資料集

2008年12月06日
パワーストーンのお話 

ストーンたちのご紹介 
その1 クリスタルとその仲間たち 

クリスタル・クラスター
 クリスタルはいわゆるヒーリング系では基本のストーンですね。占いでも水晶珠使ったりするのが一般的です。 
 けれど私は、実はクリアなクォーツ(クリスタル)はペンダントになっているポイント1つだけしか持っていません。あとは全部、クリアではないクリスタルです。 
 クリスタルの結晶、いわゆるクラスターは全部で6個あります。それぞれにいろんな色が見えて、お気に入り。みんなほかの石の浄化用に使ってますが、見ていても楽しいし、癒されます。その中で1つ、クラスターというよりはタンブルに近い、丸みのある石があるのですが、それが意外にいろいろなものを「見せて」くれるのです。たとえばルーンなどの鑑定をしているときなど、特になにも考えないでそのクリスタルを見ていると、中に影ができたり、一瞬、なにかの情景が見えたりもします。これ、本当なんです。クリアではないのですが、そうやって「写る」のはその石だけです。だから小さいけれどかなり私的には貴重なクリスタルですね。 

カテドラル・クリスタル 
 カテドラルというのは教会の尖塔の意味だそうです。そういえば似たような形をしていますが、そのカテドラルのポイントが1つあります。少し黄色というか茶色がかった、落ち着いた色合いのカテドラルです。コスモスペースで衝動買いしました。 

水入りエレスチャル 
 エレスチャルは水晶のもっとも古い型なのだそうです。私の持っているのは15センチほどのポイントで、中に水が入っているものです。よく見ないとわからないのですが、揺らしてみると水泡が見えます。古代からずっと水を中に閉じ込めて結晶になったんですね。 
 何年かかっているのでしょう。そう思うとエレスチャルは貴重です。これも衝動買い(^^;;・・ 

ルチル・クォーツ 
 ルチルは針の意味だそうです。クリスタルでもクリアではなくて、中にそれこそ針のように細かい筋が入っています。私のもっているのは「鉱物の館」から買った、それこそ針のように見える丸珠と、中が金色というか赤茶ぽい色のついた丸珠です。特に金の丸珠は落ち着くからペンダントにでも加工しようと思ってます。 

ガーデン・クォーツ 
 ガーデンの名のとおり、中に緑のコケが入っているクリスタル。外から見ると本当に庭を眺めているようです。わたしはこれを無謀にも? 8ミリ珠でネックレスに加工しました。 
 ちょっと重いけれど、つけているととても落ち着く気がします。 

スモーキー・クォーツ 
 煙水晶。その名前のとおり、クリアでなくて、なんとなく煙がかったような、灰色っぽい色合いの石。オニキスなどと同じように、一種の魔よけになるらしいので時々使います。 
 
クラック・クォーツ(レインボー・クリスタル) 
 クラック・クォーツは特に丸珠の中に、いわゆるクラック(亀裂)が無数に入っていて、そのクラックの反射で、中にレインボーが浮かび上がる、とても効力の強いクリスタル。 
 のはずなのですが・・・このクラック・クォーツ。私のはかなり問題あり、なのです。 
 というのは、つい半年ほど前だと思いますが、レインボークォーツ8ミリ珠でブレスを作ってもらったんです。そして身に着けていたんですが・・・いつのまにか、どんどんクラックが消えてくんですよ! そしてだんだん透明になってクリアなクォーツになって行ってしまいました。なんで? そのブレスもいつのまにか切れちゃったので、庭に撒きましたが、要するに、私のストレスを癒そうとしているうちに、無理してクラックが消えたのでしょうか? 
 これも専門家に聞かないとだめかな? 今持っているクラック・クォーツは一部を自分でストラップにしたんですが、それもなんかクラックじゃなくなっている・・・・そんなにストレス強い生活なんでしょうか? 
 (ちなみに、私の最初の「契約大天使」ラジエルの石です)

石にはその効力的に、エネルギーを「出す」タイプの石と、「受ける」タイプの石があるそうです。どちらがどうなのか、は私はくわしくはわかりません。 
「マダム・マーシ」というパワーストーンサイトでストーン鑑定をしてくださいます。 
そこでちらっと聞いたのですが。クリスタルはエネルギーを「出す」石だそうです。だからきっと、私の体調とかを治そうとしたのでしょう。かわいそうなことしたな・・・ 
そうやって私を助けて「お亡くなりになった」ストーンたちがまだまだたくさん・・ 



白・半透明の石たち(第7チャクラ<頭頂部分>対応) 

白い石はけっこう頑固? 
白、もしくは半透明の石を身につけると、なんというか、「原点に帰る」といった気分になります。特に白の石はなかなかないのですが、案外「強い」効果があるような気がしています。 

ムーンストーン 
 月長石ともいいます。ムーンストーンにはオレンジやブルーもありますが、原色はやはり、半透明の白でしょう。その微妙な光の入り方は、どこか「月の光」を感じさせるので、そう呼ばれています。私はこの石を身につけると、なぜかとても落ち着きます。毎日、右手にムーンストーンのリングをはめてでかけます。 

セレナイト 
 これも月の石と呼ばれていますが、石膏石だと聞いたことがあるように思います。(まちがってたらすみません)セレナイトはギリシャの月の女神「セレス」からきた名前だそうです。私はエッグ型のものを「鉱物の館」から買いました。非常にもろくてすぐ傷がつくのですが、半透明の白で、光の具合で、白い筋の影が動くのがとてもきれいです。でも、きっともろいのでアクセサリーには向かない気がします。実際、最近トレーをひっくり返したため、セレナイトが傷だらけ・・・(それは管理が悪い、と言われそうですが・・)でも、神秘的な色合いの石です。 
 
ゴシュナイト 
 ちょっと珍しい半透明の石です。なぜこの石か、というと、あるサイトで誕生日の石だったからなんです。聞いたことがなかったので、コスモスペースで聞いたのですが、さすがに、すぐ出てきました。(^^;;・・ この石がグリーンに染まっるとエメラルド、ブルーに染まるとアクアマリンになるのだそうです。ゴシュナイトとエメラルド、アクアマリンは同じ種類の鉱物なのですね。ペンダントにしているのですが、懐かしい透明のハッカ飴のような色合いです。エメラルドは誕生石なのですが、さすがに買えないので、ゴシュナイトを身につけて、ちょっとその気分になっています。 

ハウライト 
 これは「魔よけ」に利くと言われて買ったもの。白いつるつるの表面がかすかにひび割れて、グレーの筋が入っています。ひとつぶだけ、ペンダントヘッドにしました。ブレスにしてもよかったんですが、ちょっとお値段が・・ 甘いお菓子のような色の石です。成分は調べたけれど、忘れちゃいました。どうでもいいことですから・・(^^;;・・ 
 
ヘミモルファイト 
「異極鉱」という名がついている石です。これも解説をサイトで読んだのですが、さっぱりわからなかった・・。でも、強力な「魔よけ」だというので、四角のパーツと丸珠両方のブレスを持っています。なんでそんなに魔よけが必要か・・・とまあ、いろいろあるんです。有形無形、さまざまな「魔」たちが、周囲にはひしめき合っている環境なので・・ 
 抽象的な言い方ですが、そういうことです。人間も、形のない存在も、同じくらい「魔」を抱えていて、それがときどき目覚める、というと聞こえはいいけど、要するに土地建物、人間関係ともども、けっこうハードな環境にいるものですから・・・ 
 それはともかく、この石、ちょっとおもしろい石です。もとは白かラリマーのような水色か、その中間のような色合いが主だそうです。私は「鉱物の館」で、ほとんど表面がつるつるのきれいな「白」の丸珠ブレスを買いました。ところがこの石が、その日によってかなり変化するんです。これは友人も同じものを買っているのでわかりますが、汗で色が変わる、なんていうようなことではちょっと説明できない変化をするんです。たとえば、朝真っ白だと思っていても、午前中どたばたと仕事をし、いらいらストレス! などというようなとき、このヘミモルちゃんを見ると、白が部分的にですが、いつのまにか水色に変わっているんです。それも、内側からブルーが染み出てくるような感じです。この石の色が変わったら要注意、休息が必要だというサインだと思います。実際、家に帰ってくつろぎ、クラスターの上で浄化してあげると、翌朝には真っ白に戻っていたりします。きっと体に来る「危機」を察知して守ってくれてるんだと思う。でも、ひび割れたりとかはしません。いまのところはね。その点、ほかの白の石もそうですが、「白」って案外頑固なのかもしれないな、と思います。白は何色にでも染まるけれど、それ自体の色は変わらないわけですからね。 
 今の私はヘミモルファイトくんに「守られて」なんとかやってます。右手にはムーンストーンも・・・でないとやってかれないよ・・・(ぼやきが出ました。すみません) 



紫の石たち(第6チャクラ<額>対応) 

アメジスト 
 紫水晶。さまざまな色があります。私は濃い色と淡い色の2つのクラスターを持っています。以前、淡い色のクラスターを買ったのですが、なにかのはずみでぱっくり割れてしまいました。その割れたかけらを捨てることもできず、ミニパキラの鉢の上に置いておきました。そうしたら、・・・それまで1つしか芽がなかったのに、みるみるうちに4本も出てきました。これは偶然かな? アメジストはけっこう好きで、ブレスも持っていますし、ラベンダーアメジストのネックレスも重宝しています。なんとなく、落ち着く気がするのです。紫は高貴な色、紫衣は法衣では最高の色ですよね。わかる気がします。他にもペンダントヘッドなどけっこう持ってます。 
 アメジストはかなり強い霊力があるといわれていますが、これに関してもかってかなり不思議な現象を経験しています。アメジストのブレスを毎日のようにしていたのですが、だんだん色が薄いところと、妙に濃いところがでてきてしまった。そのうち、なんとなくおかしいな・・と思っているうちに、あるときブレスのゴムが切れてしまったのですが、その直前、どうして色が変わったのかな、と粒を見ていたところ、なにやら、ぼうっと人影が中に・・・あらら、吸い込んでしまったのかしら、と思いましたが、案の定、そのブレスはまもなく切れました。水晶は「魔」を映すと言われますが、あれはなんだったんだろうか? 謎です。 
 それ以来、あまり勤め先にはしていかないようにしてます。「魔」が住むところなのね・・・ 

