活動に尽くしたことなど、長年の功労により慶応4年に紫衣の着用が許されている。明治24(1889)、大病がもとで76歳で亡くなられた。秋は、女王墓周辺の楓の紅葉が美しい。

 

 

◎若王子神社の所在地など
・京都市左京区若王子町2   ・
TEL(075)771−7420
・境内自由
・市バス「宮ノ前」下車、徒歩約
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