

奈良時代の後期に入ると朝廷の後押しを受け“賀茂の社”は上下に二分され、上社(じょうしゃ)を「上賀茂神社」 、下社(げしゃ)を「下鴨神社」とされ、総称して「賀茂神社」と呼称されるようになった。両社の祭祀権は朝廷へ移されたが、賀茂一族の子孫が祠官として奉仕してきた。更に平安京遷都(794年)後、王城の鎮護社となり伊勢神宮に次ぐ尊崇を受けることとなり、勅使による奉幣など国家の最高神として扱われる大神社となった。両社は、平安時代以来の古い仕来りを現在によく伝えるとして、平成6年12月、世界文化遺産に登録された。
右の写真は、夕方に撮影した賀茂川と高野川が合流する三角洲。(写真中央で、人が飛び石をわたる川は高野川。(左に「糺の森」の一部が見える、更に左が賀茂川となる)。
上賀茂神社
(かみがもじんじゃ) (正しくは賀茂別雷神社) 世界文化遺産
祭神:賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)
京都市北区上賀茂本山町339
上賀茂神社は、上賀茂の賀茂川に架かる御薗橋の東にある。正式社名は賀茂別雷(かもわけいかづち)神社で、祭神は賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)。
“一の鳥居”を潜ると一面芝生の明るい広場で、市民の憩いの場となっていて、四月初旬のサクラが咲く頃には多くの人で賑わう。広場の右側が「ならの小川」で、左側が葵祭(賀茂祭)に先立ち5月5日に行われる“賀茂競馬(かもくらべうま)”が行われる馬場。正面に“二の鳥居”が見える。この二の鳥居は、御所の方向に向かって建てられているという。二の鳥居の奥に見えるのが「細殿」で、その前に円錐形の一対の立砂が見える。この立砂は、神代の時代、神が降臨したと伝える神山(こうやま)を模したもので、神社の北2kmほどのところにある。立砂の頂点には神が降臨するための目印として松葉が挿されている。「細殿」の奥が左右に回廊をめぐらした朱塗りの楼門。上賀茂神社で特に目立つ存在で、その門の中に入ると国宝の本殿や権殿などの建物。下鴨神社より少し早い時期に建築されたようで、他で完成したものを移設したともいわれている。社殿のほとんどが重要文化財の指定を受けている。
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| 公園を思わせる芝生の境内 | なら(楢)の小川 | 馬場 |
楼門の前の御物忌川(おものいかわ)に架かる朱色の反り橋は「玉橋」と呼称され、重要文化財に指定されていて神事の際に神官がわたるだけで、一般の人は渡れない。玉橋の下を流れる川を御物忌川(おものいかわ)といい、本殿の西側に流れる御手洗川と合流して「なら(楢)の小川」となり、境外に流れ明神川となる。その玉橋の横に玉依比売命を奉る摂社の片山御子神社(片岡社)がある。片山御子神社前には、これも重要文化財に指定されている片岡橋がある。上賀茂神社では、第一摂社の片山御子神社に参ってから本殿へ参るのが参拝の順序としている。
なお、祭神の賀茂別雷大神(かもわけいかづちのかみ)は下鴨神社に奉られている玉依姫命の子にあたる。神社の鎮座する辺りは、もとは愛宕郡上賀茂村と称する集落。賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を祖とする豪族、賀茂一族の居住地。創建年は不明。賀茂氏の氏神を祀った“賀茂社”が起こりとされていて、本来、雷神を祀ることから、農作に水を給する農耕神であったとされている。下鴨神社とともに王城(平安京)鎮護の社とされ、伊勢神宮につぐ崇敬を得ていた。嵯峨天皇の御代以来、皇女が斎王として奉祀されるようになった。上下の賀茂社に仕える斎王は奉斎期間に常住したのは紫野斎院(上京区)であった。
有名な「葵祭」は
京都三大祭の一つ(他は、祇園祭と時代祭)で、上下の賀茂神社の祭事。毎年、5月15日に執り行われていて正しくは「賀茂祭」という。「葵祭」と呼ばれるようになったのは、神前や祭に供奉する人々が冠帽や飾った葵に因んでいるという。この葵祭は、既に平安時代には盛大に行われていて、「源氏物語」第四章には源氏の君の妃であった葵の上と、六条の御息所のあいだで、良い場所で祭り見物を行おうと車争いが起こったことが書かれている。現在の祭は、王朝絵巻さながらの衣装を身にまとった優雅な行列で、京都御所出立した行列は下鴨神社を経て上賀茂神社へ到着する。賀茂祭の起こりは明確でないようで、平安遷都以前に行われていたのは、五穀豊穣祈願であったようだ。遷都後は、王城鎮護の神とされ、朝廷の尊崇を受けるようになってから徐々に現在の形式に変化してきたという。
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| 御所に向かって建つ二の鳥居 と奥に細殿 | 細殿とその前の立砂 | 楼門と玉橋 |
上賀茂神社境内には、末社・摂社が多い。楼門前に鎮座する片山御子神社(片岡社)の祭神は玉寄日売命。賀茂山口神社(沢田社)の祭神は保食神(うけもち)。農業神で4月に植祭が行われる。この神社の傍らにある諏訪神社の祭神は健御名方神。大国主命の息子、国譲りの時、諏訪に追放された神である。さらに岩本社、橋本社、奈良社、山森社などある。岩本社、橋本社はそれぞれ航海に関係した神を祀っているが、平安時代には和歌の神として信仰を集めている。
また境外社には大田神社、さらに小祠の藤木社などがある。大田神社は上賀茂神社から東へ10分ほど歩いたところ、賀茂山の南麓に鎮座する地主神。祭神は天鈿女命、猿田彦命。猿田彦命は大田命とも呼ばれていて社名はこれにちなむ。大田神社の参道東側の池を「大田の沢」と呼ぶ。池に群生する野生の杜若(かきつばた)は国の天然記念物となっている。
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| 正面に見えるのが中門で、この奥に本殿などが並ぶ | 玉寄日売命を祀る、第一摂社の片山御子(かたやまみこ)神社(片岡社) | 曲水の宴などの祭事が行われる渉渓園は、ならの小川の東側にある |
上賀茂神社を出て東へ行くと明神川が流れている。この川に沿って土塀に囲われた賀茂の社家(神官の屋敷)が並ぶ。どの社家も小さな橋が架けられ、薬医門又は腕木門を構えている。社家は明神川の水を屋敷内へ取り込み、池や禊の水として使い、再び明神川へ戻している。社家が並ぶこの地域は、現在京都市指定文化財(名勝)、国の「上賀茂伝統的建造物群保存地区」となっている。社家の中で随一公開しているのが西村家。
◇賀茂別雷神社(上賀茂神社)の所在地など
・住所:〒603-8047京都市北区上賀茂本山町339 ・電話:075-781-0011
・境内参拝自由・無料
・アクセス:市バス又は京都バス「上賀茂神社前」下車すぐ