チャロアイト 
 ロシアのチャロ川近辺で取れたためにこのように名づけられたといわれます。つい最近発見されたものだそうですが、これも癒し系の石です。紫に黒や白っぽい色合いの混ざった石です。これもほしくて、ブレスをひとつだけもっています。この石も、その日によって、黒が強く出ることもあります。黒が出ると、ちょっと疲れてるかも、って思います。 
 
スギライト 
 これもつい最近みつかった新しい種類の石で、タンブルをひとつ持っています。霊力の強い石と言われていますが、ラピスラズリと同じような成分なのかもしれません。感触が似ています。本当はブレスがほしいのですが、ちょっとだけお高い・・(^^;;・・原石やブレスもなかなか出ないですね。
 (こちらは、私の守護大天使ミカエルの石です) 

フローライト 
 別名蛍石。紫だけではなく、ブルーやグリーン、半透明なものまで、いろいろな色があります。やさしい感じの、ちょっともろい石なので、すぐに傷つきます。フローライトの中でも、やはり一番貴重なのが紫でしょうか。グリーンは出やすいのですが、パープルはかなり薄くなってしまいます。私は「鉱物の館」からとってもいいフローライトの8ミリ球を買ってブレスにしていますが、昨年、パープルのフローライトでできたアロマキャンドルポットを買いました。かなり重い(石ですからあたりまえ)ですが・・中にキャンドルを灯すと、いつでもクリスマス、という感じで、とても神秘的な色合いになります。一度、上に水を引くのを忘れてしまって、せっかくの石に亀裂が・・・(これも管理が悪いな・・) 
 アロマポットは熱くなるので、扱いには気をつけましょう、って教訓です。香りと色両方が楽しめて、癒されます。 


紫は青と赤の混合ですから、両方の効力を持っている気がします。だからどこか神秘的ですね。紫が似合うようになったら、たぶん本物の「大人」になれそうな気がします。 



青の石たち(第5チャクラ<のど、首部分>対応) 

青といっても、その色合いは様々です。濃いものから薄い色まであります。私のカラーは「アクアブルー」のような色合い、とチャネラーの人に言われました。青は理性の石でもありますね。
 
ラピスラズリ 
 「瑠璃石」青というよりはまさに「瑠璃色」で、紺に近い色合いもあります。様々な成分が混じっていて、「金」の成分を取り出すとバイライトになり、「青」の成分を取り出すとソーダライトになります。紺ということで、第6チャクラにも対応しています。私はラピスラズリと一番「気が合う」ようです。今はずっと前にコスモスペースで買ったお気に入りのリングとブレス、それからいかにも原石といった感じの石を飾っています。ラピスは一時、かなり「魔」を吸って黒っぽくもなりましたが、どういうわけか私はこの石をかえって「元気にしてしまう」と言われますね。なぜなのかはわかりません。私は疲れているのに、ラピスのリングの色はきれい、っていうこともよくあるし・・・でもきっとそれは相互作用で、お互いに共鳴しあっているという感じもあります。落ち着いた深い青で、見ていると本当に落ち着きます。とても霊力の高い石と言われています。 

アイオライト 
 最初に出会ったのがとあるところで夏に買った、サザレのネックレスでした。あのときはとても濃い青だと感じて、気に入って買ったのですが、あまりしないうちに夏が終わったようです。今はダイエットに利く、っていうことで、6ミリの珠をブレスにしています。でも、どうしたってダイエットはできないけど・・・そのくらい、新陳代謝がよくなるそうです。青、というよりはグレーと紺と黒とが入り混じったような独特の色合いです。表現が難しいのですが、強いていれば万年筆のブルーブラックのインクに近い色かもしれません。小粒ですが、私は落ち着く石です。 
 
ホークスアイ 
 タイガーアイの青ヴァージョンで「鷹の目」と呼ばれるように、縞模様が目のように光る石です。タイガーアイと同じような効力があるといわれます。ですが、私の持っているホークスアイはなぜかブルーというよりは具グリーンに近いです。実は同じものをもうひとつ買って、他の方に差し上げたのですがそちらのほうは完全に青みがかっていました。どちらが本当の色なのか、ちょっとわかりませんが、基本は青に近いと思います。なんとなく、災難をよけてくれるような気がしています。 

ブルーオパール 
 こちらはオパールの水色、というか透き通った青緑、といった感じの色合いです。珍しかったので、卵形のカボションをひとつ持っています。これもコスモスペースで買いました。オパールはなかなかいいお値段なのですが、色合いはいいものが多いですね。 

ラブラドライト 
 表面は灰色と白みがかった色合いなのですが、光の加減で中に鮮やかなブルーの色が見える石。曹灰長石と呼ばれる長石の一種なので、ムーンストーンの同じような仲間なのかもしれません。一説に「シリウスからきた石」とも言われており、宇宙の神秘を見ることができる、ともいわれます。私はブレスをひとつ持っていますが、この石は内面探求の石なので、逆に悩みすぎると色合いがきたなくなってしまうような気がします。 

ターコイズ(トルコ石) 
 チャネラーの人が、私のオーラはターコイズ、と言っていました。たしかに、たとえばオーラソーマのボトルを選ぶときにも、必ず選ぶのがボトルの33番・ロイヤルブルーとターコイズです。でもトルコ石は本物はけっこう高いですし、その辺で売っているものはたいてい紛い物かコーティングがしてあるようです。去年まで、とてもお気に入りのターコイズのリングをしていたのですが、神楽坂のどこかで失くしてしまったみたいで・・今でもカナシイです。今はようやく「鉱物の館」から、とてもきれいな8ミリの珠を買ってブレスにしています。ターコイズのもつ意味は「魂の平和」であり、なにかあると身代わりになってくれる、ということです。青の石は一般に霊的に強いようです。きっとあのなくなったリングも、私の身を守ってくれたのかしら、って思ってあきらめてます。この石も、体調や周囲の状況で、割れたり中から茶色が出てきたりします。すっかり白くなったときもありました。(いったいどういう生活してるのか・・と自分でも思うけれど)今は大事にお守りにしています。 

タンザナイト
 「タンザニアの夜」と呼ばれる、深いダークブルーの石。本当に夜の神秘を感じます。最近のお気に入りのひとつ。

ブルートパーズ
 トパーズの中でも、一番アクセサリとしてよく売られてますよね。11月の誕生石です。

アクアマリン
 澄んだブルーの石。3月の誕生石です。ベリルの仲間で、けっこう高いかも・・・
 

ピンクの石たち(第4チャクラ<胸部>対応 1) 

ピンクの石はあまり多くありません。けれど、「恋の石」と言われるものが多いです。きっとハートに直接来るのでしょうね。 
最近、寝る前によく瞑想をしています。体調がよくないから、よけい、よくないところを治そうとしているんでしょうか。 
そして時々、どこからかはわかりませんが「ギフト」をもらうことがあります。それはたいてい「光の珠」です。どこからかすっと私の中に入ってきて、私の心をとても暖かくしてくれます。つい先日は、ピンクのハート型の珠のようなものをもらいました。 
友人が言うのには、それが来るというのは、きっとそういった部分が今、私に必要だからということなのだろう、と言うことです。たしかに最近心が乾いている。愛されなくてもいい、って思っている。そういう気持ちを忘れてはいけない、というメッセージなのでしょうか。 

ローズクォーツ 
 水晶のピンク色のヴァージョンです。最初に買ったもののひとつに入ります。今は大き目のタンブルとブレス細長いピラミッド型の研磨石、それからクロスになっているペンダントを持っていて、最近はよくこのクロスをしています。なぜか心がやさしくなれるような気がするからです。 
 あるチャネラーの方に言われたのですが、ローズクォーツはどの石よりも、持ち主に献身的な石なのだそうです。たとえば恋愛をかなえたい、とお願いして、身につけていると、その恋愛が成就したとたんに、ぱっくり割れてしまうことが多いということです。それくらい、献身的な石なのだそうですが、いい加減なお願いは聞いてくれないそうです。やっぱり気持ちが入ってないことはわかるみたいですね。最初はあまり合わないかな、と思ったストーンですが、最近では必需品になっています。 

ロードナイト 
 薔薇輝石とも呼ばれています。クォーツのように透明ではなくて、どこか飴のような感触の石で、タンブルとブレスを持っています。このロードナイトも私には気持ちを優しくさせてくれる石ですが、とても色が変わりやすいのです。変わると、なんだか黒っぽくなってあまりきれいではありません。自分に自信をつけるためにはいいストーンだと言われています。 
 
ピンクトルマリン 
 トルマリンの中でも高いので、私のもっているのは小さな原石のついたリングと、あとミックストルマリンブレスの中に混じっているだけです。でもとてもかわいい色合いをしています。トルマリンそのものが、かなり体にはよいそうです。ほんとうはもう少しはっきりした大きさのものがほしいのですが、なにせお値段がいいので・・・ 
 でも、お友達の作ったペンダントが手に入りました。 

インカローズ(ロードクロサイト) 
 インカ帝国の時代から用いられたとさえ言われる石でマンガン鉱の一種です。ですから、完全なピンクではなく、白の縞模様が入っています。でも、透明なインカローズはそれはきれいです。でも、お値段も半端ではなくなりますね。私はこの石が好きで、「特別な」ときにしていきます。そういうときでないと、すぐに「お亡くなりになる」からできないんですよね。前に、インカローズがすっかり白くなってしまった、というお話をしましたが、気持ちが沈まないようなところへ行くときでないと、していきません。そのくらい私にははっきりと変化が見えるストーンです。「愛をかなえる」「愛の循環」といった言葉もありますが・・・それをしてはたして愛がかなっているのか・・・はすこぶる疑問なのですが、なんとなく、それをしているとかないそうな気がするから、とても落ち着きます。鮮やかな色合いのインカローズがほしいのですが、変色がこわいから、とてもできません。さびしいな。 

ほかにもピンクカルサイトなどがありますが、なかなかいい色に会えなくて、もっていません。でもピンクは愛の石だから、身につけていれば今にきっと願いはかなう?? かも・・ 


緑の石たち(第4チャクラ<胸部>対応 2) 

