本圀寺(ほんこくじ)

日蓮宗大本山 大光山 本圀寺(法華総本寺 正嫡付法)

日蓮上人の遺徳を伝える
 
本圀寺は、山科区・御陵(みささぎ)、天智天皇山科陵の東にあり、なだらかな山並みを背景にして、ゆったりとした境内に伽藍を並べている。地下鉄東西線の「御陵」駅から、なだらかな坂道を東へ行くと、琵琶湖 疏水となり、そこに山門へ繋がる朱塗りのコンクリート橋が架かっている。橋を渡り参道を行くとお寺には珍しい朱色の山門(赤門)となる。山門を潜ると視界は広がり境内が一望できる。直ぐに気付いたのはこれまでの寺院のイメージと違い、キラキラと輝くモノが目に付く。京都の多くの寺院を拝観してきたが、このお寺は珍しい。まず、左手側が本堂。本堂の前にあるのが中門だが、門の両側には黄金の阿吽像、そして屋根には金の鯱。本堂前庭の両サイドの灯籠が金色。本堂内陣の太い柱がまた金色。この本堂は、昭和46年(1971)に現在地に再建されたときの鉄筋コンクリート造り。手で触れてはいないがコンクリートの柱に金箔が施されているものと想像する(堂内撮影禁止のため写真なし)。とにかく、ここまで見るもの金キラ金キラしているのに驚いたためか、本堂に祀られていたのは?帰宅してからも思い出せない。本堂前庭の枝垂桜が満開(4月初旬)だった記憶のみで、もう一度このお寺へ行く羽目となった。
 本堂の隣が本師堂。日蓮上人が亡くなるまで、片時も離さず拝んでおられた持仏・釈迦様が祀られている。堂の前には「閻浮第一立像釈迦牟尼世尊」と書かれた石柱が立っている。「閻浮第一(えんぶだいいち)」とは、世界に二つとないという意味で、「立像(りゅうぞう)」とは、立つという意味。本師堂正面に黄金の大梵鐘が見える。今から約400年昔、文禄2年(1593)に、豊臣秀吉の姉・日秀尼の寄進によるもの。鋳造 した当初は黄金ではなかったと想像する。などなど、まだまだ黄金を見せ付けてくれる。ここまで書くと、読者の皆様はこのお寺に興味を抱かれたことでしょう。

琵琶湖疏水に架かる朱色の橋。この橋を渡り本圀寺へ行く。この疎水べりは山科から南禅寺まで散策路になっている。 開運門(通称「赤門」)/文禄元年(1592)、加藤清正公が寄進した山門。開運勝利の神様「せいしょこ(清正公)さま」 の門を潜ると開運勝利の人生が開けることから「開運門」と呼ばれている 中門/黄金色に輝き、両側には黄金の阿吽像、そして屋根には金の鯱。
     
本堂/本堂前の灯籠(写真左端し)も黄金 本師堂/日蓮上人の持仏であった釈迦尊が祀られている  九頭龍銭洗弁財天(くずりゅうぜにあらいべんざいてん)/黄金の鳥居奥に弁財天を祀る

こんなお寺です。本圀寺は、京都に二つある日蓮宗の大本山の一つ (もう一つは、妙顕寺)。
 今から七百数十年昔の建長5(1253)。日蓮聖人(1222-1282)は、鎌倉幕府のあった鎌倉の松葉ヶ谷に草庵・法華堂 を創建。その後、上人は法華堂を日朗(第二祖)へ譲り、元応2(1320)、堂塔を建て本勝寺としたのが本圀寺の起源。日蓮聖人が亡くなられてほどなく、鎌倉幕府が滅亡し京都に室町幕府が出来る。貞和元年(1345)、足利尊氏は光厳天皇に懇願し勅を賜って本勝寺を京都・堀川六条 (現堀川警察署の南側辺り)に移し本国寺とした。現在、鎌倉松葉ヶ谷にある石井山長勝寺はその旧跡という 。
  京都に移された本国寺はその後、足利将軍家の援助を受けて祖師堂・五重塔などを整備。また応永年間(13941428)、近衛道嗣(みちつぐ)の子・日秀(にっしょう)が住持となった以後は貴族の子弟が代々貫主となったこともあり、更に堂宇も整備され一時塔頭は100を超えたと伝える。しかし、天文5(1536)に比叡山の僧徒の焼き討ち(天文法華の乱)にあい荒廃したため、一時、和泉(大阪)の堺に避難する苦難もある。
 再興は豊臣秀吉の姉・日秀尼や加藤清正。次いで江戸時代には徳川(水戸)光圀の外護をうけ往来の隆盛をとり戻した。寺名の「国」を「圀」へ改めたのは、寺の援助に尽力した光圀公にちなむとされている。しかし、天明の大火(天明8年(1788))で経堂以外は全焼し、復興されたが往時の姿を取り戻すことは出来ず昭和45(1970)には現在地の山科へ移転する。

九頭龍銭洗弁財天の龍神 /この弁財天は八大龍王の中で最も神通力の強い神様。特に金銭、財運をお授けくださる神様という。龍神から流れ出る霊水で銭を洗い、浄財袋に入れて持っていると 財運がつくという 客殿/ 大梵鐘/ 文禄2年(1593)に、豊臣秀吉の姉・日秀尼の寄進によるもの。梵鐘は高さ240cm、直径150cmもある。梵鐘には約200名余の法号が列記され、中に秀吉の両親の法号や木下家一族の法号が並ぶ
清正宮/本堂背後の清正廟は、加藤清正の女・搖林(ようりん)尼の建立。この鳥居も黄金だー。 経堂/一切経を納めた経堂。一切経というのは仏教の全部の経、一切の経という意味。寛政5年(1464)、将軍足利義政が帰依し、高麗版の一切経を寄進、経蔵を建立したのが起源(国宝・重文)。 くみょうさま/大梵鐘の台座に鬼子母神十羅刹女さまと「くみょうさま」が祀られている。特に「がん」などの難病から救われる霊妙不思議な「女人守護・火中出現のくみょうさま」と崇敬を集めている。

◇本圀寺の所在地など
住所:〒607-8403 京都市山科区御陵大岩6
電話:075-593-9191
拝観:境内自由
・アクセス:地下鉄東西線/京阪京津線「御陵」下車、2番出口から徒歩約13


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