
京都市内の道は、東西南北に碁盤目状になっています。その通り名を覚えるための歌が「通り名の歌」です。
子供の遊び場は路地。路地は、家から外へ出た子供たちが集まる所です。
子供たちは、遊びながらこの歌を唄たい、通りの名前をを覚えた(させた)ようです。
この「通り名の歌」は、室町時代の後期に生れ、江戸時代に普及したとされています。
私の場合は子供の頃(昭和です)、おふくろさんが唄って教えてくれました。
抑揚の少ないメロディー(おふくろさんは音痴だったのかも?)が、今でも頭の片隅で聞こえます。
私はその片隅に残っているメロディ−で唄いますが、年齢がカサムとともに、徐々に乱れてきたようです。
貴方も自己流でよいので、バックに流れるMIDIに合わせて口ずさみ、いにしえの雰囲気を味わってみませんか。
■「丸竹夷(まるたけえびす)」■
京の東西に走る通り名は、丸太町(まるたまち)通りから南へ十条通りまで順に歌います。
| 歌詞 | 通り名 | 読み方 | 名の由来 |
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丸竹夷二押御池 |
丸太町通 | まるたまち | 通りに材木屋の店が多く丸太が並んでいたことにちなむ。平安京の条坊名の春日小路にほぼ重なる。 |
| 竹屋町通 | たけやまち | 通に御所や二条城むけの商いをしていた竹や桶を扱う店が多かったことにちなむ。平安京の条坊名の大炊御門(おおいみかど)大路にほぼ重なる。 | |
| 夷川通 | えびすがわ | 近くに流れていた恵美須川にゆらいする。平安京の条坊名の冷泉小路にほぼ重なる。 | |
| 二条通 | にじょう | ||
| 押小路通 | おしこうじ | 平安京の条坊名の押小路にちなむ | |
| 御池通 | おいけ | 天皇の遊覧の池“神泉苑”に突き当たる通りに由来する。平安京の三条坊門小路にほぼ重なる。 | |
| 姉小路通 | あねこうじ | 平安京の条坊名の姉小路にちなむ | |
| 三条通 | さんじょう | 平安京の条坊名の三条大路にちなむ | |
| 六角通 | ろっかく | 平安京の条坊名の六角小路にあたり六角堂(頂法寺)が通に面していることにちなむ | |
| 蛸薬師通 | たこやくし | 寺町に行き当たったところに蛸薬師堂があったため。平安京の条坊名の 四条坊門小路にほぼ重なる。 |
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| 錦小路通 | にしき | 甲冑を扱う店や錦を織る職人が多く住んでいたことに由来するとか。平安京の条坊名の錦小路にちなむ。 | |
| 四条通 | しじょう | 平安京の条坊名の四条大路にちなむ | |
| 綾小路通 | あやのこうじ | 平安京の条坊名の綾小路にちなむ | |
| 仏光寺通 | ぶっこうじ | 仏光寺(天正14年(1586)に東山から現在地へ移った)があったことにちなむ。平安京の条坊名の五条坊紋小路にほぼ重なる | |
| 高辻通 | たかつじ | 平安京の条坊名の高辻小路にほぼ重なる | |
| 松原通 | まつばら | 寺町通から西は松の並木道となっていたことにちなむ。平安京の条坊名では五条大路であって、鴨川に架かる橋は五条橋であったが、秀吉の都市改造で松原橋と改名した。 | |
| 万寿寺通 | まんじゅじ | 万寿寺が東洞院の角にあったことから。なお、万寿寺は現在東福寺北総門の北にある。平安京の条坊名の樋口小路にほぼ重なる。 | |
| 五条通 | ごじょう | 秀吉の都市改造で鴨川に五条橋が架けられたことによる。平安京の条坊制の六条坊門小路にあたり、現在の松原通が五条大路であった。 | |