緑の石は癒しの石といわれます。だから、かどうかはわかりませんが、緑系の石はけっこうもっています。 

グリーンアペンチュリン 
 癒し、といえばこの石、といわれるくらいのものですね。私のアベンチュリンはもう3代目くらいのブレスとペンダントヘッドです。インドヒスイともいいますね。でも、最初はあまり気が合いませんでした。なんていうのか、つけていても癒されている感じがしない。でも、落ち着く色です。感情が解放されるとされます。 

ロシアンアマゾナイト 
 アマゾナイトは天河石とも呼ばれています。もとはもっと薄い色ですが、私の持っているロシアンアマゾナイトはかなり濃い緑。ところどころに天然らしい灰色の石肌が見られます。友人が癒されるよ、と言ったので、作って貰ったブレスがありますが、たしかに、こちらの方が今の私は癒されるかもしれませんね。アマゾナイトは自己表現という意味がありますが、さて、いまのところあまり変わっていませんね。ただ、私にとっては今一番落ち着く石のひとつかもしれません。 

マラカイト 
 とても濃い緑に黒の筋の入った独特の光沢の石。孔雀石とも呼ばれるのは、その模様のせいでしょう。強力な「魔よけ」の石と言われ、身につけていると救ってくれるそうです。私はちょっと大きめのタンブルを探し出して、トレーに乗せています。ブレスにしたかったけれど、あまりにも「魔よけしてる」って感じに見えて・・・そのくらい効力はある石です。色も鮮やか緑です。 
 (こちらは、癒しの大天使ラファエルの石)

モルダヴァイト 
 モルダウ川の河畔で取れる、といいますが、実は宇宙から来た石、ともいわれるものです。たしかに、隕石みたいにどこか軽くてしかもごつごつした感じがします。ペンダントヘッドをもっていますが、ちょっとお菓子のような、ダークな緑です。隕石、と言われればたしかにね、と思うような石。宇宙からのメッセージを運ぶ、とも言われます。 

本翡翠 
 翡翠は中国ではとても霊力の高い石といわれます。いわゆるジャスパーですが、多少光沢は違うかと思います。鉱物の館から6ミリの珠を買って、そのままネックレスにしてしましました。グリーンとかベージュ系の色の服が多いので、なかなかいいです。ちょっとおでかけ、というときにはしていきます。なんとなく、「大人」に見えるような気がするからです。(多分気のせいでしょうけど・・)こちらはとても淡いグリーンで、落ち着く色です。 

ウバロバイト 
 いわゆる鉱石にグリーンガーネットの結晶が細かについた、珍しい石、というより石の部分がそのようになったものだそうです。これもどこかのサイトで誕生日の石だったので、探したのですが、なかなかない。そこで、コスモスペースに行きましたら、さすがにありました。けれど、アクセサリーにしようとすると、3センチくらいのヘッドで5万近くする!!、唯一、ハート型に見える原石を持ってきてくださって、それを買いました。ガーネットがかなり細かくついています。実はこれ、パワーストーン辞典に載っている原石なんですよ。 
 
セレスタイト 
 とても淡いクラスターをもっています。なんでも胆嚢とか肝臓とか、子宮系の病気に効くというので、ついつい買ってしまったものです。私は基本的に淡い色が好きなので、民とグリーンのような色合いは気に入ってます。 

エメラルド 
 本物のエメラルドを買おうとしたら、本当に万単位でないと、ある大きさのものは買えませんね。でも、誕生石なので、ひとつはほしいです。というわけで手に入れたのは、700円の原石、はずかしいですが。これも、周りは白い石で、よく見れば中にグリーンの筋が見えて、これがエメラルドの原石なんですよね。エメラルドは古代エジプト時代から重宝されていて、あのクレオパトラもお気に入りだったとか。目にいいともいいます。いわゆ 
 る合成エメラルド、クレサン・ベールはリングをもっているのですが、やはり現物に近いものをみてしまうと、風情も違いますし、なにかとても効果がありそう。ほしいな〜〜。 

プレナイト
 葡萄石という名がありますが、淡いマスカットグリーンです。最近の石で、創造性を高めるとも言われています。


黄色とオレンジの石たち(第3チャクラ<腹部>対応・オレンジは第2チャクラ(下腹部)にも対応) 

黄色やオレンジは太陽を連想させるため、元気になるような石が多いようです。 
けれど実際にはとても少なくて、私はあまり持っていません。ラッキーカラーがオレンジというときがよくあるので、そういうときはちょっと困りますね。でも、身につけていると、気分が明るくなる気がするから不思議です。 

シトリン(黄水晶) 
 シトリンは黄色の水晶ですが、シトリン・トパーズとも呼ばれています。実際はトパーズの仲間なのでは?と思うのですが。私は最初にシトリンのブレスを買って、あとはポイントも持っていますし、ペンダントヘッドもあります。黄色はほとんど身につけないのですが、シトリンは上品な黄色なので、よく身につけますね。黄色の石はあまりないので、なかなか重宝しています。 
     (こちらは伝令の大天使ガブリエルの石)

タイガーアイ 
 黄色、というよりは茶色が入ったような、見事なトラ目の石です。タイガーアイは「お金」の石と言われているくらいですよね。実際にタイガーアイを部屋において置くとお金がたまるとか。私のもっているのがブレスだけです。なんとなく、お金がほしいよ、と言っているみたいで、恥ずかしいかな、と思ったりもしたのですが、実際には魔よけの効果もあるようです。 
 ちなみに、「キャッツアイ」というものがありますが、いわゆる石が「トラ目状」に筋が入っているものはなんでもキャッツアイというそうです。だからたとえばアンバーキャッツアイなんていうのもあるようです。それはともかく、タイガーアイを身につけていると、ちょっと気分が大きくなる気がしますね。 
 
オレンジカルサイト 
 カルサイトには黄色もありますが、石の種類だそうです。色によって、たとえば赤のカルサイトはカーネリアン、緑のカルサイトはクリソプレースと呼ぶそうです。 
 オレンジカルサイトはちょっとかわいい色合いの石です。オレンジの飴のようですが、とてももろいです。同じ種類でもカーネリアンはあまりもろくないんですけどね。今日は元気になりたいな、と思うときにはブレスをしていきます。 

オレンジムーンストーン 
 ムーンストーンのオレンジ色ヴァージョンです。つい最近、どうしてもほしくて、ペンダントヘッドを買いました。ムーンストーンは好きです。白もとても落ち着きますが、オレンジも、神秘的な光沢をもっています。月の石といわれるように、同じようなオレンジでも、もっとシックな感じがお気に入りです。 

アンバー(琥珀) 
 アンバーはどちらかというと黄色というよりは茶色なので、どこに入れたらいいのか迷ったのですが、ここに入れます。琥珀にもいろいろな色があって、かなり濃いブラウンから、限りなく黄色に近いような色までありますね。父親が一番最初にヨーロッパ旅行に行った30年近く前に母に琥珀のブローチを買ってきた記憶があります。それは茶に近い色でしたが、次に買ってきたものは黄色に近い色でした。アンバーは精神の安定に役立つといわれれています。昔からちょっと高給なイメージがありますよね。私のもっているのはたったひとつ、黄色がかったブローチです。ネックレスもあるのですが、とても安かったので、たぶんまがいものでしょう。本物の琥珀ネックレスが1本あればいいですよね。 
    (これは大地を司る大天使ウリエルの石)


赤と黒の石たち(第1チャクラ<下半身>対応・赤は第2チャクラにも対応) 

黒の石は魔よけによく効くといわれます。けれど反面、自分の感情を封じ込めてしまうこともあるので、落ち込んでいるときにつけると余計落ち込みます。 
赤は色の通り情熱の石が多いですが、激情的になるので注意しましょう。 
 
<赤の石>

ガーネット 
 赤の代表格。ザクロ石とも呼ばれています。深い色合いがきれいです。血液の流れをよくするというので、最初はタンブルを持っていました。今は6ミリのブレスを時々つけています。ガーネットは1月生まれの石でしたよね。上品な色の石です。タンブルは黒味がかった不思議な色合いで、光にすかすと透明な赤が見えます。 

ルビー 
 母がずっと昔にリングを買ってくれました。つい最近、原石を買いました。緑に少し赤が入っていますが、それがすごくきれいです。研磨石はさすがに高いですよね。生きる希望を与えてくれる石だそうです。 

カーネリアン 
 赤めのう。けれど実際には茶色がかった赤です。一番最初に買った石のひとつがカーネリアンでした。仕事の石とも言われているからです。たしかに、独立して仕事をする人には創造性を与えてくれるようです。めのうの仲間は着色も多いのですが、カーネリアンは色落ちもなく、けっこう丈夫な石のようです。 

レッドタイガーアイ 
 タイガーアイの赤、というより茶色のようなヴァージョン。タイガーアイの仲間でもどちらかというと女性の石で恋愛にもいいそうです。レッドタイガーのさらに複雑に色が入り組んだピーターサイトという石とあわせてブレスにしていますが、落ち着いた色です。 

サンゴ 
 サンゴを石に入れていいものか、と思うのですが、なぜか石屋さんでけっこうありますね。 
 真っ赤なサンゴとピンクのものがあります。10年以上前に沖縄で買ったピンクのサンゴは、それを身につけていると不思議といろんないいことがありました。けれど、なくしたとたんに運が落ちちゃいました・・・なぜ? 

レッドジャスパー 
 ジャスパーは碧石と呼ばれるので基本は藍なのでしょうが、明るい茶色のような赤もあります。これはある占い師の人に、体、特に大腸のためとクリエイティブな仕事のためには身につけなさい、と言われたのです。でもあまりアクセサリにはならないようで、勾玉をひとつペンダントにしています。効き目は・・・まだです。 
 
<黒の石>

ブラックトルマリン(ショールトルマリン) 
 トルマリンの中でも、黒は体に直接効くと言われているようです。「マダムマーシ」のいうサイトで、ブラックトルマリンは傷を直接治してくれるから、と言われ、去年入院するときにもブレスをつけていました。最近は友人がマラカイトとショールトルマリンを合わせて「魔よけ」と言って作ってくれました。それをして勤務先に行くと、災難よけ?になりそうで不思議ですね。 

ヘマタイト 
 赤鉄鉱という名がついています。黒というよりは、グレーメタルのような、つるつるの石で、鉄がたしかに内側に入っているようで、たまに割れたり、ひびが入ったりすると、中から鉄さびのようなものがでてきてしまいます。なんだか機械の部分に使いそうな感じなので、身につけると重いです。でも、血の石と呼ばれるくらいですし、鉄分が含まれているので、血流には本当に効果があると思えます。ヘマタイトを体の周りに並べて横になる「ヘマタイトシールド」というヒーリングの方法も友人から聞きました。でも、やってみたけれど、ある部分には「痛い」です。そこが悪いっていうことなのでしょうか? 

