1月5日月曜日
明けましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いします!

最近は「あけおめ、ことよろ」ってよくもらうけど
これ一部にしか通じないからなwww
TPO考えて使おうぜw

さて、前回の続きである。

王様ラジオキッズ放送開始。
CM中に前の番組出演者とすばやく入れ替わるのだが、ノブリンこと原田さんとすれ違う。
流星ちょっと緊張w

軽快なみーたんのトークでスタート。
そして俺登場w
この番組、長時間の生放送だが、中身は小刻みに
コーナーが仕切られており、実は時間が足りない
という感じでスピーディに進行しているw
タイマーとにらめっこしながら、みーたんが進行
スタッフもテキパキと動いている。
おーたんもお手伝いしている。
そして俺はと言うと、、、
実は俺だけ何もしていないwww
マイクに向かって喋るだけで、担当以外のコーナー
になると、タバコ休憩に行くという有様であるw
毎回お客様気分で申し訳ないと実は思っているが
普段いない俺が、急場で何かしようとしても、俺の為
に仕事を割り振ってもらう作業が一手間入るので
毎回これに甘んじている。
スタッフの皆さん本当に申し訳ないです、、、

そして現場の雰囲気だが、これはラジオ関西のほかの
番組にも言えると思うけど、アットホームな感じ
なのである。よくTVで見る放送局のシーンとか
ああいうのはまったくないw
大体だな
「何とかちゃん、最近どうなのよ?」
こんな喋り方のヤツ見たことないぞwww
TV業界にはいるんだろうかw

番組は問題なく進行。
そして俺のコーナーに。
生出演ということもあり、得意などうぶつの森の
情報について語る。
いつものことだが、ノッテいるゲームについては
本気になるw
(プロとしてそれはどうなん?w)←これは言うなw
俺コーナー、すこし押しつつも終了。
無事済んでよかったw

多少気楽になった俺は、その後も番組に参加。
そして無事番組が終了となったのである。

さて、普段スタジオにいない俺はここですることが
なくなるのだが、みーたん含めてスタッフは忙しい。
まず、プレゼントの宛名書きやら、年賀状らしきもの
をせっせと書いている。ブログに載せる写真などを
撮り、本当に忙しそうである。
もちろん片付けもある。みんなテキパキとこなしている。
現場は大変なのである。

てなことで俺はすることもなく待っていたんですが
(手伝えよ流星!)←いや、ごもっとも、、、
突然コリー黒川氏(※)が俺を呼びに来る。
「相原さん、田中公平先生が呼んでますよ」

「なぁあああにぃぃぃぃぃぃ?」←クールポコ風
なんと!さっきの師匠たちのイベントに田中公平さん
ご出演されてて、俺がいることを知って声をかけて
下さったのである。
これは急いで向かわねば!
田中公平さんのいらっしゃる控え室へ・・・
懐かしいお顔と対面したのである。
すこし痩せられたようだけど、変わらない笑顔で
迎えて下さりました^^
しばし近況などを話しました。
いや、本当に何年ぶりだろう。
俺が三石さんと流ゲーしてた頃以来ですからねえ。
ずいぶんとあれから経ってしまったんだなぁ。
感慨深い時間でもありました。
そうこうしてる内に、岩崎さんとかおりんが来て
またにぎやかに楽しくお話させて頂きました。
継続は力なりとはよく言ったもので、ラジメニアって
すごいなあと思います。
愛されているから続いているのはもちろんですが、
スタッフの努力がすごいんだろうなと思います。
このままずっと続いて欲しいなあと思います。
いつ神戸に行っても、お二人が番組を続けている
というのは本当に嬉しいことで、なんと言うか
ああ、帰ってきたなあと、不思議でかつ心地よい
気持ちになるのです。
こちらは関東ですが、いつまでも応援しています。
岩崎さん、かおりん。お体に気をつけて頑張って
ください^^

そういう時間があって、突然のサプライズが嬉しかったです。
そして王様スタッフは忘年会へ。
しかし、ここでも驚くのだが、みんな芸達者www
カラオケボックスが異様な熱に包まれた瞬間でしたなw

というわけで、けっこう酔っ払った俺はホテルに戻り
ソッコー寝てしまいましたw
次の日、神戸をあとにしたのでしたw

(※)コリー黒川氏
ラジオ関西のエライ人。
昔ゲームマックスCDの「僕たちはそばにいる」と
言う歌で、最初俺が作詞を担当したのですが、
どうにもサビが決まらず悩んでいたら、シャイニング
ウェーブ(電波の意味に置き換えて)のところを
さらっと考えてくれた恩人です。
今年も宜しくお願いしますw
2009年1月5日 04時31分40秒

