二つの恋塚

京都南部の名神高速「京都南インターチェンジ」近くに、同じ恋塚を祀る寺が高速道路を挟んで一つづつある。
道路の北にある浄禅寺、そして南にある恋塚寺を紹介する。


◇浄禅寺(じょうぜんじ)
浄土宗西山禅林寺派 総本山永観堂末刹寺 恵光山 浄禅寺

 名神高速・京都南インターチェンジから北北西(上鳥羽)にあり、千本通りに面している。文覚(もんがく)上人により寿永元年(1182)に開基されたと伝える。正徳3年(1713)の火災で堂宇、寺伝資料など全て焼失。天保年間(1830〜1843)に磧道上人、萬通上人の尽力により本堂・堂宇が再建されて、現在に至っている。
 この寺は、京の六地蔵寺の一つであるが、恋塚浄禅寺としても知られている。恋塚は、北面の武士(御所の北面を詰め所として、院の警護に当たる武士)であった遠藤盛遠(もりとお)が、同僚である渡辺佐衛尉源渡(みなもとわたる)の妻である袈裟(けさ)御前に横恋慕し、自分の想いを遂げようと画策。袈裟御前は悩んだあげく、遠藤に夫を殺すように頼んだ。だが、実際は御前が夫の身代わりとなって首をはねられていたという。後に遠藤は己の非道を恥じ悔やみ、高雄の神護寺で出家して文覚と名乗る。そして彼女の菩提を弔うため、一宇を設け首を埋めた塚をいう。その塚が境内にある。この話は、小説「袈裟の良人」(菊池寛作)、グランプリ受賞映画「地獄門」(大映作)などで取上げられて有名。
 なお、浄禅寺の「恋塚」は実は「鯉塚」という説がある。寺の近くにあった池に棲んでいた大きな鯉が、よなよな妖怪として現われのを退治して埋めた塚という。

   
千本通りに面して建つ浄禅寺。正面中央の茂みの奥に袈裟御前の供養塔がある。   本尊の阿弥陀如来像と袈裟御前像を祀る本堂。   袈裟御前の首塚と言われる恋塚(左)と林羅山の撰文による恋塚碑(右のケースの中)。
浄禅寺の所在地など:京都市南区上鳥羽岩ノ本町93  電話075-691-3831  市バス「地蔵前」停留所前

もう一つの恋塚・・・
◇恋塚寺(こいづかでら)
浄土宗 利剣山 恋塚寺
 
浄禅寺から1kmほど南にもう一つの恋塚がある。下鳥羽にあるその名も恋塚寺。同じ袈裟御前の恋塚・宝篋院塔がある。
 由来も同じで、平安時代の末期に北面の武士(御所の北面を詰め所として、院の警護に当たる武士)であった遠藤盛遠が、同僚の渡辺佐衛尉源渡(みなもとわたる)の妻である袈裟(けさ)御前に横恋慕。袈裟御前の母・衣川を脅すなどして袈裟御前を自分の妻にしようと画策。袈裟御前は悩んだあげく、遠藤に夫を殺すように頼んだが、実際は御前が夫の身代わりとなって首をはねられてしまる。後に遠藤は己の非道に恥じ、高雄の神護寺で出家して文覚と名乗る。そして彼女の菩提を弔うために墓を造り、一宇を設けたのがこの寺の始まりと伝え(「源平盛衰記」)、上鳥羽の浄禅寺と全く同じである。

     
道から一段下りた茅葺き屋根が山門の寺で、「恋塚寺」の石柱が無ければ民家と間違う。   恋塚寺の門前には恋塚の由来を刻した「重修恋塚碑」が建つ。   袈裟御前の首を埋めた墓と伝える宝篋院塔。本堂には、袈裟御前、渡辺渡、文覚上人らの像が安置されている。   文覚上人開基恋塚根源之地と刻された「縁起石碑」。
恋塚寺の所在地など:京都市伏見区下鳥羽城ノ越町176  電話075-611-2540  

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