オニキス 
 しまめのう。めのうの仲間ですが、かなりしっかりした黒の石です。こちらも魔よけになるというので、ペンダントを身につけていたことがあります。黒はたしかに見ていると落ち着く反面、落ち込むこともありますよね。でもオニキスは萎えてしまった気力を戻す効果もあるそうです。やる気がないときはオニキスかなあ・・・ 

黒水晶 
 極めつけの真っ黒な水晶。10ミリの大玉でブレスを作りました。「鉱物の館」で買ったパートがとてもよかったので。でも、なんだかほんとに数珠みたい。それだけになんだかすごく効果がありそうです。 



石たちとの対話法 その1

ストーンは生き物です。ですから、その日によって違います。私の体調、天気、湿度、そういったものでも色が違ったりします。これは見たものでないとわからないかも。 
先日も風邪で寝込んでいて(今年はこういう日ばっかりだったけど・・・)、初めはトルマリンとヘマタイトのブレスをして寝ていました。けど、どうにもへんな夢ばかり見る。かえってぐったり。そこで、なんにもつけるのをやめようと思ったのですが、なんとなく、いつもしているので、手首が寂しくて、癒しになるからいいか、と思い、フローライトのブレスに変えました。そしてうとうとしているうちに、なんとなくのどの痛みも治まってきて、落ち着いてきたみたいでした。 
目覚めて、ふとフローライトを見ると、あら大変・・・私はフローライトをミックスで作っていたんです。グリーン、パープル、ブルー、クリアの4色ベース。ところが、やけにパープルだけが濃くなって、あとはなんだか色がない・・・(^^;;・・おまけに、グリーンだったはずのひとつに、おとなりのパープルが混じって、半分がパープル、半分がグリーンという妙な色になってしまっていました・・きっとパープルが濃くなったのは、私のオチコミを癒そうとして、グリーンが薄くなったのは、体を癒そうとしたのだろうと勝手に解釈しています。でも、クリアな珠にクラックが入って、虹が見えていたから、いい兆候かもしれない・・・ 
そういうこと、よく(?)あります。アメジストだったはずなのに、なんだかアメトリンみたいな色になったりとか・・・最近病気がちだからかなあ・・などと思います。 
ここでは私流の石との関わり方をちょっと書きます。参考になるかな・・ 


 
ストーンの選び方

石屋さんに行ったり、アクセサリー買いに行っても、どんな石がいいのか、迷うこともあると思います。特にコスモスペースとかに行くと、石だらけなので、よけい迷いますよね。 
しかも、これはすごくいいな・・と思うと数万円したりとか・・値段も馬鹿になりません。 

余談ですが、コスモスペースに行こうか、と言った前の日だったかな。突然目の前にぽっとある石のイメージが来たんです。それはエレスチャルがかったようなアメジストポイントでした。これが私を呼んでいるんだなあ、と思って、そのつもりで行ったら、なんと、お店の入り口入ってすぐの目の前に、まったく同じアメジストポイントが・・・しかも、 
90,000円もするの・・一桁も二桁も多いのですよ・・・(^^;;・・置き場所もないし、変えない。ごめんね〜。と行って、別のを買いましたけど・・・そのポイントはまだお店にあるんですよ。私に買えってこと?? 

それはともかく、ストーンを選ぶときには、本にはいろいろ書いてあるかもしれないけれど、正直言ってポイントも法則もありません。 
ただいえるのは、まず「色」ですね。石については別にご紹介しましたけれど、石の色によって、チャクラ対応も違うし、気持ちによっても違う。今ちょっと落ち込んでいるな、元気になりたいな、と思ったら、明るい黄色のシトリンとか、同じ落ち込んでいても癒しが必要だな、と思ったらアマゾナイトとか翡翠もいいかもしれません。癒しの石の基本はグリーンアペンチュリンといわれていますけれど、私にはこれはあまり効果がありません。それよりはグリーンのフローライトのほうがいいですね。 
愛がほしかったら、ピンクとかパープル。けれど、すぐに効果が出るわけではないので、その点は保障できません。(私、いくつ持ってるだろう・・でもこの1,2年身につけてないこともあって、男運はありません・・(^^;;・・) 

そしてなにより一番大切なことは、「石に呼ばれる」ことでしょう。 
抽象的ですけれど、石の発するメッセージを受け取る、という気持ちを持って行く、ということかもしれません。いろんな石があると、同じように見えて個性があるし、合う、合わないもあります。なかなかどの石が合うか、はわからないものだけれど、まずいろいろ見ていて、ちょっとでも「気になった石」があったらマークしておくといいと思う。この「ちょっと気になる」というのが、理屈ではなくて、波動をキャッチしていることになるんだろうな、と思うんです。タンブルの山の中にも、「気になる」石が一つやふたつはあります。それを探すことです。 
そして「ちょっと気になった」ら、その石を手のひらに乗せてみる。そしてその石に集中すると、なんとなく石を載せた部分がぴりぴりする感覚になると思う。効力が強いほど、ぴりぴり感も強いです。石の波動です。けれど、それが自分に合っている感覚か、はその人でないとわかりません。だから、気になったら、手のひらに乗せて、「対話」を試みてみるといいと思います。案外わかるものですよ。 
なぜなら、石も生き物だと感じるから。 


チャクラのおさらい

人間の体を7つにわけ、それぞれの部分に対応する「チャクラ」があります。「チャクラ」はいわばエネルギーの流れを活性化させるために外に開かれた窓のようなもの。常に開いたり閉じたりして、エネルギーを循環させているといいます。 
そしてそれぞれのチャクラにはそれぞれの役割があり、対応する「色」があります。 
いわば人の体は一筋の虹です。 
ここでは今までのおさらいとしてチャクラの分類をまとめておきます。 
体の上から順に第7〜第1チャクラまであります。 

<第7チャクラ(クラウンチャクラ)> 

役割:霊性との結びつきをつかさどるエネルギーセンター 
支配領域:頭の上部・大脳皮質・中枢神経・髪 
対応色:白・紫 
ストーン:クリアクォーツ・ダイヤモンド・へリオドール・セレナイト・ムーンストーン 


<第6チャクラ(サードアイチャクラ:いわゆる「第3の目」はここにあります)> 

役割:潜在意識よりの直観力をつかさどる 
支配領域:脳下垂体・小脳・目・鼻・耳・ 
対応色:紫・青 
ストーン:ラピスラズリ・サファイア・アメジスト・フローライト・スギライト・チャロアイト・アズライト 


<第5チャクラ(スロートチャクラ)> 

役割:伝達と受容 
支配領域:甲状腺・副甲状腺・のど・首・あご・口 
対応色:青 
ストーン:ブルーレース・ソーダライト・ターコイズ・アクアマリン・セレスタイト・アマゾナイト 
 
<第4チャクラ(ハートチャクラ)> 

役割:無条件の愛とバランス 
支配領域:心臓・胸・肺・気管支・リンパ腺・腕・手・免疫系 
対応色:緑・ピンク 
ストーン:アベンチュリン・ペリドット・エメラルド・マラカイト・インカローズ・ロードナイト・ピンクトルマリン・ローズクォーツ 


<第3チャクラ(ソーラブレクサスチャクラ)> 

役割:自我と思考をつかさどる 
支配領域:胃・肝臓・すい臓・胆嚢・腸・消化器・交感神経系 
対応色・黄・オレンジ 
ストーン:シトリン・アパタイト・カルサイト 


<第2チャクラ(スプリーンチャクラ)> 

役割:感情・創造性・セクシャリティ 
支配領域:脾臓・卵巣・睾丸・子宮・腎臓・泌尿器 
対応色:オレンジ・赤 
ストーン:レッドジャスパー・ガーネット・ルビー・カーネリアン・アンバー 


<第1チャクラ(ルートチャクラ)> 

役割:生命力・意志力をつかさどる 
支配領域:生殖器・前立腺・副腎・脊椎・尾骨・歯・骨・足 
対応色:赤・黒 
ストーン:ブラッドストーン・オブジニアン・オニキス・ガーネット・ブラックトルマリン・ロードナイト 
2008年12月06日
過去生への旅 その1

私はそのころ、ひとりのセラピストの方と出会っていました。今はヴォイスなどでも活躍していらっしゃる、山崎いづみさんです。彼女が横浜の「ママ」のいる石屋さんに定期的にきていて、退行催眠をやってくださいました。 
退行催眠は2回ほどやりましたが、最初はいわゆるトラウマを崩す療法でした。私は小学校から中学にかけてうけたいじめと、離婚の傷がかさなって、かなりのトラウマを背負っていました。もちろん、それは今でも完全に癒えているわけではありませんが、そこではじめて、私は過去と向き合ったわけです。 
一番最初は催眠状態というより、チャネリングに近かったように思います。けれど、私はいづみさんの誘導で、次第に深く退行していきました。そのとき、どうしてなのか、今ではよく思い出せないのですが、激しく泣きじゃくりました。そして、いづみさんに背中をどんどんと叩かれ、「さあ、もっと泣いて、泣いて、吐き出して」ってなんども言われました。そうして呼吸も苦しくて苦しくて、泣きじゃくるうちに、なぜか、ポン、という感じで、口からなにかの「かけら」が飛び出してきて、急に楽になりました。私の心を覆っていたトラウマの殻がくだけ、一部が外へ飛び出したようでした・・・そして、「あなたはあなたのままですばらしいのよ」と何度も言われ、また泣きました。・・・目覚めると、すっきりして、どうして泣いていたのかさえ、忘れているのですが、気持ちははるかに軽くなっていました。 
 
