観音寺 (通称東向観音寺)
真言宗泉涌寺派、準別格本山 朝日山上林苑 観音寺
京都市上京区今小路通御前通西入上る観音寺門前町863
・洛陽三十三所観音霊場第31番礼所

 東向観音寺は、正しくは観音寺で北野天満宮の二の鳥居の西側にある。寺伝によると延暦25年(806)に桓武天皇の勅を奉じて藤原小黒麿らが皇城(平安京)鎮護のために建立した朝日寺が前身とされている。その後、天暦元年(947)に朝日寺の僧、最鎮らが北野天満宮を建立した後、応和元年(961)、太宰府(現福岡県)の観世音寺(天智天皇が母・斉明天皇の冥福を祈って創建した(746年完成)お寺)から菅原道真公作の十一面観世音菩薩を請来し安置。鎌倉末期の応長元年(1311)、無人如導宗師が中興し律宗となって、観世音寺に倣って観音寺と改称している。宗師は花園・後醍醐・光厳・光明の四天皇や足利尊氏から帰依をうけ、観音寺は北野天満宮の神宮寺となった。
 本尊の十一面観音像を安置する本堂が東向きであるところから東向観音寺といわれる。当初東向・西向の両観音堂あったが、応仁の乱(1467)や火災等で焼失し、慶長12年(1607)になって豊臣氏が北野天満宮を復興した際、西向観音堂は再興されず東向観音堂のみ再建された。その時に再建された本堂が現在の本堂。

本堂 忌明(いみあけ)塔 土蜘蛛の塚

 観音寺境内南側には、高さ4.5mという大きな石造の五輪塔があるが北野の忌明(いみあけ)塔と称されている。菅原公の母(大伴氏)の廟塔と伝承されていて、元は境内三の鳥居前にある伴氏社(ともうじのやしろ)にあったものが明治初年の神仏分離でこの地に移設されている。室町時代には父母の死後49日の喪があけた50日目にこの塔に参る風習があったと伝えられている。
 五輪塔の近くの灯籠は蜘蛛塚である。石灯籠の「火袋」で、もとは七本松通一条上るにある清和院前にあった。その塚があった辺りには、源頼光を悩ました土蜘蛛が生息していたと伝えられていた。明治年間、この塚を発掘したところ石仏や墓標の破片とともに灯籠の残片(火袋)が出てきた。ある人が灯籠を貰い受け自宅の庭に設置したところたちまち家運が傾いた。周りの人たちから土蜘蛛の崇りといわれ、この観音寺に奉納したとされる。土蜘蛛とは、わが国の先住民族の穴居住民族で、背が低く、土蜘蛛のようだったことから言われている。

◇観音寺(通称東向観音寺)の所在地など
・住所:京都市上京区今小路通御前通西入上る観音寺門前町863   ・電話:075−461−1527
・拝観:9:00〜16:30
・アクセス:JR京都駅前から市バス50・101系統、JR円町駅から市バス203系統、地下鉄今出川駅から市バス51・203系統、
京阪出町柳駅より市バス203系統、京阪三条駅前から市バス10系統、阪急四条大宮駅から市バス8・55系統、
京福電車白梅町駅から徒歩5分 
※いずれも北野天満宮前下車すぐ


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