広沢池 (ひろさわのいけ)

 広沢池(ひろさわのいけ)は、大覚寺の東、500mほどのところにあり、観月の池として知られる。池の周囲は約1.3km。平安時代の中期、永祚元年(989)に遍照寺の建立にあわせ庭池として本堂の南に造営されたのも。また一説に、これ以前に嵯峨野一帯を開墾した渡来系豪族の秦(はた)氏一族が溜池として造ったとも。
 古来、嵯峨野一帯は大堰川(現在の桂川)の水が流れ込む沼地であったが、秦氏一族の優れた土木技術による灌漑で田園地帯に変わる。やがて四季の花が咲き、美しい自然に接することの出来る王朝人の行楽地へ、そして王朝人の別荘が建てられた。
その代表が嵯峨天皇が建立した嵯峨院で、後に大覚寺となった。
 
遍照寺が建立された当時、池は遍照寺池と呼ばれていたらしい。寺は、十四世紀に入った後宇多天皇の頃から次第に荒廃、移転した。池は、明治時代の遍照寺の住職が中心となり、地元の人々の協力で修復された。

 池の西南角に「児(ちご)神社」がある<右の写真>。遍照寺を建立した寛朝(かんじょう)僧正の侍児を祀る神社。寛朝僧正がこの池畔で座禅され ていたとき、いつも傍らに座り僧正に合わせ一心にお祈りをしていた稚児。長徳4(998)僧正が亡くなられた後、残された稚児は悲しみ、後を追いこの広沢池へ身を沈めたという。村人はこの稚児を哀れみ、その霊をこの地に祀ったという。以来、児神社と称している。

 児神社の前、大沢池の西側を北に向かうと池へ突き出るような形の小さな島がある。観音島と呼ばれ、コンクリートの橋が架けられているので島へ渡ることができる。小さな小さな島で、石像の観音さまと、先端には弁天堂もある。私が訪れたとき、島の周辺では何組もの親子連れがザリガニ釣りをしていた。この池では、鯉や鮒を養殖していることから、周辺 には魚釣りの禁止の立て札が建てられているが、ザリガニ釣りは好いのだろうか、お構いなし。禁止されている理由は、「鯉揚げ」と称した収穫行事があるため。12月に入ると池の水を抜いて成長した鯉や鮒を料理屋などへ販売される 。現地で買うこともできる。

   
紅葉が美しい観音島。(写真右の石像が観音さま)   島の先端では弁財天を奉る祠   周囲の風景に似合う茅葺き屋根の家

 

 道を更に北へ向かう。辺りは田園風景。時代劇の撮影でもよく使われるという土地柄。電柱が見られない。西は大覚寺、北は遍照寺山、東は大沢池とグルリと見渡せる。平安の昔に夢をはせ、ゆっくりと散策気分で歩ける。しばらく竹林の間を行くと、右手に後宇多天皇陵がある。御陵前の紅葉が美しい。さらに道なりに行くと道は四つ角となり、右は直指庵へ、左が大覚寺へ、直進すると嵯峨野の地をこよなく愛した嵯峨天皇陵へと続く。
 

 

 

 

 

池の西側は田園となっていて、遠くに大覚寺が見える。   後宇多天皇陵


  なお、大沢池の西南角(児神社のところ)を南へ向かう小路を200mほど行くと、遍照寺がある。
広沢山と号する真言宗御室派の準別格本山。遍照寺は、先にも書いているが永祚元年(989)に宇多天皇の孫にあたる寛朝僧正が円融上皇の願いにより広沢池北方の山麓に創建 。古くは広大な寺域と荘厳な伽藍を有していたという。 この地に移転した時期については、私は調査していない。

   
池の西南角に「遍照寺」への看板   遍照寺の山門   山門を潜り、道の正面に本堂がある

 

◇広沢池の所在地など

・京都市右京区
・アクセス:市バス「山越」から徒歩約5分。市バス「大覚寺」から徒歩約10分。


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