天寵 森鷗外  去年の某展覧会に大きい油画を出して落選した人がある。画は頗る強烈な顔料で細い点を打つたやうにかいたものであつた。瞥見すれば、彩色の濃《こま》やかな氈《かも》のやうにも見え、又砕いた硝子《がらす》に光線が中《あた》つて屈折せられてゐるやうにも見えた。諦視すれば、其中に二つの人物が模糊として認められる。裳《もすそ》の広がつてゐる処から推すれば、女であらう。En face になつてゐる背後の人と、profil を見せてゐる前方の人と、顔が半ば重なり合つてゐる。足の辺に赤と緑との、稍《やゝ》大きい斑がある。椿の花ででもあらうか。  審査委員の人達が椅子を半圏状に並べてゐると、画は一枚一枚其前に出される。半数以上は直ちに斥《しりぞ》けられる。直ちに取られるのは、三十枚に一枚か、五十枚に一枚か位のものである。其半途にあるものは一旦再考の部として片脇へ寄せて置かれる。  画を運び出すのは男である。其傍に女が三人、青、赤、白の紙を持つて待つてゐる。赤は最も忙しい。それを貼られる不合格の画が最も多いからである。次は白の再考である。最も閑なのは合格の青である。  四五百点もあらうと云ふ出品が、一旦 défilé をしてしまふと、委員は再考の部を見直す。白の画の大部分は、委員が青にしたいが少し物足らぬと思つたもの、又は赤だと云ひたいのに、どこか惜しい処があつて控へてゐたものであるから、それが二度目に運び出される時には、もう大抵運命は定まつてゐる。今度も赤を持つた Atropos の手から、一度|逭《のが》れた剪刀《はさみ》を受けるのが多い。折々又|小疵《せうし》のために躓いた大醇《たいじゆん》の作が、青を持つた女の開く天堂の扉の内に入る。しかしこゝでも再三考の作として、白の儘に取り残されるものがある。  問題の点描《てんがき》の画は此再三考の部に入れられた作である。鑑査の室にせられた広い間の隅に、此大きい画はいつまでも立て掛けられてゐた。審査委員の人達はかはる/″\其前に往つて、暫く立つて見てゐては、黙つて退く。此話を書く私も其一人であつた。  鑑査の殆ど終る頃であつた。「あれはどうしよう」と誰やらが云つた。「まあよさう」と誰やらが答へた。実はどの委員も、「どうしよう」、「まあよさう」と自問自答してゐたのである。  百何十点かの入選した画の題と作者の名とが、発表せられた日の晩である。私の所へ、アカデミイの制服を着た一人の青年が尋ねて来た。痩長《そうちやう》で色が稍《やゝ》蒼い。長くした髪を肩まで垂れてゐる。これが点描の画の作者であつた。名はM君と云ふ。  M君はこんな事を言つた。自分は落選した云々《うんぬん》の画の作者である。あの画は、布、顔料、額縁に、持つてゐたゞけの金を掛け、費されるだけの時間を費し、嘗《な》められるだけの苦辛を嘗めて為上《しあ》げた。殆ど自分の運命は繋《か》けてあの画にあると云つても好い。それが不幸にして落選した。そこで責《せ》めてもの心遣に、あの画のどこが格に合はぬか、聞せて貰ひたいと云つた。  私は初め知らぬ人の名刺を見て、玄関へ用事を問ひに出たので、これだけの話は玄関で聞いた。一体 refusés は他の落後者と同じく、逢つて心持の好い人は少いものである。それにM君はいかにも無邪気で、其|口吻《こうふん》には詞《ことば》を構へて言ふやうな形迹が少しもなかつた。私は聞いてゐるうちに気の毒になつたので、「兎に角上がり給へ」と云つて、書斎へ通して茶などを侑《すゝ》めた。  さて私は先づこんな事を言つた。某展覧会の鑑査の事は、私はなんとも云ふことが出来ない。しかし君の画は私が記憶してゐるから、展覧会を離れて、君の画の事を話すのは差支ない。しかしそれより先に、君がどう思つてあの画をかいたか、私に話して聞せて貰ひたいと云つた。  M君は苦しさうな顔をした。そしてやう/\かう云つた。「困りましたな。実際詞でどう言ひ現して好いか、わかりません。」  かう云つたM君の心理状態は、私には好くわかつた。私は画はかゝない。しかし小説や脚本の「試み」をして見たことがある。