過去生へ 

2度目のセッションで、私は退行催眠を受けることにしました。自分の今が、どこか遠くの過去とつながっていると感じたかった。それより、「ママ」の言った。『イタリアの姫』の生活を垣間見てみたかったし、私の慕っている「あの人」とどんな生活をしていたのかも知ることができたら、と思ったのです。なにより、私の「今」が、かなり過去生の影響を受けているらしい、ということも言われたからでした。 
私はその石屋さんの小さな部屋で、いづみさんとふたりきりになり、横になって、深く、深く、息をしていきました。少しづつ時をさかのぼります。そのときの誘導では、どこか広々とした、真っ青な海と白い砂浜をイメージするようにと言われました。そして、そのどこまでも白い砂浜を歩いていくと、一艘の船があります。それは、「時間を越える」船で、カプセルのようになっているのです。そこの中に、私は横になります。そして、カプセルのふたが閉じられると、まるで、スペースマウンテンに乗っているかのように、筒状のトンネルをすり抜けていくのです。この誘導の仕方ですと、時を瞬くうちのさかのぼってしまいました。 
催眠状態というのは不思議な状態です。私の意識の半分は「今」にいて、部屋の外で電話が鳴っていたりするのも聞こえます。けれど、感覚として「遠い」のです。あ、電話が鳴っているな、という程度の感じでしかなく、残りの半分は「過去」の場所にいる、という感じでした。 
やがてカブセルがどこかへ着きました。ふたが開かれ、私はカプセルから身を起こします。 
「ここはあなたがかって生きていたところです。さあ、カプセルから降りて、地面に立ってみてください。なにが見えますか?」 
たずねられた私はこう答えました。実は催眠中に自分が言ったことはあまり覚えていないのですが、いづみさんに質問されていることははっきりわかっていました。それでいて、私はどこか別の場所にいるということもわかっていました。・・・・ 
「茶色の地面が見えます」 
「どのような靴をはいていますか」 
「皮の・・・ブーツかなにか・・」 
「もっと目線をあげて見ましょう。どのような服装ですか」 
「ゆったりした白い布のようなものを着て、短いズボンのようなものを履いています」 
「あなたは男性ですか? 女性ですか?」 
「男性・・・いえ、男の子です。そう、17歳くらいの男の子です」 
「男の子ですか。あなたの名前は?」 
「アルマン・・・」 
私は「イタリアの姫」ではありませんでした。実はもっともっと前の過去生に行ってしまったのです。時代はわかりませんが、服装から、おそらくは古代ローマ時代くらいだろうということでした。 
そして、私はもうひとつの大きな、ダイナミックな「過去生」へと導かれたのです。 

私がそのときの退行催眠で遡った過去は、紀元前のヨーロッパでした。国はわかりません。 
その時の私は「アルマン」という名で、年は17歳。色白で手足のひょろりとした少年だったのです。「アルマン」はローマに近い(かもしれない)どこかの小国の皇子でした。「アルマン」は長男で、その国の王族に生まれ、跡取りになるさだめでしたが、彼はそのことが重荷でした。彼にはほかにも何人か兄弟がいたようですが、みな女で、他国へ半ば政略結婚のようにして嫁いでしまっています。 
「アルマン」は王になりたくないため、勉強の合間、しばしば王宮を抜け出し、いつも行く場所に行っていたのです。 
「そこはどこですか?」 
「国のはずれの、小高い山か台地のような場所です」 
「さらに視線を上げて、遠くを見ていきましょう。なにが見えますか?」 
いづみさんの問いに「私」はこう答えました。 
「なにもありません。ただ、赤茶けた、広大な大地が広がっています。」 
「そこであなたはなにをしているのですか?」 
「ただ、風景を見ています。なにかあると必ず来る場所です・・・」 
「では、家に戻りましょう。山を降りて、歩いて行きます。町はどんな様子ですか?」 
「レンガのような赤い石が敷き詰められた道で、建物も同じ石です。狭い路地がつながっていて、私はそこを通って帰ります」 
「人々はいますか? どのような服装ですか?」 
「みんな、白い、布のようなゆったりした服装です。兵士たちはみな短いスカートのようなものを履いています」 
「あなたは家に着きました。どんな家ですか?」 
「大きな、石造りの宮殿のようなところです。鉄の立派な門があります。衛兵たちが立っていて、扉は私が戻ると開けてくれます」 
「なにか気づいたものはありますか?」 
「その門に、ライオンかなにかの紋章が刻まれています。この王族の紋章のようです」 
 
父王の存在

私は宮殿に帰ります。「執事」らしい白い髭の老人が待ち構えていて、「アルマン」にお説教をします。いつものことです。彼は王になるための教育を受けていますが、王になどなりたくはなかった。国を背負うということなど考えられなかったし、なにより、自分にはそんなことはできない、と思っていたようです。 
それには理由がありました。彼は父を非常に尊敬し、恐れてもいたのです。父はそのころまだ40代はじめくらいだったようですが、若くして王位に着きました。整った立派な顔立ちで、長身ですらりとした筋肉質の体つき。威厳があり決断力に富み、部下たちにも領民にも慕われるような王だったのです。「アルマン」はその父に恐れを抱きながらも、父のことをうらやましく思い、その分、自分が王族を継ぐことに対してまったく自信がなかったのです。 
(「その父王に、あなたは現世で出会っていると思いますか?」 
 そう尋ねられた私は、はっきり「出会っています」と答えています。 
 今考えると、あまり心当たりがないのですが・・・) 
その日はちょうど「アルマン」の父が隣国から帰国する日でした。 
父は兵たちを引き連れて凱旋しました。それは立派な隊列でした。彼も門まで出迎えました。母もそばにいました。母は父王よりさらに年下で、12歳くらいで父に嫁ぎました。物静かな女性で、父王を心から愛していたようです。 
父は戻るとすぐ、「アルマン」を呼び出しました。そして、思いもかけないことを言ったのです。それは、来年には隣国から花嫁を迎える、ということでした。 
「私にはまだ早すぎます」 
「アルマン」は父にこう言ったのです。父は威厳を保ったまま言います。 
「これは隣国との取り決めなのだ。この国のような小国は、隣国との関係を良好に保たなければならない。それはよくわかっているはずだ。私もおまえと同じくらいに結婚した。姉や妹たちはまだ12,13くらいですでに嫁いでいる。それは当たり前のこと。わがままは許されない」 
「アルマン」にはなにも言えませんでした。父が隣国との関係に気を配っていることはわかっていたのです。けれど彼にはますます重荷でした。せめてもうひとり男子がいれば、自分は王家もつがず、政略結婚もしなくてよかったのに、とそのとき思ったのでした。 
そして、そのあと「アルマン」はまたあの大地の見渡せる小高い山に行っていました。 
やがて、急激な運命が彼を襲うことになることは、その時点ではまだ知りませんでした。 

父王の急逝 

アルマンがもうすぐ18歳になろうというころ、思いもかけない事態が起こります。 
そのとき、アルマンはまたこっそり屋敷を抜け出し、いつも行く「あの丘」に行っていました。そして、夕暮れ近く、屋敷に帰ると、ただならぬ空気が満ち溢れています。 
アルマンは急いで広間に駆け込み、思いもよらない光景を見るのです。 
そこには、つい昨日まで元気だった父王が、棺の中に横たわっていたのですから。 
父王は、昨日、アルマンの婚姻を決める目的もあり、隣国へ旅立ったばかりでした。 
それが、1日もたたずに遺体となって戻ってきました。毒殺されたのです。そのことはもっとあとになってから知るのですが・・ 
アルマンは棺に駆け寄り、声を上げて泣き出しました。 
(そのとき、私自身も、涙でぐしょぐしょになっていました。いづみさんがティシュを次々と渡してくれたと思います。そしてこうたずねました。 
「あなたはどうして泣いているの?」 
「お父様が、お父様が急に死んでしまったから」 
「そうなの、お父様のことが大好きだったものね」 
「そうです。ぼくは父を愛していました。怖かったけれど、愛していました。けれど、泣いているのはそのせいだけではありません。ぼくは・・なにもしてこなかった。王になる身だといわれながら、なにもせずに逃げていたんです。こんなことなら、もっともっと、父から学んでおくんだった。・・でももう、こうなってしまった。・・ぼくのせいだ・」 
私は激しく泣きじゃくっていました。けれど、それも催眠中のことで、目覚めると、「悲しかった」ということだけは、覚えていました。けれど、なぜ泣いたのかはわかりません。私がこうして書くことがのは、半分以上、いづみさんが催眠中の問いかけに対する私の答えを書き取ってくれていたためです。) 
アルマン(私)は父の棺にすがって泣きます。そばには母が、まだ2歳になったばかりの彼の一番下の妹を抱いてその様子を見ています。そして、彼に近づき、 
「あなたのせいではないのですよ。これは運命です。父王は立派な方でした。あなたも私も、誇りに思っていいのです。そしてあなたは、父上の思いを継がなくては・・苦しいでしょうけれど、これもあなたの運命なのですよ」 
そう言った様に思います。 
それでもしばらく彼は泣いていました。父の突然の死の悲しみと、これから自分が背負わなくてはならない立場の恐ろしさを漠然と感じていたようです。 
 
婚 姻

王の死後、アルマンは王位につきますが、3年間喪に付したため、実際に王としての儀式が行われたのは3年後で、アルマンは21歳になっていました。不思議なことに、王になるためのなんらかの儀式があったはずなのですが、その部分は私の記憶から飛んでいました。おそらくあまり関係のないことだったのでしょう。そして、父の死後から、記憶はいきなり21歳のアルマンに飛び、彼は王としてふるまっていました。 
最初にした仕事、それは父王の死の真相を探ることでした。やがて隣国からそれはもたらされます。父王を毒殺した犯人は、隣国の王の弟で、王の娘がアルマンに嫁ぐのを快く思っていなかった、というより、王位を狙っていたようです。その人物は処刑されました。 
それも、アルマンとそのブレーンたちが放った刺客の手によって・・・隣国とはお互いに、これでなにごともなかったかのように関係は続き、21歳の秋にアルマンは花嫁を迎えます。 
彼女は14歳で、名前はヘレナといいました。とても勝気な、活発な少女で、最初は言うことを聞かなかったけれど、アルマンは次第に気に入ります。(この姫にも現世で会っているはずだそうですが・・)ヘレナもすっかりアルマンに気を許していきました。そして、夫婦としてうまくいき、やがて2年ぐらいたって、男の子が生まれます。彼は男の子にアレックス(アレキサンダー)という名をつけました。 
アレックスの誕生は、やがてアルマンの身にさらに大きな運命が襲いかかる、という予言だったのかもしれません。 


