
貴船神社 (きふねじんじゃ)
平安京の「水の神」と「火の神」を祀る神社へ参る
水の神様は、京都市の東北に位置する鞍馬山の麓、貴船神社に祀られる「貴布禰神」で、火の神は西北に位置する愛宕山の山頂の愛宕神社に祀られている「阿多古神」。両方の社とも地主神として存在していたものを平安京造営後に都の守護神とされた。当時、天皇から厚い信仰を得ていたが、現在も京都市民を守る水の神、火の神として信仰され、お参りに来る人が絶えない。水の神を祀る貴船神社は、近年、縁結びの神が祀られ若いカップルに人気がある。
水清く老杉繁る京の避暑地「貴船」
叡山電鉄「貴船口」駅から、貴船川に沿って徒歩30分ほど遡って歩くと貴船神社(バスも運行しており、約4分で「貴船」に着く)。道はアスファルトなので歩き易い。木漏れ日を浴びながら杉や檜木の茂る川沿いを、冷しい風を楽 しみながら暫く進むと、和泉式部の歌で有名な「蛍岩」がある。さらに進むと、山菜や鮎などを出す料理旅館(川に床板を敷き、その上で食事をするところも)が軒を連ねる。貴船は、市内より5度ほど気温が低いので、夏は涼を求めて川床での食事客で賑わっている。この料理旅館が並ぶ一角に、貴船神社への参道石段がある。
貴船神社は、鞍馬山の西ノ谷に流れる貴船川沿いの小さな神社。水神を祀る社(やしろ)として日本の代表格で、分祀が全国に500社ほどある奈良朝時代創建の古寺。ご祭神はタカオカミの神で、この神はクラオカ
ミの神、ミズハノメの神と同じ水の神で、平安遷都後、都の「水の神」さまとして朝廷から崇敬されるようになった。これは、貴船の地が皇居の北方に位置していて、皇居の用水として使っている加茂川の水源となるため。その水源を守る神として貴布禰(キブネ)神への信仰
が深まったもの(もとは木生根、木生嶺として山林守護の神として祀られていた神という説もある)。
祈願のときは、奉幣(財貨や食物などを供えること)として、日照りの時(祈雨)は黒馬を、長雨の時(祈晴)は白馬又は赤馬が奉納され。時には、生馬に換えて絵に描いた馬が奉納されることもあったそうで、これが絵馬の起源とか。
こうした朝廷の信仰とは別に、都の人々の貴布禰神信仰は夫婦・男女の仲を守る神、また、その逆の縁切りの神として信仰されていました。
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| 「貴船口」から歩いて直ぐにある和泉式部の歌で有名な「蛍岩」。 | 絵馬の起源を説明する黒馬・白馬の像。 | 若い人達が書き吊るした絵馬がたくさん。 |
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| 本宮拝殿へ向かうと、岩肌の隙間から涌き出る「御香水」。 | 本宮拝殿(この奥に本殿があります) | 貴船神社ご朱印 |
参道石段を登りきると本宮境内。そこに絵馬の起源を説明する黒馬・白馬の像がある。社務所から本宮拝殿へ向かう岩肌の隙間から涌き出る水があり「御神水」と書かれていて、口にふくむ人、容器に入れて持ち帰る人が見られ
た。その横では、紙を水に浸し浮き出てきた文字を真剣に読んでいる人が。水の神らしい、吉凶占いです。
社殿は天喜3年(1055)に上流から移されたもので、旧社殿跡は現在の場所から更に1kmほど上流の奥宮。資料によると、反正(はんせい)天皇の時代(5世紀始め頃)に、神武天皇の母である玉依
(たまより)姫が「我は玉依姫なり、この舟の止まる所に祠を造れば国土を潤し、庶民に福運を与えん」と言われ、浪速(大阪)から淀川、加茂川を遡ってこの地に至り、
一度船先を鞍馬の方に向けられたが、大きく進路を変えて貴船に向われたもの。祠を建て水の神を祀ったのが(船を残して天へ昇られたという文献も)貴船神社の起源という。地名及び社名の「貴船」は、玉依姫が乗ってこられた黄船をはじめ、木生根、木生嶺、貴布禰、木船などと書き記した資料が
みられたが、明治4年の太政官達で「貴船」に統一されている。
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| 叡山電車「貴船口」を出てすぐ南の「梶取橋」(写真下の朱色の欄干)。道の右手へ行くと鞍馬、左手へ行くと貴船への分岐点。 | 黄船が大きく梶(舵)を切ったとされる橋の袂には、貴船神社の一の鳥居と「梶取社」がある。 | 玉依姫が乗った黄船の梶(舵)を巧みに操った神様がまつられた「梶取社」。 |
本宮から上流に向かい細い路を行くと中宮の結社(ゆいのやしろ)となる。ご祭神は縁結びの神として知られる磐長姫命(イワナガヒメノミコト)。社の周りには、若い人達が書き吊るした絵馬がたくさん。縁結びを願う人だけでなく、「京大に合格!」を願う絵馬もあります。社をひとまわりする小道に添って和泉式部が歌った歌碑があり、その奥に「天の磐船」(あまのいわぶね)と呼ぶ大きな 自然石がある。