それをどう思つて書いたかと問はれては、私だつて困る。  私は問の意味を分析して、私の知りたいと思つた事を、一々具体的に尋ねた。私は其問答をこゝに繰り返すことは出来ない。要するに、私は先づM君が「何を欲したか」と云ふことを知つた上で、それから「何を能くしたか」と云ふことに及ばうとしたのである。  何を欲したかと云ふ問は、藝術家に向つて発するとき、極めて広い、又極めて細かい問になる。大体の事も此中に含まれてゐる。一部分一部分の事も此中に含まれてゐる。私は大きい所から小さい所へと問を進めた。稍久しい対話の間、M君の言ふ所には、何一つ私に誠実を疑はせるやうな事はなかつた。M君は何かの画をかかうと思ひ立つた時、「いつも頭が一ぱいになつて、早くそれを外へさらけ出してしまひたくなる。」そこで殆ど自由意志を失つたやうになつて、自分の出来るだけの事をしてしまふ。此心理状態が内の原因になり、時間と資本とを窮屈に限られてゐるのが外の原因になつて、あの画一つが出来た。画の sujet は「丁度其時かきたかつた物」をかいたのである。M君は煩はしい私の問に答へて、私にあの画の理想的内容とでもいふべきものを会得させようと努めた。しかしそれを、あの画を見ぬ人の為に説くのは、無意義であらう。  M君が何を欲したかと云ふことは、私に好くわかつた。しかもそれが私の兼てかうだらうと推してゐた所と、大いなる逕庭は無かつた。  そこで私はM君に言つた。私は君の藝術家としての意志を尊重する。私はすこしも君の画を嫌ふ念を有してゐない。君の画には公衆の好みに阿《おもね》つた迹もなく、又大家の意を迎へた迹もない。しかし私は君の画に対して物足らぬ感じを抱いてゐる。これは私の感覚が鈍いのかも知れぬが、画に闕点がないにも限るまい。これは君が何を能くするかと云ふ問題である。私は君が此度の落選に屈せずに、新しい作を出されるのを待つてゐようと云つた。  それから私はM君に、アカデミイの先生方の中で誰の所へ出入《しゆつにふ》するか、又生徒の中に藝術上の友として交る人があるかと尋ねた。しかしM君は余り教授をも訪問せず、同学の人達にも交を求めぬらしかつた。私は師友の間で刺戟を受ける利益を説いて、君に交際を勧めた。そして君を慰め、君の前途を祝して帰した。      ――――――――――――――――――  殆ど半年程の月日が立つた。或る晩M君は、新しくかき上げた画を二枚持つて、突然私の家をおとづれた。  私は又M君を書斎へ通した。君の容貌は去年見た時と変らない。そして前よりは晴々《はれ/″\》してゐる。勿論半年足らずの間に、容貌の変る筈もないが、後に聞いた君が其後の経歴を思へば、よく変らずにゐると驚かずにはゐられない。  「大ぶ久しく逢ひませんね。其後どうしました。」  「なに、ぢきそばにゐますが、どうも気がさして上がられませんでした。」気がさす。気が咎める。此詞の意味が私にはわからなかつたが、経歴談を聞いた後に思へば、困窮してゐるM君は、私に何か求める所があるやうに思はれたくないので、来なかつたのであらう。けふはかき上げた画をアカデミイの某君に見せに持つて行つたが、生憎《あいにく》某君は留守であつた。そこで其画を誰にも見せずに持つて帰るのが残念なので、私の所へ持つて来たのである。  私は画も見たかつたが、それよりは先づM君が去年以来どんな生活をしたか、今どうしてゐるかと云ふことが知りたかつた。そこで私が問ふ。君が答へる。其の答へる間に、君は時々軽く笑ふ。此笑は、君の経歴談の内容から推すと、君の性質次第では ironique な笑になりさうなものであるに、飽くまで無邪気な笑である。二人の対話の間に、二枚を向き合わせにして其間に liège を插んだ油画は、そばの壁に寄せ掛けてあつた。      ――――――――――――――――――  M君は「去年お話をしたかも知れませんが」と云つて、其経歴談の口を切つた。しかし去年は何も話したのではなかつた。話の概略はかうである。  M君が去年ひど算段をして画をかいて、某展覧会に出した時、君の父親は故郷で大病になつてゐた。