「東の大国」の来襲 

アルマンの国はしばらく平和が続きました。ヘレナはアレックスを生んだ2年後には女の子を産んでいます。名前はわかりません。そして、隣国との関係もとてもうまくいっていたようです。 
父王が亡くなって3年後、母は病にかかりました。一番末の妹はまだ5歳くらいでした。母は父のもとに旅立つことを喜んでさえいたようです。彼にはそのことが不思議でしたが、母は「私は愛する方のそばで暮らせ、愛する子供たちに看取られ、幸福でした」と言って静かに亡くなったのでした。 
やがて大きな運命が国を襲うことになります。アルマンが即位して7年後、彼が28歳になったばかりの年、「東の大国」が隣国を滅亡させてしまったのです。この小さな国の存亡は一気に危うくなっていました。その「大国」は多くの馬と飛び道具を持っており、大軍を率いて一気に国へなだれ込む、というのです。そうして滅ぼされ、あるいは傘下に入った国は増えていきました。アルマンも国の防備をする必要に迫られます。彼の思いはただひとつ、「国民すべてを安全に逃れさせること」それだけでした。 
隣国に使いをやり、状況を調べさせ、彼は国を守るため、領土の周囲を高い塀で覆い、頑丈な城門をいくつも作らせました。そして、少しつづ、女性や子供たちから、まだ無事な国へと逃れさせ始めました。 
やがて「そのとき」は訪れます。運命の日、アルマンはいつもの丘に、ヘレナと共に立っていました。そして見たのです。地平線のかなたから、まるで湧き出るように無数の騎馬軍団が現れたのを。それは大変な数だということはすぐにわかりました。 
アルマンは丘を駆け下り、城門を固く閉ざすよう触れを出します。そして、ヘレナに、子供たちを連れて逃げるようにと言いました。ヘレナは最初、頑なにそれを拒み、一緒に戦う、と言ったのです。けれど、子供のある身でもあり、アルマンはそれを許しませんでした。ヘレナはその日のうちに子供たちとともに国を出ます。 
これが、彼らの永遠の別れとなりました。 
 
「大王」の登場 

騎馬軍団は、アルマンの国に押し寄せ、城門を破ろうとしました。けれど、民も兵もよく戦い、塀はなかなか破られません。 
アルマンは城門の上から「大軍」を率いる人物を見ています。その男は、アルマンよりは年長で、「大王」と呼ばれて恐れられる存在だったのです。「大王」の率いる軍団は、ヨーロッパ大陸を制圧し、遠く東の国まで領土を広げていました。そしてその大王の呼び名は「アレックス」だったのです。・・・ 
「アルマン」は「アレックス」と向き合います。「大王」は降伏するようにと告げますが、アルマンは断りました。その間にも、できるだけ民を逃そうとしたのです。 
しかし、大軍の前には、たとえ立派な城壁でも打ち破られてしまいます。なにより、皮肉なことに、あのアルマンがもっとも好んだ丘が、唯一の敵の進入路となってしまったのでした。一度囲みを破られるとあとはあっという間でした。町に「大王」の軍団が侵入し、逃げ損ねた民を殺し、家を壊していきます。もうなす術はありませんでした。 
敵兵はとうとう、アルマンのいる屋敷にも近づきます。部下たちが必死で王を守ろうとしました。けれど味方はやられるばかり。アルマンは決意し、自ら屋敷を出ます。そして、囚われの身となりました。 
アルマンは「大王」の元へ引き出されます。間近で見る大王は、とても立派な風貌をしていました。まさに「覇王」という名にふさわしかったと思います。 
そして、アルマンの「最後」のときも迫っていました。 
 
処 刑

アルマンは後ろ手に縛られて、「大王」の前に引き出されます。「大王」はしばらくアルマンを見て、冷ややかに言いました。 
「なるほど、手のかかる坊やだ」 
そして、アルマンの顔を覗き込みました。アルマンは改めて「大王」に向き合いました。 
(この「大王」にもどこかで会ったような感じがしました。けれどそのときは、それがだれなのかわかりませんでした。今でもよくわかりません) 
「わしに逆らうとは、よい度胸よ」 
「なんとでも言うがいい。大国だからと言ってなにもかもが従うと思ったら、大間違いだ」 
「なんだと、こわっぱ」 
「大王」は怒りで顔を赤くしました。(というふうに感じました) 
「だれもがこの軍勢に恐れを抱き、わしに恐れを抱く。だがおまえはどのようになってもいいようだな」 
アルマンはそのとき、「私」ではありませんでした。というのは、「アルマン」をどこか上から見ている「私」もいたのです。けれど同時に「アルマン」でもありました。 
「私の命など、たかが知れている。惜しくはない。だが、私はおまえの方が気の毒だ」 
「このわしに向かって、なにを言う!」 
「おまえの目は、なにものにも心を許さぬ目だからだ。寂しい目だ」 
「大王」はつかつかと近寄ると、いきなりアルマンの服をぐいっとつかみました。 
「このわしが寂しいだと? なにもかも手に入れている。このわしが?」 
「だからこそ、寂しいのではないか。大王様」 
そのときの「アルマン」は驚くほど落ち着いていました。自分が「処刑」させることはもうわかっていました。ただ、相手の目が本当に悲しかったのです。それは哀れみ、というのとも違い、やがて来るこの「大王」の運命も知っている者の悲しみ、といったものでもあったように思います。 
「大王」はアルマンを離し、背を向けます。 
「最後にひとつだけ望みをきいてやる。なにかあるか?」 
「大王」は背中を向けたままそう言いました。 
「私にはもうなにもいらない。この国を占領したければすればいい。だが、民は決して心までは従うことはないだろう。それでもいいなら、傘下に入れろ。だが、民の命をこれ以上奪うことだけはしないでほしい。彼らはここで平和に暮らしてきた。その暮らしをこれ以上壊さないでもらいたい。願いはそれだけだ」 
「見上げた王様だな。最後まで己のことはどうでもいいと言うか」 
「大王」は鼻で笑いましたが、あきらかに、動揺のような色合いも見えました。このときアルマンは大王に「勝利」していたのです。 
アルマンはそのまま、広場の中央に引き出されます。目の前には、処刑用の太くて長い剣を下げた鎧姿の男が待ち構えていました。 

(「怖くはなかったですか?」いづみさんは私に尋ねました。 
「正直に言って、怖かったです。怖くて怖くて、たまりませんでした。けれど、反面、これで楽になるとも思っていました」 
私はそう答えています。) 

きらりと剣が光り、アルマンめがけて振り下ろされました。痛みは感じませんでした。けれど、たしかに、切られたことはわかっていました。剣は、アルマンの左肩から斜めに切り下ろされたのです。 
その瞬間、催眠状態の私は大きく身もだえ、体をのけぞらせたようです。そして、なにごとか叫びました。いづみさんが、大丈夫。もう終わったから、大丈夫、と言っていてくれていたようです。私は泣きました。いづみさんがまたテッシュを私に持たせてくれました。 

「あなたはどうなったのですか?」 
「私は処刑されました。左肩から剣で切られ、そのまま前のめりに倒れこみました。それと同時に、「アルマン」の魂らしいものが、体から離れ、宙に浮きました。そして、そのとき「アルマン」は死んだのだ、と思いました」 
「怖かった?」 
「そのときはもう怖くはありませんでした。私は上からその光景を見ていました」 
「そのときなにを感じましたか?」 
「正直に言って、後悔が残りました。民をみんな救えなかった、というアルマンの後悔です。けれど、『私』は死にました。もうどうにもならないということも、はっきりわかっていました」 
私はまだ泣いていました。 

昇 天 


私=アルマンは、太い剣でばさりと切られて死にました。 
そこではじめて「私」は「死ぬ」ということはどういうことなのか、ということをはっきりと知ったのです。この瞬間から、私は「死」というのものに恐れを感じなくなっていました。 

アルマンの「魂」は体を離れ、高く、高く、上昇していきました。そして次の瞬間、ぱーっと目の前に、まばゆいほどの光が満ち溢れました。なんと形容していいのかわかりません。まるで・・・そう、目隠しをされて、よく晴れ上がった太陽の下に連れ出され、目隠しをはずされたような。いえ、もっともっと、まばゆい、黄色がかった光でした。アルマン=私の「魂」は吸い寄せられるように光の中へと入っていきました。 
すると、光の向こうに、揺らめくようにふたつの人影が現れました。 
それは父王と母でした。 
「おまえはよくやった。アルマン」 
父は静かな、よく響く声で言いました。 
「でも父上、私には後悔が残りました」アルマンはそう言います。 
「だれもが、なにかしらの心残りを残すものだ。だがそれ以上に、おまえはやったと思う。もう充分だ。これからは安息が待っている」 
「アルマン、私たちは今でも、そしてこれからも、ずっとあなたの親なのですよ」 
母はそう言ったように思いました。 
「ゆっくり休むがいい。まだ先のことはわからない。ただ、この安らぎに身を任せなさい。 
そのうちにまた会える。必ず・・・・」 
また、まばゆい光が強くなり、父王と母の姿は光に溶けていったのです・・・ 

「死」というのもを考えるとき、「魂のありか」をどう考えるか、で違うのかもしれないと思いました。人は死ねばただの塵。あとかたもなくなるだけだと、そう考えることは、ある意味恐ろしくもあったと思います。「死」は「無」だというなら、今ここにいる私は永遠に消えてしまうのだ、とそう思っていました。 
けれど、アルマンの「死」は私の「死」でもあったのです。 
そこは「光の世界」でした。あらゆるものが形をなくし、ただひとつの、大きな光の中に溶け込んでいくのです。途中いろいろなところから、その「光」の中に溶け込んでいく、無数の「魂」の存在も感じました。そこはすべてが混ざり合い、上も下も、空間の境さえなく、あらゆるものはひとつに溶け合っていくのです。そこはすばらしく心がおだやかになる空間でした。どんな「癒し」もあの光の空間にはかなわないとさえ感じたのです。 