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| 中宮の結社(ゆいのやしろ)。ご祭神は縁結びの神として知られる磐長姫命(イワナガヒメノミコト)。 | 奥に「天の磐船」(あまのいわぶね)と呼ぶ大きな自然石。 | 小道に添って和泉式部が歌った歌碑 |
結社から更に上流へ、杉並木の道を進むと朱色の小さな橋がある。手前の説明板に『<思ひ川> 夫・橘道貞の愛を取り戻そうと思い悩んでいた和泉式部は、貴布禰詣でを思い立ちました。当時は奥宮が本社で、参拝者はこの谷川で手を洗い、口をすすぎ、身を清めてから参拝しました。この谷川は禊(みそぎ)の川、物忌み(ものいみ)の川だったのです。和泉式部もここで身を清めて恋の成就を願ったことでしょう。禊の川だった「おものいみり川」が、和泉式部の恋の話と重なり、何時の頃からか「思ひ川」と呼ばれるようになりました。』とある。この橋の向こうが奥宮。
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| 結社から上流へ杉並木の道を進むと朱色の小さな橋が。 | 奥宮の祭神は本宮と同じ雨や水を司るタカオカミの神(船玉命)です。 | 奥宮の本殿横には、小岩を積み重ねた「御船形石」があります。 |
奥宮の祭神は本宮と同じ雨や水を司るタカオカミの神(船玉命)。前述したが、貴船神社は当初この奥宮に建っていたが、貴船川の氾濫により社殿が流失したことで、下流の現在の位置に移った。
奥宮の本殿横には、小岩を積み重ねた高さ1.5mほど、長さ10mほど、幅3mほどの「御船形石」があります。玉依姫が乗ってきた黄船を石で囲んで隠したと伝えられているが、本当に船があるのだろうか?この石は航海安全に繋がると信じられ、海事関係の参拝者が持ち帰ると聞
く。また、周囲を千度参る「千度詣」もある。
奥宮には「丑の刻参り」の伝説があ
る。むかし宇治の橋姫が貴船神社に七日間の丑の刻(午前二時)詣で鬼神となり、ワラ人形を五寸釘で打ち抜き相手の男女を呪い殺したというものです。橋姫が頭にかぶっていた鉄輪(かなわ)を置いたとされる「鉄輪掛石」が叡山電鉄「貴船口」駅の路傍らにある。
また、伝統芸能の能・謡曲の「鉄輪」の骨子となった「鉄輪の井戸」が、市内の下京区堺町通り松原下がる(鍛冶屋町)に残されている。興味のある方は寄って見てください
(京阪本線「五条」駅下車、五条通を西へ徒歩15分ほど)。
謡曲「鉄輪」は、鍛冶屋町辺りに住む市井の女が男に捨てられ、その恨みを晴らさんと、頭に鉄輪を頭にかぶり貴船明神へ丑の刻参りをして、相手の男とその後妻を呪い殺そうとする話。
鉄輪の井戸は、女の住んでいた所の井戸だといい、女は満願を目前に気疲れして倒れ、願いを遂げぬまま、後に井戸に身を投げたという説もある。こうした伝説から転じて、「縁切り井戸」として
広まり、この井戸の水を相手に飲ませると悪縁が切れるとの俗信が生まれ、井戸水を持ちかえる人もあるようだ。
昭和10年(1935)氏神命婦稲荷神社の再建で付近を掘るうち、井戸のすぐ傍の地中から鉄輪塚の碑が発掘され「鉄輪塚」がこの場所であることが確認されている。碑は小さな祠を造り鉄輪大明神のご神体として納め、稲荷社とともに祀られている。
ところで、「丑の刻」とは、祭神が貴船に上陸されたのが丑年丑月丑日の丑刻だと伝える古事によるもので、人々の心願成就を示すものであって、単に呪いのみに留めるべきものではないとの説明がある。
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鉄輪跡への路地 |
命婦稲荷神社 |
鉄輪の霊井 |
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| 堺町通り松原下がる鍛冶屋町 (民家の、この路地奥) |
鍛冶屋町の氏神命婦稲荷神社 |
命婦稲荷神社横にあります。 地元の保存会(鍛冶屋町 敬神会)が管理 |
◇貴布禰総本宮の所在地など
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〒601-1112京都市左京区鞍馬貴船町180
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電話:(075)741−2016
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ホームページ http://kyoto.kibune.or.jp/jinja/
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順路@:JR京都駅から地下鉄烏丸線にて「国際会館」駅で下車、駅からタクシーで約20分。
A:叡山電鉄「出町柳」駅から鞍馬行きにて「貴船口」駅で下車、京都バスへ乗り換え「貴船」まで、貴船から 徒歩3分。(駅から徒歩なら約30分。)
B:叡山電鉄「出町柳」駅から鞍馬行きにて終点の「鞍馬」駅下車。鞍馬寺本殿など拝観し、奥の院から徒歩(下り坂)を500m降りれば貴船神社の社頭に着きます(このコースは、事前の下調べをしてから)。