1月26日月曜日
年明けたと思ったらもう1月も終わりか^^;
年取ると年月早いと言うけど本当ですね。

さて、今日は特にトピックはないので、
ダラダラと思った事でもw

そういえば、昨日の朝テレビをつけたら、
仮面ライダーの新番組の第一回がやっており、
おお、見てみるか!と、しばし鑑賞。

見終わった感想。
「これはないなw」で、ある。

過去の作品に思い入れのある人達というか、
単純にファンとして見た人達に対して
ちゃんと収拾がつくお話に出来るのであれば
いいが、見た限りではちょっとこれは
「やっちまったなー!」 byクールポコ
な感じがするw

過去のものも全部は見ていないし、見たものだけ
でしか言えないけど、それぞれにテーマがあった
ように思える。
確かに毎回ヒーローが怪物を倒すという設定が
ベースにあるとしても、人間ドラマがあるから
惹かれて見てしまうのである。
そういうものが思い入れになるのであるから、
そこが個々の作品で一つの世界を作って完結している
のだから、そのテーマやドラマ性も含めて扱って、
新作としての今作に昇華しなければいかんと、
個人的には思うんだけどなぁ。

オダギリジョーじゃないクウガが出て来ても
ピンと来ないし、違う俳優さん使うなら
違和感のない設定を何か考えるとか、
もっとなんかなかったのだろうかw
オダギリさんはもう出演が難しいからとか
そういう理由だったら、ガッカリだなぁ。
だってそれは作り手側の都合で、視聴者には関係ない
ものね。

とまあ、勝手なこと書いちゃったけど、
好きな作品もあったので、許してねw
見ている間、昔のゲーム作りのころ思い出して
作り手の意図を測ろうとしてしまったよw


2009年1月26日 08時23分18秒

1月28日水曜日
今日も寒いねー^^;
インフルエンザが猛威を振るっているので、
皆さん気をつけてくださいね。

さて、私は未だに当日は気分が沈む日があるのですが、それはあの1月17日のあの地震の日のこと
です。
今回も書き込みしようと思いましたが、
なんか17日には書き込む気分になりませんでした。
その日その場に居たわけではありませんが、
当時リスナーの皆さんからいただいた葉書に
かなりショックを受けたのでやっぱり忘れられない
ですね。
いつもその日を考えているような男ではないし、
やっぱりその日にしか思い出さないけど、
でも、心にはずっと残って消えない事ですね。
忘れたいと思ってる方もいると思うので
尚更こういう気持ちを書いていいものかと思いました
が、自分の日記なので思った事はそのまま書いて
みようなどと思い、書いてしまいました。
不愉快に思った人がいたらすみません。

さて、話は変わりますが
この日記、時々過去のことを読み返したりするんです
が、遡っていってたら、去年の3月のところで
流ゲーのいきさつが止まっているのを発見!
これはいけません!

と、いうことで・・・
突然ですが、リュウゲーのいきさつ復活ですw
前回が3月にその2を書いたので、ほぼ10ヶ月ぶり
ですw
前回までについては、過去の日記を読んでくださいw
お手数でごめんね^^;

その3

当時の私の直属の上司はヒゲのYさん。
番組にも何度も登場し、本人は知らないかも
しれませんがのちにファンまでできた人ですw

さて、Kさんが持ち込んだ企画書は、そのYさんの元に届きました。
しばらくして私は上司のYさんに呼ばれ、
ラジオ番組の企画がきているがやってみたいか?
聞かれました。
あの夜の食事の時詰めた内容ですので
もちろん、やってみたいと答えました。

しかしその企画書の内容には、自社がスポンサーと
して予算を出すのに、アトラスのことはほとんど
話題にしないという内容が書かれていませんでした。

実はこれは、番組という形を取る上で重要な事
だったのですが、アトラスの内容ばかりの番組では、
宣伝は出来てもリスナーを楽しませる事が
出来ないのではないか?という事から、自社の内容に
こだわらず、ゲーム全般を扱おうと考えたからです。

今では、自社番組にライバルメーカーのゲストを
呼ぶなど、割と平気でやってたりします?が
当時は考えられない事だったのです。
不思議に思う方もいるかもしれないですが、
「なぜ他社の宣伝のために金を出さなきゃならん」
と、普通は思いますよね。
他人事なら、出してもいいじゃんと簡単に言えますが
お金を出す方は、遊びではなく商売の一環として
やっている訳ですから、ぶっちゃけありえない事
なのです。
局や代理店もタブーな内容としてそんな企画書は
出しません。
Kさんも、それだけは書けないと言い、そこは
相原さんが説明して下さいと言いました。
当時を振り返れば、よくこれを会社が了解してくれた
なぁと思います。
私が説明した内容に、上司のYさんが了解し、更に
その上のところにYさんが説得にいき、会社が了解
するというのは、大変なことなのです。

事実、これを説明した時はかなり緊張しました。
考え込むYさんを見て「こりゃあ無理かなあ」と
思いました。
が、しかし、顔を上げたYさんは「面白いな」
と言い、社内を説得してみないとなんとも言えないが
面白いから企画が通ったらやってみろと言ってくれました。
Yさんがその後、社内で苦労して調整をして頂いた
のは、想像に難くありません。
プロジェクトXみたいな話ですが、そういった
たくさんの方々の理解と協力があって、流ゲーが
スタートすることが出来たのです。