入選したと云ふ吉報を、父に息のあるうちに聞かせたいのが、君の切な願であつた。これは単に父を喜ばせたいと云ふだけではなかつた。画かきになるのを、世の廃《すた》れものになるやうに思つて、強て思ひ止まらせようとした父に、君は自分の成功を知らせて、自分が空虚な希望を懐いてゐたのでなかつたと云ふ分疏《ぶんそ》をしようとしたのであつた。  父は亡くなつた。故郷で家を継いだ兄は、纔《わづか》に一家の生計を営んでゐるだけで、M君に学資を出して遣ることは出来ない。M君は今までのやうに籍をアカデミイに置いてゐるには、自力で生活費と学資とを得なくてはならぬことになつた。  M君は竹見と云ふ文房具屋へ往つて、小僧になりたいと申し込んだ。学資を払つて貰つて、午前はアカデミイに往き、午後は小僧として働かうと云ふのである。竹見は主に洋画の顔料や、画布や、画筆を商ふ人で、私の住んでゐる千駄木町の北、千駄木林町に工場を持つてゐる。商人に珍らしい竹見は、この我儘な、小僧らしくないM君の注文を聴き納《い》れて、君の学資を出し、君を三畳の部屋に置いて、午前はアカデミイに通はせた。  M君は暫く小僧生活を経験した。そして其間に予想しなかつた故障を見出した。それは午後に小僧になつて労働する自己と、午前に画かきになつて修業する自己とを、かつきりと分割することが出来ぬと云ふ事実である。アカデミイで dessin をするのに、どうも今までのやうな気分になられない。昨日の小僧が出て来て、今日の dessinateur の邪魔をする。  そこでM君は種々《いろ/\》に考へて見た末に、主人竹見にかう云ふ相談をした。自分は一旦誓つた事を必ず履行しようと思つたが、どうもそれが出来なくなつた。前日の小僧生活が翌日の画の邪魔になる。然るに画は廃めることが出来ぬから、小僧を廃めるより外無い。さて小僧を廃めて、どうして学資と生活費とを得ようかと云ふに、自分の考へた所では、只一つの方法しか無い。それは此儘こちらに置いて貰つて、こちらの商品をアカデミイの先生や生徒仲間に売り捌くのである。毎日アカデミイに往つて稽古をして、旁《かたは》ら顔料やなんぞの注文を聞く。そして注文せられた品々を、次の日にアカデミイへ持つて往く。それが今まで小僧をしたと同じ程、こちらの役に立つかどうか知らぬが、兎に角それだけの為事《しごと》をする報酬として、今まで通りこちらに食はせて置いて、学資を出して貰ひたいと云ふのである。  M君は竹見が腹を立てはせぬかと気遣ひつゝ此話をした。然るに意外にも竹見の顔には、大人が子供の話を聞く時の微笑のやうな微笑が現れた。そして竹見は云つた。「さうですか。私も一旦あなたの身の上を引き受けたものですから、お望通りにして上げませう。これまででも、あなたの方では小僧として一廉《ひとかど》の骨折をしてゐた積でせうが、実は内の坊主程の役にも立つてはゐません。それですから商品の売捌は、旨く行つても行かなくても、私の方の損得には格別これまでと違つたこともないのです。若し又旨く売捌が出来たら、収入の五分位はあなたに上げるから、あなたの方にも得が行くわけです」と云つた。内の坊主と云ふのは、去年九歳であつた竹見の息《むすこ》である。  竹見は此時又かう云つた。「あなたの正直な事は、私が一目見て見抜いた積で、内に入れたのです。もう暫く内にゐなさるからわかるが、それは私の見込違ではなかつた。しかし私は別に見込違をした。それはあなたを内へ入れた時、これは画の方が旨く行かないので、文房具商にならうと思つて這入り込んだのだ。人は正直だが、其腹だけは隠してゐて、こつちの様子がわかつた上で、画の方はよしてしまひ、私には腹を打ち明けようと云ふのだらうと、かう思つたのです。所が、今になつて見れば、あなたは飽くまで画かきにならうとしてゐなさるやうだ。私は遠慮なしに言ふから、おこつては行けませんよ。一体あなたは画で成功すると云ふ見込が立つてゐるのですか。先生方はなんと云つてゐますか」と云つた。  M君は有の儘に、先生方の意見は、改めて聞いて見たこともないが、自分だけは成功する積だと答へた。  