
補陀洛寺
(ふだらくじ) (通称・小町寺/こまちでら)
天台宗延暦寺派 山号・如意山
京都市左京区静市市原町
小野小町の終焉の地
補陀洛寺は、叡山電鉄鞍馬線「市原駅」から鞍馬街道・府道38号線へ出て、南へ向かって(市内方向)200mほど歩くとよい。道は上り坂(篠峠)となり、その頂点あたりに道を挟んで小さな社寺が2,3ある。この峠、往古は近隣の村の死者を葬る成仏の霊域で、墓守の寺が幾つか建てられ、補陀洛寺もその一つと聞く。補陀洛寺は「こまちでら」と書いた立派な石標が街道に面してあるので、この石標が目印となる。(京都バス「小
町寺」前)
観光寺院でない補陀洛寺は、人と出会うこともないのだろう想像しつつ本堂への石段を登り、グルリと境内を見渡す、静かだ。正面が本堂で、平成十一年に再建されたとあり新しい。本堂正面の扉に「サルが出没し、仏前のお供養物を荒らすので、扉は必ず閉めてください」と書いた紙片が貼られているのを見て、山里に近い寺の悩みと苦笑した。呼び鈴で寺の方に出ていただき、本堂へ入れていただく。本尊の阿弥陀如来(平安末期)に合掌。
本堂の南(右手側)に「小町姿見の井戸」があるので近づき覗いたが、水は枯れていた。本堂の北(左手側)に小町のもとへ百夜(ももや)通いしたとされる深草少将の宝篋院塔(江戸中期造立)、その奥に小町の供養塔(五重層塔・鎌倉時代)など、小野小町終焉の地として、そのゆかりの遺跡がある。中でも本堂の本尊横にひっそりと祀られている「小町老衰像」に沈黙。小町は誰もが知る平安前期の歌人で絶世の美女として伝えられている。平安美人を頭に浮かべていると、老婆の姿に強烈な印象を残すことになる(写真参照)。小町終焉の地として、「小町寺」と通称されるようになったという。その他、境内には墓地の最も奥に千体地蔵そして、境内の南に小野皇太后(後冷泉天皇の皇后)の供養塔などが見られる。
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| 境内への石段 | 本堂 | 境内 |
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| 深草少将の供養塔 | 小野小町の供養塔 | 本堂に祀られる小町老衰像 |
補陀洛寺は、天慶8年(945)、ここから3kmほど北の山中の静原に十五代天台座主延昌僧正の発願により清原深養父(きよはらふかやぶ)の山荘を寺にされたのが始まり。その後、焼失して廃寺となったものを、この寺が名を継いだものである。
小野小町は平安前期の歌人で、絶世の美女として伝えられ、それだけに全国には小町伝説が残されている。ここでは、京都に絞ってその代表地を挙げると、最も著名なのが山科区にある隋心院といえる。次いで、京都府の北端、天の橋立近くの京丹後市大宮町五十河で、五十河と書いて“いかが”と読む。この五十河の村に小野小町を祀る小野山妙性寺。そして、あまり知られていない京都府井手町の「小町塚」。
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◇補陀洛寺の所在地など |
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| 井手町の「小町塚」 | 井手町「小町塚」説明板 |