
建仁寺 (けんにんじ)
臨済宗建仁寺派大本山 山号・東山(とうざん)
京都市東山区大和大路通四条下ル四丁目小松町584
日本で最初の禅寺、
建仁寺
建仁寺へは、阪急電車「河原町」、または京阪電車「四条」を出て四条通を東へ徒歩5分ほどところで花見小路通となるので、南へ向かうとよい。角には有名な料亭「一力」で、道は石畳
となり料理屋などが軒を連ねている。夕方頃に訪れると提灯も灯り花街の雰囲気を味わえる。運がよければ座敷へ向かう舞妓さんと出会えることもある。道の突き当りが建仁寺の北門。この建仁寺の建つ所は、京都花街(現在、上七軒、先斗町、祇園東、祇園甲部、宮川町の五の花街がある)の祇園甲部歌舞練場と宮川町歌舞練場の間で、京都でも華やかなところ。
北門を入ると、華やかさは静けさへと変わる。右手側が方丈で、方丈の奥に茶室東陽坊(草庵式二畳台目の茶席)などあり、境内拝観は自由。境内伽藍は中国の百丈山を模して建立。勅使門、三門、法堂、方丈は一直線に並び、禅宗寺院の典型的な形式となっている。その他、開山堂、浴室や塔頭寺院が並ぶ広大な寺域。4月上旬、境内の桜が咲き揃う時期に参拝のお勧め。
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| 方丈庭園 | 俵屋宗達作「風神雷神図」(国宝:江戸初期)の屏風 | 方丈北庭園の手水鉢 |
建仁寺は、栄西禅師(1141〜1215)が、天台・真言・禅の三宗兼学の寺として鎌倉前期の建仁2年(1202)に創建したのが始まり。開基は鎌倉幕府の二代将軍源頼家(よりいえ)。後に宋風禅の道場となり、南北朝の建武年間には京都五山の第三位として多くの塔頭をもち、学僧も輩出している。応仁の乱などの戦火で焼失し、大部分は江戸時代に復興したもの。方丈の北に建つ茶室東陽坊は、もとは秀吉の北野の大茶会のときに北野に建てられた茶室と伝えられ、利休の門弟東陽坊の名前である。
方丈には、俵屋宗達作「風神雷神図」(国宝:江戸初期)の屏風一双が見られる。実はレプリカで、本物は京都国立博物館に寄託されている。また、法堂の天井一面に仏法の守り神とされる二匹の龍が描かれている(ページトップの写真)。まだ新しく2002年の記念事業として描かれたもの。法堂は、特別拝観されたときにしか入れない。
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| 法堂 :江戸時代の明和2年(1765)東福寺から移し、再建。瓦葺き重櫓の禅宗様式仏殿。 | 三門 :「望闕楼」の扁額がかかる二重門。階上内には観音菩薩像と十六羅漢像が安置されている | 勅使門(重文) :銅板葺き切妻造り四脚門。六波羅探題から移建。扉に矢の跡があることから矢立門とも称す | ||
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| 開山堂:開山栄西禅師の墓所 | 茶碑:栄西禅師は宋からの帰国時に茶を持ち帰った(撮影4月上旬) | 放生池 |
開山栄西禅師の入定塔(墓所)である開山堂。その南側には浴室がある。僧堂、食堂、三黙堂とも呼ばれる修行の場である。中央部の床上に四方の板戸と屋根で囲まれた蒸し風呂形式である。江戸初期の寛永年間の創建だが、現在の建物は平成14年(2002)に復元されたもの。建仁寺を創建した栄西禅師は、岡山吉備津(きびつ)宮の神官の出身であったと伝えられている。このためか、禅師は仏門に帰依されながらも、日本古来の神を信仰されていて、建仁寺の建立にあたり守護神として「恵比須神社」(寺の西側に)を建立。そして、建仁寺の建立が始まっている。この関係の証として、禅師は自らの墓所を恵比須神社の真正面に向かい西向きに建てるよう遺言。その遺志のとおり、開山堂は恵比須神社の真正面東に当たる位置に建てられている。こうした関係から、当初は建仁寺と一体であったが、明治時代の神仏分離によって分けられた。交流の途絶えた建仁寺と恵比須神社とであったが、今日では交流がある。
◇ 建仁寺の所在地など
・住所:〒605-0811 京都市東山区大和大路通四条下ル四丁目小松町584 電話: 075-561-0190
・拝観:予約制(10:00〜16:00)志納(500円)であるが、境内拝観は自由。毎年4月20日の法要時、屏風および障壁画の一部を見せてくれる。
・アクセス:京都駅前から市バス206番にて「東山安井」下車、西へ200m。
阪急電車「河原町」駅から東へ徒歩約10分。京阪電車「四条」駅から東へ徒歩約7分。
・建仁寺のURL http://www.kenninji.jp/
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