竹見は此答に満足しないで、かう云つた。「自分でばかりさう極めてゐたつて行けません。第一あなたが苦しい思をして、無駄骨を折つてはならない。それに私だつて世話をして上げるからは、世話甲斐がなくては詰まらない。どなたにでも好いから、不断あなたの為事《しごと》を見てゐる先生に、末の見込がありさうだか聞いて御覧なさい」と云つた。  M君は、「さう云ふわけなら近いうちにW先生に聞いて見ませう」と約束した。そして小僧と云ふ旁業《ばうげふ》から、行商人《かうしやうにん》と云ふ旁業に転じた。  M君はアカデミイで先生や生徒仲間の注文を聞いて、翌日其品を持つて行くことになつた。暫く立つと、M君は行商人が決して小僧より楽でないことを知つた。片手に自分の学校道具を持つて、片手に注文の品を持つのだが、其品が時々|嵩張《かさば》ることがある。顔料や画筆なら幾ら持つても知れたものだが、画布は枠に張つて来て貰ひたいと云ふ人があるので、其の張つたのを二枚持つて行く日には、寒い日にも汗を出して、途中で何遍も休まなくてはならない。其上竹見方で品物を取り揃へたり、枠張をしたりすると、切角廃めた小僧生活が幾分か再現することになる。新しい旁業から生ずる、此の室内途上の労働は、殆ど初の小僧生活と同じ程の悪影響を、アカデミイにゐる時の気分に及ぼすのである。  それと同時に、M君は内部から一種の圧迫を受けて来た。それは強烈な製作欲が発して、次第に高まつて来たのである。アカデミイで為《し》てゐる dessin は、見廻に来た先生に、「さう、君、奇抜にばかり遣らうと思つては行かん」と云はれるが、君自己は殆ど器械的に為てゐる積である。これでは少しも製作欲を満足せしめることは出来ない。そこで内に帰つてゐる間に画がかきたい。例の「頭が一ぱいになつてゐる」のを外へ出したい。然るに行商人としての日々の為事に時間を取られる。又竹見の貸してくれた三畳の間に、夜具や机を持ち込んでゐるので、画をかく場所も無い。それから竹見に学資を出して、食はせて貰つてゐるだけで、現金と云ふものは行商の売上金から五分の配当を受けるより外には無く、それも一箇月に精々二円位のものなので、画布や顔料を買ふことが出来ない。  こんな風に、M君は外からは行商生活に苦められ、内からは製作欲に悩まされてゐるので、竹見には約束して置きながら、W先生を訪問することが久しく出来なかつた。W先生は自分の caricature を山賊のやうにかく、こはい顔の人であるが、生徒に優しくしてくれるので、君は自己を鑑識して貰ふことを此人に頼まうとしたのである。そのうち竹見が、「どうです、先生の所へ往つて見ましたか」と催促することが二三度に及んだ。君も此上捨てゝも置かれなくなつて、或る日ふら/\と駒込の竹見方を出て、白山上から電車に乗つた。そして芝園橋で乗り替へて、麻布霞町のW先生の atelier に往つた。  M君が此家の閾を跨ぐのは二度目であつた。M君は去年某展覧会に画を出して、落選の不幸を見た時、私の所へ来るすぐ前に、W先生を訪問して、私に言つたと同じやうな事をW先生に言つて、私の返事に似た返事をW先生の口からも聞いた。W先生はアカデミイの教授で、他の諸教授と同じく、某展覧会の審査委員に加はつてゐたのである。  前に閾を跨いだ時は、M君は、力限の勇戦をして立派に負けた敗軍の将のやうに、よしや多少の未練はあつたにしても、兎に角さつぱりした、勇ましい気分でゐた。それが今度はどうも人の使に往くやうで、しかも其使の用向が自己の身の上であるために、間が悪いと云はうか、気が咎めると云はうか、一種の厭《いと》ふべき弱みを感ぜずにはゐられなかつた。其上心の底には例の内外の圧迫が盤結《はんけつ》してゐて、これで条理のある話が出来ようかとさへ危ぶまれるのであつた。  戸を開けて這入つて見れば、W先生は chevalet の前に立つて画をかいてゐた。M君を一目見て、「一寸待つてくれ給へよ」と云つて、其儘かいてゐる。君は暫く傍で見てゐる。こんなにして画をかくことが出来たら、どんなに愉快だらうと思ふと、君の胸は跳る。  