また、「死」は終りではなく、新しい魂、新しい空間の創造の場でもあるのだ、と思えました。そこではあらゆる「意識」がひとつになるとともに、「自分」の意識も新たに生まれてきているように思えました。 
そして、少なくとも「アルマン」の意識は、このまま安息に紛れることを潔しとしなかったようです。 

そこで私もまた、漠然とではありましたが、ある法則を感じていました。それはひとつになっていく「魂」がさらに「自ら選んで生まれていく」ということでした。まだ自分の使命が終わっていない、と感じるものは、一瞬そこで休み、またどこかへ「転生」していくと思えるのです。それも、「その魂の意思」によって・・・・ 
うまく言えないのですが、「アルマン」の意識が、「彼自ら」、転生先を選んで、生まれ変わろうと決めていたのです。それは次の瞬間に、雲の合間から地上を見ているように、くっきりとした映像となって見えてきたのでした。 
それは中世以降と思われるヨーロッパの大きな屋敷でした。「アルマン」は次はそこへ生まれ変わろう、と決めたのでした・・・ 

私はそこで催眠から覚めました。 
「どんな気分?」いづみさんは尋ねました。 
「よくわからないけれど、すごくいい気持ちでした。いままでないくらい」 
「それで、なにか見えたのね」 
「どこかヨーロッパの屋敷のようでした。でも、どこなのかわかりません」 
それから退行催眠を受けていないので、先のことはわかりません。 
けれど、いづみさんの言うのには、魂の次の転生先が見えている、というのはきわめて珍しいそうです。けれど、そのことは「アルマン」はわかっているけれど、「私」はわからない。ここで記憶が消されているからだそうです。「今」を生きるためには、過去の記憶は必要ではないのです。 
「死ぬって怖くない?」いづみさんはそう尋ねました。 
「もしあんな気持ちのいいものだったら、もう怖くないですね」私は答えました。 

「アルマン」の物語はここで終わります。 
けれど、「私」の転生の記憶はまだあるようです。 
「アルマン」が次はどこへ行こうとしたのか。父や母にはどこかでまた会っているのか。 
今の私はどうしてここに存在しているのか・・・・ 


私の過去生への旅はまだ終わりません。 

 

過去生への旅(新 章)

過去の記憶とその連鎖 1 


記憶の中の風景 

私の退行催眠は一応完結しましたが、まだ私にはどうしても心にひっかかってならないことがあります。あるいは私は、紀元前のローマや中世のイタリアにいたのかもしれませんが、私自身はそこには行ったことがありません。たとえばパスタが大好きだから、イタリア人だったかも・・・などということは言えるのですが・・・ 
けれど、唯一、写真を見たとたんに、ぱっと「そこ、知っている」とはっきりわかった場所がありました。それはカレンダーの写真なのですが、イタリア、トスカーナ地方のシエナという町です。私はイタリアには行ったことがありませんが、その写真を見て、「その場にいる」自分を想像できた、というか「思い出した」という感じだったのです。たぶん、シエナに行ったら、迷わずに道を歩けるのではないかな、とさえ思えます。 
けれども、それが本当の「過去生の記憶」なのかはわかりません。ある人はそれは「DNA」の記憶だといいます。それも当たっているかもしれません。私が生まれるまで、ずっとDNAは受け継がれているのですが、私はひいおじいちゃんがだれか知らないのです。ですから、その「記憶」がDNAの情報なのか、「自身が本当に転生しているのか」はたとえ科学の力でもきっと解明はできないだろうと思えます。ただ、「信じられる」ということはあります。はるかに昔、そこにいたかもしれない、ということを・・・ 
 
不思議な一致 


実は私はイタリア以上に日本の中の場所が気になっているのです。前に、「過去にここにいた」という記憶が蘇ったという話をちょっと書きました。その場所が少なくとも2箇所あるということも。その2箇所とも、ある「偶然」の産物で、あるいは過去になんらかの関わりがあったのでは、と確信できた「複数の」出来事がありました。いわば「偶然の連鎖」が一本の線に結ばれていくような気がしたのです。 
私は以前大田区の洗足池のことを書いたと思います。そこへは初めて行った時にも、どのようになっているかもう知っていましたし、そこで「だれかが足を洗った」という「光景」を思い浮かべていたのです。 
 
かすかな記憶をたどって・・・

ところで、みなさんは何歳ごろからのことを覚えていますか?   
普通は4,5歳くらいからのことを覚えているようですが、人によってもっと前も覚えている場合もあるそうです。母親の胎内の記憶を持つ子もいるといいます。胎児はもともとすべての「記憶」を持って生まれてくるというのですが、産道を出る時点で「忘れる」ようにできているそうです。 
私がはっきりと思い出として語れるのは、おそらくは4歳くらいのことでしょうか。3歳で弟が生まれ、失語症になったらしいのですが、記憶にありません・・・ 
けれど私には、満1歳にならないころの記憶が、たった1つだけあるのです。 
それは冬、というより秋の終りでした。私はそのころ、仙台にいる親戚のお姉さんに子守をしてもらっていました。その記憶は、お姉さんにいわゆる「ねんねこ」に包まれておんぶされ、夜のお祭りに行くのです。私は「ねんねこ」の影から、それを見ています。灯明をともし、お坊さんが列を作って、念仏を唱えながら階段を登って、お寺の本堂に向かって行きます。手持ちの鐘の音と、読経と、灯明がとても印象的でした。それがどこの、なんのお祭りなのかは、私がもっと大きくなってからわかりました。 
そのお祭りは池上本門寺で10月に行われる「お会式」だったのです。 
なぜ、その部分だけ、1歳にならない私が鮮明に覚えているのか、よくわかりませんでした。ほかの事はほとんど覚えていないのです。けれど、やがてそれも、奇妙は「偶然」から 
少しだけ理由がわかってきたように思っています。 
洗足池、池上本門寺、どちらも関わりのある人物は「日蓮」です。 
「日蓮」は鎌倉時代の僧、日蓮宗の創始者で、鎌倉幕府から迫害され、追放されます。そして生まれ故郷に帰る途中、池上の本門寺で亡くなるのです。 
私がもしかしたら、多少なりともこの「日蓮」さんと関わっていた時期があったのかもしれない、と思われた理由がいくつかあります。 
次のページでその「理由」を書きます。 


過去の記憶とその連鎖 2 
 
最初のデジャ・ヴュ

前の回で、大田区にある洗足池のはっきりした記憶があることを書きました。そのとき、私はたしかに、池のほとりで足を洗う旅人の姿を、少し離れた位置から見ているように感じたのです。その人は重い病にかかっていました。もう歩くのもつらい状況であったと思います。けれど、「故郷」に帰ろうとひたすら歩いて、そこへたどり着いたのです。私もたぶん一緒に・・ 
けれど、そのとき感じたのは「足を洗っている」光景だけでした。あとはまったく消されています。たぶん、見たくないと思ったのかもしれません。その旅の人を見ている「私らしき目」は、その人の最後を予感していたようなのですから。 
もうそれはだいぶ前、それこそ最初に洗足池に行った小学校くらいのことだったでしょう。 
そのときはもちろん、それがいわゆる「デジャ・ヴュ」であるとは気づいていないのです。 
それから、さらに不思議な連鎖は時を経て訪れることになりました。 

次の場所は伊豆。城ヶ崎海岸の、ダイビングのメッカといわれる場所に、「蓮着寺」というお寺があるのをご存知でしょうか。そのお寺は、日蓮が鎌倉から追放される途中、乗った船が難破し、浜に流れ着いて、しばらく土地の者たちにここで匿われていたといいます。だから「蓮着寺」という名前がついているのです。有名なつり橋の入り口あたりにあり、寺のすぐ下の岩場ではダイビングをやっています。 
今から10年前位まで、叔母が伊豆高原に家を持っていたため、そのあたりにはしょっちゅう行っていました。車がないと不便ですが、景色もよく、城ヶ崎海岸あたりは気に入っています。 
そして、はじめて「蓮着寺」に行ったときのことでした。 
寺の参道へ入って、降りてくると海岸が見えます。そこで私は、ふと海岸を見て、石のごろごろした海岸線にうつぶせになっている人物を見たような気がしたのです。 
私はそのまま海岸近くに降りていきました。それは、たしかに「人影」でした。ぼろぼろになった布のようなものを身につけた人だったのです。そして、その周りに、恐る恐る近寄る「村人たち」の姿も・・・ 

「私の師がなんというお姿に・・おいたわしい・・」 
そう言う「声」が聞こえたように思いました。それは「私の心の声」であるようでした。 
しかし、デジャ・ヴュは一瞬で消えたのです。 

 
ひとりの人物

私は日蓮宗の信者ではありませんし、特に興味もありませんでした。けれど、その「蓮着寺」で一瞬感じた「光景」のようなものと、寺の名前の響がなぜか気になっていました。 
けれど、やがてそれも忘れていたのですが、もうひとつ、同じころだと思いますが、あるひとりの人物の「名前」にひっかかっていました。 

その名前を最初に「見た」のは神保町の古本屋でした。作者は私は知らない方だったのですが、20巻近くある歴史小説が本棚に並んでいたのです。その本は「四条金吾」という人のことを書いた小説でした。 
私はその本を読みたい、と思いました。名前に惹かれたのかもしれません。けれど、巻数が多いし、ぱらぱらとめくっただけで、また本棚にもどしてしまいました。 
あとで、偶然に知ったのですが、「四条金吾」という人物は、鎌倉時代の武士で、最後まで日蓮を慕い、助けた人物だということでした。 
それまでそういったことに意味づけをしてはいませんでした。けれども、「偶然」はあるときに重なって「真実」にたどり着くこともあるようなのです。 

そしてしばらくたち、友人と鎌倉の長谷を歩いていたときのことです。 
そのときは私の大好きな場所のひとつ、長谷観音へ行こうと思ったのですが、もう閉門の時間だったのか、あきらめて帰ろうとしていたようです。そのあたりのことはよく覚えていません。長谷観音は見られないけれども、どこかへ入ろうということになり、ぶらぶらと歩いて、長谷の通り沿いにあるお寺にふらりと入りました。 
そこで私は思わず立ち止まってしまいました。寺を入るとすぐ、3メートルはあろうかという、大きな墓碑が建っていたのでした。墓碑には、「四条金吾邸宅跡」と彫られていたのです。 
そのとき私はなぜかこう思いました。 
「ああ、こんなところにいたんだ。やっと見つけた」 

