知恩院(ちおんいん)

浄土宗 総本山  拝観:境内自由
(方丈、庭園、権現堂は有料)
 
山号:華頂山 TEL(075)531−2111 交通:市バス「知恩院前」下車、徒歩約5分(円山公園のすぐ北側)
京都市東山区新橋通大和大路東入る三丁目林下町400 知恩院ホームページ:http://www.chion-in.or.jp  

 

 

 知恩院は、全国に7000余の寺院を擁する浄土宗の総本山。法然上人が晩年住まわれ、念仏の教えを説かれたお寺です。江戸時代、元和7年(1621)二代将軍徳川家忠が三門を建立、また寛永16(1639)に徳川家光公が御影堂を建立するなどし、現在の寺が形づくられている。
 知恩院へ来て、まず対面するのが高さ24メートル、幅50メートル、木造の門としては日本最大級の三門(国宝)である。この、三門を潜り御影堂(本堂)へ行くには、目の前の「 男坂」と呼ばれる石段を登るか、右手に造られた緩やかな坂の「女坂」を登るかのどちらかである。男坂は勾配がきつい石段のため、心臓や膝を気にされる人は「女坂」を奨める。

     
 三門(国宝) 高さ24メートル、幅50メートル、奥行き12メートル。木造の門としては日本最大級。屋根が二重で、二層には釈迦如来像と十六羅漢像が安置されている。三門とは「三門脱門」という意味で、「物事に執着しない」、「見かけで差別しない」、「欲望のままに求めない」という三つの事柄を表し、門をくぐることで、一歩づつ仏の国へ行けるそうです。元和7(1621)に、徳川二代将軍秀忠が建立したもので、江戸初期の技術を最大限生かしていて、建築史上高い評価を得ています。

 

「おとこ坂」の頂上から振り返ると、高さ24mを誇る三門も下に見える 。急勾配の石段である。

「おんな坂」は 緩やかな坂のため、歩きやすい。「おとこ坂」の右側(南)にある 。

御影堂は本尊の法然上人尊影を祀る知恩院の本堂。寛永16年(1639)三代将軍徳川家光により再建された。

 坂を登ると視界が開け、東山連山を背にした広い境内。中央が御影堂(本堂)で、御影堂に向って左(西)側に阿弥陀堂、 右(東)側に経堂、背後(南)に宝仏殿が並び、ぐるりと見渡せる。御影堂の背後には方丈、小方丈があり、その奥には徳川家康、秀忠、家光の三代の霊を祀っている権現堂がある(有料拝観)。

   
 本尊である阿弥陀如来坐像を祀る阿弥陀堂。    経堂は江戸時代初期の元和7(1621)に、三門と同時期に徳川秀忠により建てられた。内部には回転できる八角形の輪蔵があり一切経五千六百余巻が収められている。   宝物殿
         
   
小方丈 将軍が上洛された時にお泊まられる所。寛永18(1641)に建てられたもので、内部の狩野派の襖絵や障壁画は知られている。   権現堂 徳川家康、秀忠、家光の三代の霊を祀っている廟宇。   山亭の表門

 また、御影堂の東北(経堂の北 )に、高台へ登る石段がある。石段中央に設けられた手摺りに助けられながら登ると、都会の騒音も聞こえない静かな空間となる。ここが御廟で、表門を潜ると正面に法然上人が入滅された勢至堂。右手側の高台に 法然上人の分骨が祀られている廟舎がある。御影堂(本堂)に参られた後、これら堂宇へも参拝されてはいかがでしょうか。勢至堂の後方の墓地には、豊臣秀頼の妻・千姫の墓 、そして濡髪祠の額を掲げたお堂がある。
 
また、御影堂の東南には大鐘楼があり、更に南に
安養寺がある。この安養寺は、法然上人が天台宗と決別し、比叡山を下りて造られた草庵の一つの「吉水草庵」とされる。

   
御廟(ごびょう)  知恩院の一番東の奥、勢至堂の右手にある。建暦2年(1212)法然上人が勢至堂で亡くなられた後、分骨を収めた場所。この廟舎は、慶長18年(1613)、常陸国土浦城主松平伊豆守の寄進により改築されたもの 。   拝堂で、宝永7年(1710)、知恩院第四十三世圓理上人が御廟建て添えた。奥に見えるのが法然上人の分骨が祀られている御廟(ごびょう)    勢至堂(国宝)  法然上人終息の地。本地堂知恩教院とも呼ぶ。享祿3年(1530)の再建になり、現在の知恩院では最古の建物。御影堂が建てられるまでは本堂で、上人の幼名・勢至丸ゆかりの勢至菩薩が奉られている。
 
   
御影堂が建てられるまでは本堂であった勢至堂の偏額   紫雲水(しうんすい)  勢至堂の傍らの崖下にあり、法然上人入滅の時、聖衆が來迎し紫雲水が水面に現れ芳香が漂ったという伝えがあります。   影向石(ようごうせき)  紫雲水の北ににあり、法然上人がご臨終の時、加茂大明神(一説に葦提希婦人・いだいけふじん)が降臨したという伝えがあります。
   
         
 勢至堂の後ろ(北側)に広がる墓地に千姫の墓がある。徳川秀忠の娘で、7歳で豊臣秀頼に嫁ぎ、後に大阪城落城で連れ戻されるという波乱の人生を送った女性。  

 千姫の墓の背後にある濡髪大明神(ぬれがみだいみょうじん)の祠。

 

   寛永13年(1636)に鋳造された日本三大名鐘の一つとされる梵鐘。高さ3.3メートル、口径2.8メートル、厚さ30センチ、重さ70トンもあり、重要文化財に指定されている。年末(大晦日)僧侶17名により鐘が突かれる風景は、TVでもよく紹介されている。

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