W先生は筆を停《とゞ》めた。そして筆と palette とを無造作に置いて、身を椅子の上に投げた。「さあ、君も掛け給へ。待たせて済みませんでした。何か用事ですか。此頃はどうしてゐます。」  「実は先生に伺ひたい事がありまして。なに、伺つた所で、どうにもならないのですが。実は。」M君の詞《ことば》はしどろもどろであつた。此時W先生の顔には微笑が浮かんで、其口からは、物馴れた医者が病人の容体を問ふ時のやうな、いたはりつゝ探り究める種々の問が発せられた。君はそれに答へてゐるうちに、心に思つてゐるだけの事を残らず打ち明けてしまつた。自分が前途を問ひに来たのは、自分が知りたいからではなくて、竹見を満足させるためである。自分は少しも未来の成功を疑はぬから、どんな先生にでも証人に立つて貰ひたくはない。其竹見の世話になつて、自分の為《し》てゐる行商生活は、忍び難い苦痛を自分に与へてゐる。それに内部からは製作欲が自分を責めて、自分の心は片時も安まることが無い。これだけの事を、君は二十分も立たぬうちに、W先生に白状したのである。  W先生は聞いてしまつてかう云つた。「そんなら先づ君の用事から片附けて行くとしようね。竹見には、好いからさう云つて遣り給へ。Wの云ふには、私の前途は決して平坦な道ではないが、躓《つまづ》かずに進んだら、面白い境界に達するだらうと云ふことだと云ふのだね。それは好いが、君の現状には困つたね。それを脱するには金がいる。其金を骨折らずに儲けなくてはならないと云ふわけだ。誰かの patronage を求めるのは近道だが、それは跡に累《わづらひ》を遺すから、君のために不利益だ。さあ、私にも格別の名案は無いね。これは今君の話を聞いてゐるうちに、ふと思ひ出したのだが、ヨオロツパの画かきの所へは、好く商人が顔料や画筆を沢山持つて往つて預けて置く。それを画かきは入用《いりよう》な時幾らでも使ふ。商人は時々往つて、どれだけ使つたか見て、勘定をする。あれを、竹見に相談して遣つて見てはどうだらう。私にも差当り其位の智慧しか出ないね。それから私が君に補助をして上げても好いが、大した事は出来ない。毎月五円出して上げよう。しかし只貰ふのは不愉快だらうから、君に頼むことがある。私の所へ薔薇新《ばらしん》から期日を極めて、薔薇を送ることになつてゐる。君は薔薇新に話して、それを私の所へ運搬することにしてくれ給へ。偶《たま》の事だから、労力も時間の損失も格別無い筈だ。さうして貰へば、私は其の報酬として、君に五円上げるからね。」  M君は此話を聞いて、素直に承諾した。そしてW先生に簡単な礼を言つて atelier を出た。戸の外に出ると、M君は深い息をして、心の内で「画がかける」と叫んだ。電車の中では、早く画室になるやうな明《あき》二階か何かを捜して見たくてならなかつた。  竹見方に帰つて、M君は主人に先づW先生の予言を言つて聞せた。「はあ、なか/\あなたを買つてゐますね」と云つた竹見の顔には、君の目で見ると、どうも反対の、全く消極的な宣言を受けて来るものと予期してゐたらしい表情が見えた。それから画かきの所に材料を預けて置かうと云ふ相談をした。主人は「さうですな」と云つて、煙草をのみつゝ考へてゐたが、煙草の吸殻をはたいて、「どうもそいつは行けませんな」と言ひ放つた。商品をどれだけ買ひ込んで置く。その内どれだけ決《は》けて行く。其の決けて行くだけを買ひ足す。かうして均衡を失はぬやうにと、骨を折つてゐるのに、所々方々に商品を置き放しにして、謂はゞ寝かして置くわけには行かない。西洋ではそんな事が出来るか知らぬが、日本ではそれの出来る商人はあるまいと云ふのであつた。  M君は主人の話を聞いて、別段落胆もしなかつた。それは心の内に「画がかける」「画だけはかける」と云ふ叫が、絶間なく響いてゐて、自分の内生活が今までゐた灰色の霧の中から、薔薇色の霞の中へ移されたやうな感じがしてゐるからである。よしや今まで通りの行商をして行かなくてはならぬとしても、君は今なら其煩労に堪へることが出来るやうに思ふ。「画がかける」と云ふ叫は、君にあらゆる苦艱《くげん》に対する免疫性を与へる。