円山公園とその周辺
長楽寺(ちょうらくじ)
円山公園
の池の南を東へ延びる道があり、その道を行くと正面に長い石段が見える。その先が「長楽寺」で、辺りは街の雑踏を遮る、古木の枝が重なる。拝観受付には誰もいない。辺りを見ると「ご用の方は、鉦を3回たたいてください」の張り紙を見つけ、おおせのとおり叩くと僧侶が出てこられた。
長楽寺は、平安時代の延暦
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| 東福寺を開山した聖一国師作と伝えられる布袋像 | 銀閣寺を造る時に、試作的に造ったとされる相阿弥作の庭園は、背後の山から涌き出る水をとり入れた苑池もある。 |
寺には、鎌倉初期における禅界の巨匠と言われ、聖一国師作と伝えられる布袋像がある。荒削りな作風であるが、”笑み”どの布袋像にも見られない、不思議なまでの妙味な笑顔。また、像は泥像で、土をこねたまま
で焼かれていないままで、約八百年も保存されたことは貴重とされている。この布袋像を形どったものが、古い京都の商家では釜戸の棚に奉られている。
その昔、内乱のため笑いを失っている家庭をみた国師が、人形師に命じてこの像を写し作らせ、頒布授与したのが始まり
とされ、これが庶民の信仰と結びついたと言われている。
また長楽寺は、平清盛の娘徳子・建礼門院が髪をおろされた寺。元暦2年(1185)3月、長門(山口県)の壇ノ浦において平家が敗れ、御歳8歳の安徳天皇(高倉天皇と建礼門院との間にお生まれ、3歳で即位)は祖母(清盛の夫人)に抱かれ入水。後を追うように入水の母、建礼門院は敵軍に捕らわれ、4月の末に京都へ戻されるが、5月1日この寺で髪をおろし、出家された。時に29歳であった。まもなく、建礼門院は大原の寂光院へ移り住まれ、69歳で亡くなられた(亡くなられた歳については、37歳、59歳、70歳など諸説あるという)。
また長楽寺は、建礼門院関わる貴重な資料が見られる他、墓地には頼山陽とその家族の墓。さらには、幕末の第十五代将軍徳川慶喜に仕え、御所守衛に一身をささげ亡くなった、水戸烈士戦没者87名の名前を刻んだ「水戸藩留名之碑」をはじめ、「尊壌記念碑」がみられる。その他、盛んに尊皇攘夷運動をした水戸藩大場一真斉、原市之進、鵜飼吉左衛門父子の墓、さらには墓碑もある。
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| 建礼門院像 | 本堂への石段脇におかれた、山岡鉄斎書の手水鉢。 | 本堂:秘仏の観世音菩薩や、阿弥陀三尊像、一遍上人像など祀られている。 | 寺の創建にあたり、伝教大師自ら刻まれた弁財天を祀る弁財天堂。 |
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| 建礼門院御塔(御髪塔とも) | 幕末の文人・頼山陽(らいさんよう)の墓。名著「日本外史」は、尊皇思想の広まり、維新思想の原動力となったと言われている。 | 幕末の最後の将軍徳川慶喜の弟・明訓(あきくに)の墓。御所守衛中の17歳で病死したが、水戸藩の将来を嘱望されていた人物。 | 水戸藩京都留守居役 鵜飼吉左衛門の墓(子・幸吉の墓も傍に)。安政5年、井伊大老により尊皇攘夷派の志士とともに処刑された(安政の大獄)。 |
◇長楽寺の所在地など
・住所:京都市東山区円山町626
・TEL:(075)561−0589
・市バス「祇園」下車、八坂神社南門を経て徒歩約5分
・長楽寺ホームページ
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