流星野郎のゲーム業界裏情報

さて、番組制作が決まり、タイトルも揉めましたがw
流星野郎のゲーム業界裏情報と決まりました。
揉めたのは、この裏情報という部分ですw
裏情報なるものは、私から話すのは立場上問題がある
からまず無理ですよ、と言ったのですがこれは
ジローが譲りませんでしたw
タイトルにフックとなる言葉がない限り、
リスナーは興味を持ってくれないだろうから
タイトルはこれで行きたいと言い張りました。
言っている事は分かったのですが、裏情報なんて
ないじゃんって突っ込まれた時に、なんて答えたら
いいのか、、、ここがどうしても引っかかった
のですw
しかし、話してるうちに、ゲストがうっかりポロリと
とこぼしてしまう部分をその裏情報ということに
したらどうだろう?wという苦しい言い訳で
結局タイトルを了承してしまったのですw

そして、番組の内容を詰める作業へと移行していくの
ですが、この番組をする上で、いくつかのポリシーと
決め事をジローと話し合いました。
以下が覚えていることです。

・毎回プレゼントを用意する。
・アトラスの内容は、リスナーから要望がない限り
 扱わない。
・リスナーの要望にはできるだけ応える。

こんなような事を決めたと思います。

以下次号w










2009年1月28日 08時32分14秒

1月30日金曜日
ふっふっふ俺としては更新が早いぜw
忘れないうちに今回も、「今だから言ってもいいかな
あの頃のリュウゲーの話」行きたいと思います。

第一回の誕生のいきさつを3回やりましたが、
今回は番組スタートが決まり、その準備について
お話します。



第二回 ゲストコーナーの出演依頼in CSG

流星野郎のゲーム業界裏情報の目玉である
ゲストコーナーですが、実はこれが大変でした。
まずゲストを呼ばなければ話になりませんw
しかし、ここでまた当時の話になるのですが
流ゲーのような番組はなく、当然今のように
そういった番組への出演に理解があったわけではない
頃であったというのを、まず理解して読んで下さいw

ゲーム業界が横のつながりに寛容であるのは
昔からではあるのですが、私はまだ駆け出しの宣伝で
あるし、知り合いの他社メーカーもそんなに多く
ありませんでした。
そんな中で、ゲスト出演の交渉を行った訳ですが、
もう飛び込み営業に近い形で、出演交渉を行ったのを
覚えていますw
当時、ゲームのイベントとして、東名阪でCSGとい
うタッチ&トライのイベントが、開かれていました。
番組スタートを前にして、ゲスト確保の作業をして
いた私は、メーカーの宣伝担当が一同に集まるこの
イベントを、交渉の機会の場として選びました。

ぶっちゃけ、当日に各メーカーさんのブースを回って
直接お願いしたのですw
まず、断られにくそうな顔見知りのメーカーさんから
回りました。
最初のゲストが東亜プランさんだったのも、そういう
訳だったのです。当時の東亜プランの担当さんとは
非常に仲良くさせて頂いてたので、飲みに行ったり
野球をしたりもしましたね。懐かしいです。
そんなわけで、顔見知りの方々を最初訪ねて行った
のですが、思ったより好意的に受け止めて下さいま
した。
上司に相談してからという所もありましたが、
知り合いの所からは概ね了承を得る事が出来ました。
しかし、
初対面のメーカーは苦労しましたw
やはり「なぜアトラスの番組にうちが協力しなきゃ
ならんの?」的な返答を頂き断られたとこもありま
した。
また、ソフトのプレゼントをするというのも、
なかなか難しいところがあり、そこもひっかかった
所があったのでした。
実はこれは仕方のないことではあるのです。
プレゼントに使うソフトもタダではないので、
宣伝費から捻出しているので、当然費用対効果が
見込めるものにしか使いたくないというのは
宣伝の担当なら当たり前に考える事です。
しかも、当時はそういう番組もほかにないので
他社の宣伝番組に、なぜ協力してソフトまで出さな
きゃならないの?となるのはもっともな事です。
さらに、ソフトは商品なのでプレゼントはしないと
いう方針のメーカーさんもありました。
ソフトは売り物で、売るための販促物を作っているの
で、販促物なら用意することが出来るという所もあり
同じ宣伝をする者としてそれも理解できるお話では
ありました。

しかし、回ってみるものですね。
終わってみれば10社ほどのメーカーさんが
出演を了承して下さいました。
担当者不在だったり、時間がなくて回れなかったとこ
もあるのですが、ほぼ8割近くのメーカーさんに
声をかけることが出来ました。
約3ヶ月先までゲストが埋まり、準備が着々と出来て
きたなぁと思ったものですw

改めてお礼を申し上げたいのですが
当時、訳の分からない交渉内容にご理解を頂いた
各メーカーのご担当の皆様、本当にありがとう
ございました。

次回予告
第3回 結城さんとの出会い
に続くw






2009年1月30日 01時25分25秒

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