君を不仁見《ふじみ》にする。  次の日にアカデミイから帰るとすぐに、M君は貸間を捜しに出た。広い一間を廉価に借られさうな古家をと志して捜すのである。これはなか/\容易でなかつた。やつと気に入つた所があると思ふと、賄附《まかなひつ》きでなくては貸さぬと、女主人《をんなあるじ》が云ふ。女主人は其一間に、是非共自己の需要を充たすだけの収入を産み出させようとするのである。十軒ばかりも見た挙句に、小石川の或る裏町で、とう/\明りの工合の好い二階を一箇月三円で借ることが出来た。  そこへ道具を持ち運んで、大抵の物は竹見方の廃物を代用して済ます様に工夫して、un atelier improvisé を完成するのが、M君のためには、殆ど画をかくと同じやうな受用であつた。只画がかけさへすれば好いと云ふ原則の下に、君は総《すべ》ての銭《ぜに》の掛かる設備を省かうとしたが、十二月の事で、どうも火鉢だけは無くてはならなかつた。それは modèle になつて来る人に対しても、無くて済まされぬからである。  M君はまだ設備の出来上がらぬうちに薔薇新に往つた。薔薇新では、W先生の電話で君の事を知つてゐて、丁度薔薇を送る期日になつてゐると云ふので、温室で咲かせた薔薇を一籠わたした。それを麻布に持つて往つて、W先生から五円の金を受け取つた。其中から一箇月分の間代を差引いた二円は、君の画室のためには、天を補ふ五色の石程の用に立つた。  画室の設備が出来上がつた所で、M君は modèle を傭ふ金に窮した。君は静物をかくことをも好まない。風景をかくことをも好まない。どうしても人物がかきたい。それには modèle がなくてはならぬのである。  M君の持つてゐる物の中で、最も価の貴いのは、去年某展覧会に出して落選した、大きい油絵の額縁である。油画其物は、展覧会出品目録の価格の並から言へば、どんなに安く見ても、五六百円以上のものであるが、人が認めてくれぬとなると汚れた布である。君は竹見に頼んで、額縁を二十円に買つて貰つて、それを modèle を傭ふ資金にした。君のためには、これが最後の手段で、此二十円を使つてしまふと、君は再び去年の画が落選した後のやうな、かきたい画のかゝれぬ境遇に戻るのである。  M君は毎日日没前の二時間を画室に暮すことになつた。竹見の物置で見附けた、縁の欠けた瀬戸物火鉢に、炭火を沢山おこした間のうちで、若い娘がはにかみつゝ帯を解き、著物を脱いだ。      ――――――――――――――――――  此話をしてしまつて、M君は二枚の油絵を私に見せた。一枚は珍しく美しい娘の裸体の buste で、 méditation とでも題しさうな表情をしてゐる。背景は明るい地に赤い花が散らしてある。今一枚は赤い花を手まさぐつて俯向いた少女である。どちらも去年のやうな模糊たる人物ではない。  「なぜこんな風なのを去年出さなかつたのです」と、私は尋ねた。  「でもあの時一番かきたかつたものをかいたのだから、為方《しかた》がありません」と、M君は答へた。  それから私はM君にこんな事を言つた。君の近業を見せて貰つたのは難有《ありがた》い。しかし君の経験談を聞せて貰つたのも、それに劣らぬ難有い事である。君は自分の境遇をひどく不幸だと思つてゐるか知らぬが、一転して考へて見れば、君のやうな fils de la fortune は珍しい。君は、君の世話をしてくれる竹見のやうな商人が、今の世の中に又有らうと思つてゐるか。又W先生のやうな師匠が又有らうと思つてゐるか。君はどう思ふと、私は云つた。  M君は自分の境遇が意外な éclairage を受けたのに驚いたらしく、「なる程、さうでせうかね」と云つて目を睜《みは》つた。 ---------------------------------------- 底本:『鷗外選集 第五巻』(岩波書店・刊/1979年3月22日・発行) 初出誌:大正四年四月一日「アルス」一ノ一 文字表記:新字旧かな/UTF-8 テキスト入力:げるぞる(gelbesorte)