
詩仙堂丈山寺(しせんどうじょうざんじ)
曹洞宗大本山永平寺派 詩仙堂丈山寺 京都市左京区一乗寺門口町
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詩仙堂は、元々、石川丈山という三河国生まれの徳川家の武将が鎧を脱いで隠遁生活を送るために建てたもの。鎧を脱ぐキッカケは、慶長19年(1615)大阪夏の陣で先陣を切って敵方へ突入し、敵将佐々十左衛門の首を討ちとった。しかし、徳川家康に軍紀を破って突入したと咎め(とがめ)をうけ、妙心寺へ蟄居(ちつきょ)させられたため。
丈山は“もう戦うまい”と徳川家を離れ出家し、儒教や中国の書道を学ぶなどした。特に、隷書体の書き方を習い多くの作品を残している。後、老母を養うために浅野家(紀伊)に仕えるなどした。母が亡くなったことを機に京都へ戻り、相国寺のほとりに居を構えたが、寛永18年(1641)に詩仙堂を完成させ世俗を離れた生活をはじめた。
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| 参道を上り詰めると老梅関(ろうばいかん)の門 | 参道を進むと玄関前庭 | 嘯月楼から見た庭園、手前の植木は低く刈られ、背後の楓や山が望める |
表門・小有洞(しょうゆうどう)の門の造りは実に質素。続く竹林の参道を進むと老梅関の門となる。建物へ入ると直ぐの四畳半の間の壁面に、中国趣味の丈山が狩野探幽(たんゆう)に描かせた36人の中国の詩人の画像に詩を書き添えた板絵(現在のものは、小早川秋声画伯の模写)を飾っている。この部屋を“詩仙の間”といい、この名が通称となって建物全体を詩仙堂と呼ぶようになったという。 この部屋に続く広い部屋が嘯月楼で、南に庭園が一望できる。
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| 読書室として使われた詩仙の間から庭園 | 嘯月楼 | 庭には裏山から引き入れて造られた滝(洗蒙曝:せんもうばく)の水の音が涼しさを演出。 |
丈山がこの建物を完成したときは凹凸か(おうとつか)という名称だったらしい。凹凸かとは、凹凸のある土地の住居という意味で、この名のとおり山麓の斜面を巧みに活かした庭園をもつ建物。丈山は、寛文12年(1672)、90歳で没するまでの31年間
、ここで過ごしている。
庭園は、部屋から眺めるだけでなく、歩くことが出来る。自然の渓流があり、その流れを利用したしし脅しの音や、小さな池と出会える。詩仙堂へは、季節ごとにそれぞれ開花する草花や植木に魅せられ、多くの人が再び訪れるという。特に11月初旬ごろからの紅葉は見事である。
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| 丈山考案の猪脅しで、ここでは「僧都(そうず)」と呼ばれている。 | 滝の水が流れ込む中段の庭園にある池。 | 石川丈山翁旧跡と刻まれた石柱が詩仙堂の向いにある駐車場の隅に。 |
◇詩仙堂丈山寺の所在地など
・京都市左京区一乗寺門口町27
・TEL075−781−2954
・アクセス:市バス「一乗寺下り松町」下車、東へ徒歩約5分
叡山電車「一乗寺」下車、東へ徒歩約8分