円山公園とその周辺

円山公園 ・長楽寺 ・安養寺 ・大雲院 ・知恩院


大雲院(だいうんいん)
浄土宗単立寺院  山号:
龍池山

  「ねねの道」の北の突き当たりが大雲院。道から見える鉾と似た外観をした一際高い塔、「祇園閣」が目印。
 大雲院は、もとは浄土宗知恩院に属していた寺であったが、現在は浄土教系の単立寺で龍池山と号している。
通常非公開の寺なので拝観できないが、特別公開により拝観できた。本尊は阿弥陀如来 坐像で、如来の着衣は通肩で、六丈(約3メートル)と大きい。
 大雲院は、天正
15(1587)正親町天皇の勅命を賜り、織田信長、信忠父子の菩提を弔うため、御池御所(烏丸二条南)の地で貞安(じょうあん)上人が開山。織田信忠公の法名に因んで大雲院を寺号とされた。
 貞安上人は、天正3(1575)、能登の西光寺に住 んでいたが、上杉謙信の穴水城攻めを逃れて、同4年に安土(近江)の円通寺へ移る。そこで、織田信長の帰依を受け、能登の西光寺にならって西光寺を建立し、浄土宗の布教で功績。天正7(1579)5
月、織田信長の命をうけ、上人は浄土宗代表として安土浄厳院で行われた宗論に加わり、法華宗(日蓮宗)僧侶を論破したことで信長の信任を得ている。その時、信長から軍配団扇と朱印の感状を受けていて、それらの品々も展示されていた。

   
山門は旧宮家の門を移築したもの。   本堂は、平安・鎌倉の折衷方式の2階建て。
2階本堂に本尊阿弥陀如来坐像が安置されている。
  鐘楼は桃山時代の建物で、北野天満宮から移築されている。梵鐘は、島津家(宮崎県)が佐土原藩士の菩提を弔うために寄進したもので、室町時代の造られたもの。

  大雲院はその後、豊臣秀吉が寺域の狭いことを憂慮して天正18(1590)寺町四条南に移転。さらに島津以久(ゆきひさ:日向国佐土原(さどはら)城主)の帰依を受け栄えたが天明(1781)・元治(1864)の大火で焼失。明治初期(1868)に復興したが、 今度は寺域周辺が商業・繁華街化したため昭和48(1973)に現在の地へ移転してきた。
 本堂の裏(西側)にある祇園閣は、高さ
36
メートル、鉄筋コンクリート造りの三層建。建物は祇園に因んだ山鉾を模した形で、鉾先には金鶏が取り付けられている。塔の最上階には平和の鐘が架けられ、一層には阿弥陀像が安置されている。一層から三層への通路壁面には、中国・敦煌莫高窟に描かれている壁画を模写した壁画が描かれている。
 祇園閣背後の墓地には、織田信長、信忠父子碑の他、島津以久、画家の望月玉川・富岡鉄斎、さらに大盗賊の石川五右衛門などの墓がある。常時公開していただきたい寺院だ。


 

祇園閣は、昭和3年(1928)に建立された建物。祇園祭の鉾の外観をしていて、最上階から市街が一望できる。

   
  祇園閣の通路・階段壁面には、中国・敦煌莫高窟の壁画が模写されている。写真はその一部(大雲院の案内パンフレットから)。   祇園閣から八坂の塔(望遠)。
       
   
    織田信長、信忠父子の墓   石川五右衛門の墓

◇大雲院の所在地など
・京都市東山区祇園町南側
594-1 (円山公園音楽堂の西側)
TEL
(075)531−5018
・市バス「祇園」下車、徒歩約6分


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