
源光庵(げんこうあん)
曹洞宗 鷹峰山寶樹林 京都市北区鷹峰北鷹峰町47
丸い「悟りの窓」と四角い「迷いの窓」で名高い
源光庵は、貞和2年(1346)、臨済宗大徳寺住持の徹翁義亨(てつおうぎこう)により隠居所として建立された復古堂に始まる。その後、衰微していたが、元禄7年(1694)加賀(金沢市)大乗寺の卍山道白(まんざんどうはく)禅師が金沢の富豪中田静家の援助により再建され曹洞宗へ改宗した。また卍山道白は当時の曹洞宗の慣習(寺を継ぐと法系に従って僧は法系を棄てなければならない)を憂い、旧規の復古を願い自らを復古道人と名乗り本堂に「復古禅林」を掲げたとされ
た。ここから源光庵を別名「復古禅林」とも称されている。
表門から参道を奥へ進むと、二層部に「復古禅林」の額を掛け、左右に丸窓をもった珍しい楼門の前に立つことになる。楼門をくくりぬけると正面奥に本堂があり、その手前は手入れされた庭園。庭園隅に小さな沼地があり5月中旬頃に訪れればカキツバタが咲いている。
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| 楼門 | 楼門二層部の「復古禅林」と書いた額 | 楼門近くの鐘楼 |
拝観受付で“ごゆっくりお参りください”と告げられたが、本当に自由に本堂・書院を回ることができた。まず、本堂に祀られている本尊釈迦牟尼佛にお参り。この本堂は元禄7年再建時の建物。次いで源光庵の名を広めた「悟りの窓」と「迷いの窓」を前にして座る。窓越しの枯山水庭園をしばらく見つめ禅の境地の一端に触れる。頭を上に向けると本堂廊下部の天井大部分が血天井なのだ。この血天井は、戦国時代の慶長5年(1600)7月に伏見桃山城で起きた戦いの遺構である。家康の
家臣で伏見城留守居役の鳥居元忠(とりいもとただ)ら千八百余名は、攻め込んできた石田三成軍と交戦したが力尽きてしまう。残った三百八十余人は城内で自刃したという。
血天井は、それらを語り継ぐ痕跡で足形あり、手形ありで不気味。
書院では、山口雪渓筆の襖絵
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| 元禄7年(1694)再建時の本堂 | 丸窓が「悟りの窓」 | 角窓が「迷いの窓」 |
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| 本堂廊下の血天井(足形) | 手形 | 本堂背後(北側)の枯山水庭園 |
本堂西側の谷底に「稚児の井」があるということで向かったが、運悪く造成中で行くことが出来なかった。「稚児の井」は、池に棲む龍が稚児に化けて水が湧出るところ徹翁国師へ告げ、多くの人々を水不足から救ったと井泉である。
●源光庵の所在地など
・住所:京都市北区鷹峰北鷹峰町47 ・電話075-492-1858
・拝観:大人400円/9時〜17時
・交通:市バス玄琢行き「源光庵前」下車、西へすぐ