当時はまだこういった現象について、深く考えることをしてはいませんでした。けれど、今、あらためてたどっていくと偶然ではないかもしれない、と思えました。きっとなにかが、「四条金吾」の存在を私に知らせようとしたのかもしれない・・・と。 

そして、「日蓮」と「四条金吾」という人物を辿る私の「心の旅」は、思いがけない方向へと進んでいくようなのです。 


過去の記憶とその連鎖 3 

 
鎌倉の地にて 


洗足池のかすかな「記憶」らしきものから、私は「四条金吾」という人物に行き着いたことは前に書きました。けれどそれも確証があるわけではありません。ただ「偶然に」行き着いた、ということなのでしょう。 
その「四条金吾」の邸宅跡を見つけたのは鎌倉でした。 
鎌倉というのは、不思議な場所です。少なくとも、私にはどこか「原風景」のようなところなのです。小さいころから行っていた、というだけではどうにも言い尽くせないくらい、「知っている」場所のような気がするのです。 
鎌倉には多くの名刹があって、狭い町だけれどあきることがありません。それ以上に、私には印象深いところなのです。 
もっともそれを強く感じる場所は「長谷観音」です。有名は長谷の大仏様にいく途中。そう、四条金吾の邸宅跡の奥になります。そこの観音様も好きなのですが、境内から見える風景はとりわけいいのです。鎌倉の町も、七里ガ浜の海岸線も一望できます。 
初めて長谷観音に来て、ここから風景を見たとき、私にはたしかな確信があったように思います。「かってここにいたな」という思いです。そのとき私はこう思っていました。 
「こんなに開けて。私のいたころとはまったく変わってしまったな」と。そして、一瞬ですが、平屋の、わらぶき屋根の家が並び、埃の舞う道に馬が行きかうような光景を見たような気がしたのでした。 
これが単なるデジャ・ヴュなのか、錯覚なのか、あるいはDNAの記憶なのか・・その検証はおそらくはできないでしょう。けれど、きっと「あの時代」鎌倉にいたことは確かなようでした。 
 
「四条金吾」をめぐる場所 


私はそれ以上この人物のことを探るのはやめました。というより忘れていたのです。鎌倉の、特に「龍ノ口」という地名を耳にするとなぜか胸が痛むのですから。それが、かって私が四条金吾と関係があって、日蓮さんといたせいなのかどうかもわかりません。 
けれど最近よく鎌倉に行くようになって、次第にシンクロする「記憶」の断片が時々頭をよぎるようになっていました。池上、洗足池、鎌倉・・・ 
四条金吾はちょうど昨年の大河ドラマの主役、北条時宗の時代、名越流北条氏に仕えていた江間氏の執事かなにかであったようです。当時、北条氏は得宗家が絶対的な権力を握っており、名越北条氏はいわば敵対関係にあったことは、ドラマでも知っているでしょう。しかも日蓮は迫害を受けました。金吾はけれど最後まで日蓮を崇拝していたのです。当時、日蓮に入信していたために、北条得宗家からとがめられそうになった金吾を、日蓮自身が助けたこともあるようです。 
四条金吾は日蓮の死後、武家の身分を捨てて隠遁生活を送るのですが・・・ 
ここで私は、思いがけない「場所」のつながりに非常に驚いたのです。 

それはたまたま金吾のことを調べて、なにげなくネットサーフィンをしていたときです。 
金吾が晩年隠遁した地・・・そこは今の山梨県の、ブドウで有名な南巨摩郡南部町というところだったのです。ちょうど日蓮の開いた身延山の南側にあたります。 
地名だけでは最初なにも感じませんでした。けれど調べていくと、そこは「南部氏」の発祥の地だったのです。南部氏は源氏の末裔で、やがて東北に移り「南部藩」となるのですが、その「南部藩」の領域は岩手県のほぼ全域。あの「平泉」も「南部藩」の領域であるのです。これは偶然なのでしょうか? それとも・・・ 
少なくとも、「平泉」と「四条金吾」とはなにも関係はないはずです。けれど、こうした形でふたつの「場所」(洗足池と平泉)が、間接的にせよ繋がるとは、予想さえしていませんでした。 
これはいったい何を意味するのでしょうか? 平泉での私のデジャ・ヴュとはなにか関連があるのでしょうか・・・ 

謎は深まるばかりです。けれど、私の中で、ある点と線が見えてきたように思っています。 
検証はまだ続きます。行き着くところがどこなのか・・私にもわかりません。・・・ 

(付記)書き忘れていたもうひとつの物語 

最後の転生とソウルメイト  


以前、アルマンの物語を書き始める前に、チャネリングをしていただいて、今から200年ほど前にイタリアの、(おそらくトスカーナ地方に住んでいたと確信していますが)裕福な家に生まれた「アン」と呼ばれる姫であった時代のことを少しだけ書いたと思います。 
アンはとても悟った、すばらしい女性でした。いつも国の人々を集めては、人々が幸せになるための道を説いていたといいます。 
そして、私の「ソウルメイト」だとチャネラーの方に言われた、今の「片思い」の方は、そのとき私の夫で、彼も優れた領主でしたし、二人は心から尊敬し、愛し合っていたといいます。そして、次の転生も一緒になろうと約束したのでした。 
けれど、その「魂の約束」をアンである「私」自身が破ってしまったのでした。そのために、今、ここでの転生では「同じ場所」にいることができなくなりました。 
私はインドの極貧の少女に転生しました。それは「アン」の「学び」のためにほかなりません。インドの少女は若くして貧しさゆえに亡くなりました。そして「アン」はすべての学びを終え、私の「守護霊」となっているといいます。 
そこで私は思いました。アンの学びは終わった。学びつくしたはず。それならばもう、転生してこなくてもいいのではないのか? 「アン」と「インドの少女」を経て私が生まれてきた、というなら、私が生まれた意味がはたしてどこにあるのだろうか? と・・・ 
かって「魂の約束」をした夫、「ソウルメイト」とは、「アン」の学びのために、一緒になれることはないのです。ちょうど私がインドの少女に生まれ変わっている十数年のときの差が、今のその方と私との年齢と立場の差になってしまっているのですから。・・ 
 
インドの記憶
話は「インドの少女」であったときのことになります。 
私は正直にいって、自分がインドにいた、ということは考えも着きませんでした。たとえば好きな食べ物とか、風景のかすかな記憶とかで、イタリアには縁があるだろう、ということはわかっています。 
けれどつい最近、まったく偶然の間接的な出会いで、私はかすかな「インド」の「記憶」らしきものを思い出したのでした。 
友人があるセミナーに参加しました。クリスタル・ヒーラーの方の講座でした。その方は外人なので、通訳の方がいます。その通訳の方に会っているような気がする、と友人は言って、私に名前と画像を見せたのでした。 
そして私は驚きました。私もまたその通訳の方に「会っている」と感じたからです。同時に、頭の片隅にふっと浮かんだ光景・・・それは、この人はかって私がインドにいたとき、貧しかった私たち子どもに、様々な食べ物や教育をしてくださった「僧侶」であった、と思ったのです。そして私が、インドにいた、というかすかな「確信」が芽生えたのでした。 

それでも、私がなぜ今ここに転生してきたのか、私にはわかりません。「アン」の学びはすんでいるはずなのに・・・なにを学べと言うのだろうかと・・・ 
 
現世の使命とは・・?
その答えは、あるとき私の背後にいる「なにか」が私に語りかけてきたことなのかもしれない、とは思います。それは「アン」の魂であるようでした。 
「アン」は自分の学びに心を囚われるあまり、魂の伴侶との「約束」をたがえてしまったのでした。その結果、転生がずれ、私はその方に会ったとしても、もう追いつけない位置にいたのです。 
あるとき、私の背後の「なにか」が私に告げました。 

あなたが現世に生まれた意味。それは「貧しい」人々を今度は助けること。 
そしてなにより、「魂の伴侶」の存在に気づくこと・・・ 
「アン」は自分の伴侶の魂を持った人に気づいているようです。きっとその人の守護霊のだれかも気づいているのかもしれない。「アン」はこう言いました。 
「百年かかってしまったけれど、ようやく見つけた」と、そしてこうも言いました。 
「ソウルメイトは気づいている。そしてただ待っているのです。私はこの距離は必ず埋まるはずだと信じています。なぜならば「ソウルメイト」なのだから。それはあなたにゆだねられます。いつの日か再び昔のように出会うまで、いつまででも「学び」なのです」 

私の守護霊が私に告げたことが本当ならば、私は少しでもこの距離を埋めなくてはならないという「使命」を負ったことになります。そして同時に、「インドの少女」のときに味わった思いを味わっている人々を、「救う」ということをしなくてはならない、ということなのでしょうか・・ 
私には荷が重過ぎることです。まして、仮に私の思う方が「ソウルメイト」であり、近づくことを運命付けられているとしたならば、現世で一緒になることはもうできません。ならば再び共に出会うまで、転生を繰り返す、ということになるのかもしれません・・・ 

最近、「ソウル」の関係にあり、心も体も結ばれているらしい方々も多くいるように思います。逆に言えば、ここで身も心もすべて満たされ、結ばれたのならば、もしかしたら、この現世でふたりの転生は終焉を迎えるのかもしれません。 
魂も不滅ではありません。けれど、新しく生まれ出る可能性もまったくないとはいえない、と私は思っています。 
今、私たちは真の心の豊かさを、真の信頼と安らぎを求めています。そして「心から一緒になれる」ソウルの関係を求めています。そうした関係に気づき、一緒になれた人は幸福だと思います。 
それでも、「ソウルメイト」は「学び」の問題なのだと、ワイス博士の本では「会わないと約束している」魂の関係もある、といいます。 
「愛する」とはなんなのでしょうか? 
私たちはなんのために生まれ、なんのために生きていくのでしょうか? 
私と「ソウルメイト」との距離が縮まるまで、私の転生は続くのかもしれません。現世 
ではおそらく縮まることのない関係なのですから、・・・そう思うことは悲しいことではありますが、「未来」がまたあるかもしれない、という「希望」になるのかもしれませんね。 


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