藤森神社(ふじのもりじんじゃ)

本殿中央(中座):素盞鳴命・別雷神・日本武尊・応神天皇・仁徳天皇・神功皇后・武内宿禰
東殿(藤尾社):天武天皇・舎人親王
西殿(塚本社):早良親王・伊予親王・井上内親王

京都市伏見区深草鳥居崎町

平安遷都以前から鎮座する秦氏ゆかりの古社
 藤森神社は、京阪電車墨染駅を出て東へ、本町通を北へ徒歩5分ほどの住宅街の一角、森の中にある。入り口は南・西・北の三箇所で、南が正面。境内は南北に長く、鳥居を潜り進むと左側に「蒙古塚」、続いて右側に「かえし石」。その北側正面に割り拝殿、その奥が本殿。本殿建物は、聖徳2年(1712)に中御門天皇から下賜された内侍所(ないしどころ/かしこどころ=神器の神鏡を祀るところ)を移築したもので、前方に千鳥破風と唐破風を重ねた拝所が付けられている。
 この本殿の東側に太い木の株を安置した小さな「旗塚」がある。神功皇后(仲哀天皇の后)が三韓征伐(新羅征伐とも言う)から凱旋した後、この藤森の地を聖地として軍旗の中で一番大きい旗(纛旗:とうき)を立て、武具を納め神祀を行った所という。藤森の地は現在の伏見稲荷大社の社地で、これを藤森神社の発祥と縁起書にある。社務所の方の話によると、旗塚の木の株をさすり祈ると腰痛が治るという信仰があり、新撰組の近藤勇も祈願にたびたび訪れたという。なお、腰痛除け守が800円で売られていた。さて、三韓征伐(さんかんせいばつ)を簡潔にいうと、4世紀に神功(じんぐう)皇后・別名気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)が朝鮮半島へ出兵し、新羅を支配した後、残り百済、高句麗も相次いで日本の支配下に入ったとされるため、このように呼ぶようになったという。
 この旗塚の手前に伏見の名水の一つに数えられている「不二の水」がある。傍で見ていると途切れることなく近隣の方と思われる人がボトルを持って汲みに来ていた。

   
西門からの参道   蒙古の将兵と戦利の兵器を納めたという蒙古塚   割り拝殿
         
   
本殿拝所   本殿   旗塚/祀られた古木(櫟)をさすり、その手で身体の悪いところさすると 治ると伝承されている。

 本殿の背後には、摂社の八幡宮(祭神:応神天皇)、そして大将軍社(祭神:磐長姫命)が鎮座。いずれも永享10年(1438)将軍足利義教(よしのり)が平安初期に造営された祠を造りなおしたと伝え、国の重要文化財に指定されている。また、八幡宮と大将軍社に並んで、七社宮、菅原道真の怨霊を祀る霊験天満宮がある。また、境内2箇所の紫陽花苑は6月に開園される。
 ただ創建については、縁起書に書かれたとおり記述したが、他の資料を調べ疑問の深みにはまっている。創建年不明と記述している資料があることや、旗塚はこの地を支配していた秦氏にちなむ「秦塚」が有力とした説などがあることで、結局は疑問のまま。個人的願望も含めた私見は、この深草地域で勢力をもっていた紀氏(きし)一族が稲荷山山頂に産土神を祀ったのが始まりであってほしい。紀氏一族は大化の改新のあと衰退し、代って秦氏一族が支配するようになり、秦氏は祠を山麓へ移し、さらに一族守護のために「真幡寸(まはたぎ)神社」を藤森の地に祀ったという。
その後、稲荷山に稲荷神を祀った(伏見稲荷大社の創建)たため、当社を藤森へ、先に祀られていた真幡寸神社を伏見区竹田真幡木町(若宮八幡宮前)に(現在は城南宮)遷座している。その名残か、伏見稲荷大社周辺の住民は藤森神社の氏子で、伏見稲荷大社の氏子は東寺から北側に広がっている。ところで、稲荷山に稲荷神を祀った深草の秦氏は、松尾大社を祀った太秦の秦都理(はたのとり)の弟で、秦伊呂巨(具)(はたのいろぐ)で、一族の分家と考えられている。
 また一方で、桓武天皇は平安京造営の際、都を悪霊から守るため大将軍社と八幡宮社を藤森に合祀。さらに永享10年(1438)、後花園天皇の勅により稲荷山山麓に祀られていた藤尾社(舎人親王)を藤森へ遷座。ならびに文明2年(1470)、東福寺近くで祀られていた塚本社(早良親王)へ伊豫親王、井上内親王の二柱を合祀し藤森へ遷座されている。このように合祀を重ねて室町時代に社名も藤森神社となったとされている。
 5月5日に行われる例祭「藤森祭」は菖蒲の節句(端午の節句)発祥の祭と言われている。「菖蒲」は「尚武」に通じ、「尚武」は「勝負」に通じるので、勝運を呼ぶ神として信仰を集めている。西殿に祀られた早良親王は陸奥で反乱が起こったとき、出陣にあたり当社に参拝して戦勝を祈願した。その出陣の日が5月5日であったことから、この日にちなみ「藤森祭」が催され、奉納される駆馬神事の元もととなっている。駈馬神事が馬の神事であることから馬の神としても信仰され、馬主、騎手、競馬ファンの参拝も多いという。また東殿は、日本最初の学者で日本書紀の編者である舎人親王を祭神としていることから、学問の神として信仰されている。

   
神鎧(かみよろい)像/5月5日の菖蒲の節句(端午の節句)発祥の社としての象徴として建立。   八幡宮社(重文)/祭神:応神天皇。 現在の社殿は、永享10年(1438)足利義教が造営したもの。   大将軍社(重文)/祭神:磐長姫命。平安京遷都の際、王城守護のために都の四方に祀られた南方の守護社。現在の社殿は、永享10年(1438)足利義教が造営したもの。
5月5日の菖蒲の節句(端午の節句)に武者人形を飾るのは藤森神社祭礼から始まり。武者人形には藤森の神が宿り、子供を守るといわれている。安土桃山時代に始まり江戸時代に民間に広がったとされる。
   
霊験(れいげん)天満宮/菅原道真公の怨霊を祀る   手水鉢の石は、宇治浮島にある十三重の塔の上から5番目の石を石川五右衛門が持ってきたと伝える   名水「不二の水」

◇藤森神社の所在地など
・住所:京都市伏見区深草鳥居崎町   ・電話:075-641-1045
・参拝:境内自由:無料:宝物館9:30〜16:00
・交通:京阪電車墨染下車徒歩7分、市バス藤森神社前下車、JR藤森下車徒歩5分
・見所:6月上旬から(約1ヶ月間)紫陽花約3,500株の「あじさい園」公開8:00〜16:00入苑料必要。

藤森神社のホームページ


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