岩船寺(がんせんじ)

真言律宗 高雄山 岩船寺  関西花の寺霊場十五番札所
京都府木津川市加茂町岩船上ノ門
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別名「アジサイ寺」と呼ばれる当尾の古刹
 京都府の南端、奈良県に接する山村、当尾(とうの)に岩船寺がある。当尾は奈良に近く、中世の頃は南都の多くの僧が喧騒を逃れて居住し、修行に専念していたという。その名残りか、近くには九体阿弥陀仏で知られる浄瑠璃寺がある。また、点在する社寺の間を結ぶ道端には石塔・石仏(自然の岩壁に刻んだ磨崖仏)が多く見られ、それら総称して”当尾石仏群”と称している。中には鎌倉時代の年号を刻んだ石仏もあり、これらを見て歩くハイキングコースがある。
 岩船寺の創建は天平元年
(729)聖武天皇の霊夢によるものとされ、南都(奈良)善根寺に籠っていた行基菩薩に命じて阿弥陀堂の建立を建てたのが始まり。平安時代に入り、空海(弘法大師)の甥の智泉大徳(ちせんだいとく/空海の姉の子)が阿弥陀堂において伝法灌頂を修したことで、大同元年(806)新たに報恩院を開山。さらに嵯峨天皇が智泉大徳に皇子誕生を祈願させたところ、無事に皇子が誕生(後の仁明天皇)した。このことがあってか嵯峨天皇の皇后(橘嘉智子)は特に崇敬深く、弘仁4(813)に水田10町、山林360町を寄進するともに堂塔が建立され、寺号「岩船寺」となった。最盛期の岩船寺は、広大な境内には39もの坊舎があり、栄えていたという。しかし、鎌倉時代初期に起きた承久の乱(承久3年(1221))によって伽藍の大半を焼失している。再興されたが、江戸時代初期頃から次第に衰退、堂宇の荒廃も甚だしく、住職の尽力と徳川家の寄進により仏像や本堂の修復が叶い現在に至っている。

   
岩船寺表門   表門への石段左にある石風呂桶 。岩船寺へ参る僧は、この風呂で身を清めた   五輪石塔(重文・鎌倉)
         
   
厄除け地蔵菩薩(鎌倉時代作)   花崗岩に彫された不動明王(重文)   十三重石塔(重文)

 山門手前の左側に寺号の由来となったと伝える僧が身を清めた冷水浴の「石槽(石風呂)」が置かれている。山門を入って左手に五輪石塔(重文)、その手前の祠には花崗岩に彫刻された厄除地蔵菩薩、その右手に石室があり中に花崗岩に彫された不動明王がある。この不動明王立像は、塔頭湯屋坊の僧(盛現)が眼病を患い不動明王に平瘉を願ったところ完治したため、鎌倉時代末期の応長2(1312)、自ら不動明王を彫刻し安置したものと伝え、眼病に悩む人々の参拝があるという。さらに、その右手には鎌倉時代末期の正和3(1314)に、妙空僧正の造立と伝える十三重石塔(重文)が見られ、鎌倉時代初期に起きた兵火(承久の乱)によって伽藍の大半を焼失してはいたが、関係する多くの僧侶によって再興されていることが伺える。
 山門を入って右手に庫裏そして本堂がある。周囲は、”花の寺”札所に挙げらた寺に相応しく、紫陽花その他の草花が植栽されている。本堂内部は高さ2.8mの本尊阿弥陀如来坐像(重文)を中央に、その周囲に四天王像が安置されている。本堂の横が阿字池で、その背後の高台に朱色も艶やかな三重塔が見える。三重塔は、仁明天皇が智泉大徳の遺徳を偲んで入滅十年を過ぎた承和年間
(834847)に宝塔を建立されたのが始まり(同寺縁起書)。その後、室町時代の嘉吉2年(1442)、三重塔が建立、平成15年(2003)に大修理が行われた。塔の一層部の扉は通常閉じられているが季節に合わせ特別公開されるので、その時には内部来迎壁に極彩色で描かれている仏画を見ることができる。

   
本堂   字池と本堂   本堂前から望む三重塔
         
   
平成15年に修復され朱色も艶やかな三重塔。(通常、一層目の扉は閉められている)   正面から内部を見る(写真は、特別公開時に撮影したもの)   来迎壁には極彩色の真言八祖像が描かれている(写真は、特別公開時に撮影したもの)

◇岩船寺の所在地など
・住所:〒
619-1133京都府木津川市加茂町岩船上ノ門43
・電話:0774-76-3390
・拝観:8301700(冬期12月〜2月は9001600) 大人200
・交通:@JR関西本線「加茂駅」からNCバス<加茂山の家>行きにて約15分「岩船寺」下車すぐ。
A奈良駅から奈良交通バス
96又は105系統にて「岩船寺口」下車、徒歩約25分。
・駐車場:有り(有料)
・花便り:桜・ツツジ・ミヤコわすれ(春)、アジサイ・睡蓮・百日紅(夏)、紅葉(秋)、梅・三椏・椿(冬)


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