
<大原野を巡る> ・願徳寺 ・勝持寺 ・大原野神社 ・正法寺 ・十輪寺 ・善峯寺 ・三鈷寺 ・金蔵寺
金蔵寺
(こんぞうじ)
天台宗 西岩倉山 金蔵寺
京都市西京区大原野石作(いしづくり)町
阪急電車「桂」駅東口前から、京阪京都交通バスの「大原野・長峰」行きに乗車。終点、長峰から金蔵寺までは約3km。民家や田畑、竹林の間をぬって延びる山道は、登るにつれて曲がりくねり、所々で軽自動車以上の車では離合に慎重を要する細い箇所もある。息を弾ませながら歩くこと50分ほどで仁王門の前に着く。途中、一願不動明王を祀る祠、産の滝があるが帰りに寄ることにした。
金蔵寺は、小塩山の東南斜面の中腹にあり、斜面に沿って堂宇が建ち並んでいる。資料では、奈良時代初期の養老
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| バス停「長峯」から直ぐの道しるべに「金蔵寺 あと3km」の表示あり、右側の道を登る | 仁王門から急な石段を登る | 護摩堂 | ||
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| 紅葉の時期以外、訪れる人もなく静かな本堂 | 経典を書写して埋めたとされる経塚碑 | 経塚碑の下部に、「聖武天皇納 五部大乗経・・・・」と書かれている |
仁王門に「入山志納料
200円」の札が置かれているだけで、誰もいない。仁王門を潜り、急な石段を登ると右手が護摩堂で、左手が庫裡・客殿となっている。正面の石段をさらに登ると本堂となるが、石段は荒れている。本尊は十一面千手観音菩薩像で、向日明神(幼名楠松丸で文武天皇の孫にあたる)と開祖隆豊禅師とが楠の木に天狗の爪で彫ったと伝えられている。本堂の左奥に桂昌院廟所がある。桂昌院は、鎌足の末孫にあたり、寛永の初め6歳の時に父に連れられ金蔵寺など洛西の寺によく参詣していた。13歳の時、春日局に仕えて江戸城内で奉仕しているうち、家光の寵愛を得て綱吉を出産。幼少の頃の恩に報いるために金蔵寺の再建をしたという。
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| 金蔵寺を再建した桂昌院を弔うために建てられた桂昌院廟所 。内部の石塔下に遺髪が納められたという。 | 開祖隆豊禅師と歴代の僧師を祀る開山堂。 | 急な石段を登ると勝軍地蔵愛宕大権現を奉る愛宕大権現堂がある。 |
また、本堂右手には開祖隆豊禅師と歴代の僧師を祀る開山堂で、桂昌院が建立。右奥の急な石段を登ると愛宕大権現堂となる。防火勝軍地蔵愛宕大権現といい、以前は火防の守護仏として愛宕神社の本尊であったが、明治3年5月の神仏分離令によって、金蔵寺に遷座した。いずれの堂の周辺樹木も、見た目は荒れていた。ここ金蔵寺は、バス停から徒歩で約1時間の山腹のため、観光客も少なく、維持に苦労されていることが想像できる。しかし、隠れた紅葉の名所として写真(上段、「画像・秋の金蔵寺」をクリックしてください)で紹介されるため、秋は参詣者やハイカーで賑わう。
金蔵寺の帰り道に小さな滝が見られる。ここも金蔵寺の境内。山内には三つの滝があると書かれていたが、この滝は三の滝。向日明神がこの滝近くで産まれたことから「産の滝」と書かれるという。私は他の滝は見つけられなかった。また、さらに下ると一願不動明王を祀る祠がある。開祖隆豊禅師が彫ったという不動明王の石仏が奉られていて「一度に一つの願い」を必ずお聞きくださるとの言い伝えがあることから、厚い信仰を集めているという。
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| 向日明神がこの滝近くで産まれたことから「産の滝」とよぶ。 | 「一度に一つの願い」が叶うとされる一願不動明王を祀る | 開祖隆豊禅師が彫ったという不動明王の石仏。 |
■桂昌院(けいしょういん)とは、京都・堀川の八百屋、仁右衛門の娘で名前は玉子。幼い頃、両親に連れられて、何度か金蔵寺やここより少し南にある善峯寺へ参詣していた。母が一条家の家司と再婚したのが縁で、玉子は徳川三代将軍家光の側室お万の方の腰元となった。大奥で働く姿が家光の目にとまり、徳松(後の五代将軍綱吉)を産む。家光が亡くなった後、玉子は髪をおとして”桂昌院”と名乗り、徳松は綱吉と名を変えた。四代将軍家綱に子供がいなかったため、家綱が亡くなった後、綱吉が五代将軍となり、桂昌院は将軍の母として江戸城に入る。満ち足りた生活を始めた桂昌院は、幼い頃のゆかりの金蔵寺をはじめ諸寺復興に尽くしている。宝永2年(1705)、79歳で亡くなり遺骸 は増上寺(東京都)に葬られたが、金蔵寺では恩に報いるため、遺髪を桂昌院廟所に納めて祀っている。
◇金蔵寺の所在地など
・住所:京都市西京区大原野石作町
・願徳寺 ・勝持寺 ・大原野神社 ・正法寺
・十輪寺 ・善峯寺 ・三鈷寺
・金蔵寺