| 雪駄屋町通 (現在は楊梅通) |
せったやちょう | 平安京の条坊制の楊梅小路が復活。平安時代はヤマモモ(楊梅<ヤマモモ>)の並木道であったことにちなむ | |
| 鍵屋町通 | ちゃらちゃら | 鍵屋が並び「ちゃらちゃら」という鍵が触れ合う擬音を歌ったとされる。 | |
| 魚棚通 | うおのたな | 堀川通と西洞院通の間に魚を生業にする店が多く、魚を干す棚が見られた | |
| 六条通 | ろくじょう | 平安京の条坊名の六条大路にちなむ | |
| 三哲 (塩小路通) |
さんてつ | 塩小路通西洞院辺りをいう | |
| 七条通 | ひっちょう | 平安京の条坊名の七条大路にちなむ | |
| 八条通 | はっちょう | 平安京の条坊名の八条大路にちなむ | |
| 九条通 | くじょう | 平安京の条坊名の九条大路にちなむ | |
| 十条通 | じゅうじょう | 大正時代の都市計画により建設され、九条通の南に造られたため |
五条通から七条通の間で、次の通が歌われていない。
・花屋町通:平安京の条坊名の左女牛小路にほぼ重なる。通名の由来は本願寺参拝者に対した生花商の店が多かったことから(東は富小路通から西は壬生通まで)
・上数珠屋町通:渉成園(枳穀邸)の北側の通で、町名にゆらいする。東本願寺が出来て以来、数珠を扱う店が多く並んだことから(東は土手町から西は烏丸通まで)
・中数珠屋町通:渉成園(枳穀邸)の南側の通で、町名にゆらいする。平安京の条坊名の北小路にほぼ重なる。(東は土手町から西は烏丸通まで)
「丸竹夷」の歌の当初は、丸太町通から五条通までが歌われていたと思える。それは、五条通以南の通り名が語呂合わせ的で、十条通が大正時代に新たに造られた道であることなど
から、五条通以南は後付と考えられている。
★なお、この東西の通り名の歌には、次の戯れ歌がある。
坊さん頭は丸太町、つるっとすべって竹屋町、
水の流れは夷川、二条で買(こ)うた生薬を、
ただでやるのは押(惜しい)小路、御池で出会うた姉三(姉さん)に、
六銭もろて蛸買うて、錦で落として四(叱られ)かられて、
綾(誤)まったけど仏々と、高(タカ)がしれてる松(マ)どしたろ(弁償したろ)ー。
【資料】
室町時代からの伝承と思われる資料・随筆集『翁草』の中に京の縦横の通りを読んだものがうかがえる。また、謡曲『便用謡』の「九重」にもみられる。ここに書かれた文章が、わらべ歌として愛唱されたと考えられる。なお、『便用謡』は文化人として様々な教養を養い、記憶させようとした作品で、全十五曲ありその内の「九重」:京都の縦横町区名が該当する。
ちなみに『便用謡』は、1)「躾乃端」:八歳以降の交際上の躾、2)「竹弄(ちくろう)」:算法、3)「七十二侯」:季節の呼び方、4)「秋津島」:日本の国名、5)「王代記」:歴代天皇の名、6)「九重」:京都の縦横町区名、7)「駅路」:東海道をはじめ諸道の駅名、8)「順礼」:西国三十三ヶ所の札所、9)「服忌令」:服忌の日数、10)「源氏乃題」:源氏物語五十四帖の巻名、11)「画図」:漢画の主要な画題、12)「十四経」:針灸術のつぼ、13)「日蓮御書」:法華教義の大要、14)「一向三国伝来」:一向教義の大要、15)「選択集」:浄土宗教義の大要とからなっている。
こうした『便用謡』を、京都人は子弟への教養伝達に使われたものと考えられる。教養は、代表的な商都民として当然のことであって、様々な機会をとらえて知性と感覚を磨き上げきたといえ、謡曲は町衆の教養を広めるために、多いに役立ったといえる。
参考資料:「京都の歴史」第六巻<伝統の定着>/京都市遍
参考資料:「京都の地名由来辞典」源城政好・下坂守編/東京堂出版
●一方、南北の通り名は、寺町通りから西へ千本通りまで順に歌います。