小説ウィザードリィ外伝1・「姉さんのくれたもの」
STAGE 9
1
その轟音はまさしくデーモンロードが人間界へ入り込む前触れだった。
ソークス姉さんの召喚の術により開けられた魔界の門を通って、デーモンロードがわたしたちの前に現れようとしているのだ。
「剣が無いんでしょ。どうするのよレオナ?」
「どうするったって・・・」
わたしにだってどうしたら良いのか分からない。
確かに、今までのカシナートの剣はもう限界だろう。
とてもデーモンロードに通用しそうもない。
しかし今から剣を探しに行く事など出来ない。
デーモンロードは間もなくわたしたちの前にその姿を現すだろう。
「このまま迎え撃つしかないだろう。
なに、オレの村正がある。なんとかなるって」
クルーは早くも妖刀村正を構えいつでも戦える態勢になっていた。
「その刀では駄目ですね」
「何故だ?」
バンパイアロードの言葉にクルーの表情がムッと歪む。
「確かにその村正は素晴らしい刀です。しかし、相手がデーモンロードとなると話は別です。
強力な悪魔殺しの能力を持つ剣、そう、ダイヤモンドの武具の1つ、聖剣ハースニールが無ければ太刀打ち出来ないでしょう」
「聖剣ハースニール・・・」
わたしは思わずその名前を口ずさんでいた。
ハースニールという名前は初めて聞いたはずなのに、何故か記憶の奥から甦ってくるような・・・
これも今まで手にした武具に埋め込まれているダイヤモンドの結晶がわたしに伝えてくれた記憶の成せる業なのか。
「そう、そしてデーモンロードを撃退した後、5つのダイヤモンドの力で魔界の門を閉じなければなりません」
「それじゃあダイヤモンドの武具が全て揃わないと魔界の門は閉じられない訳ね」
「はい。魔界の門を閉じてしまわなければ、魔界から次々と悪魔軍団が人間界へと押し寄せて来るでしょう。
そんな事になったら、人間界はたちまちのうちに悪魔共に蹂躙されてしまいます」
「もーう、何だかよく分からないけど、このままじゃ駄目みたいね」
「絶対絶命ってやつか・・・」
フィナもブラックもいつもの調子、とはいかないようで、ここにいるみんなの緊張の度合いは今や最高潮に達していた。
「レオナ、来るよ!」
特にルパはデーモンロードの気配、邪気を誰よりも強く感じているのだろう。
全員の視線が目の前に開かれた魔界の門に注がれている。
空間に大きな穴が空き、そこから見える向こうの世界が大きく揺らいでいるように思われる。
あれが魔界なのか・・・
そこから出て来たのは巨大な、そう、わたしの背丈くらいは優にありそうな右足だった。
それに続いて反対の足。
それと同時に迷宮の天井まで届きそうな巨体がわたしたちの目の前に立ちはだかった。
ついにデーモンロードが人間界にその姿を現したのだった。
2
全身が金色に輝いていた。
頭部には3本の角、中央の1本は頭上へ伸び、そして左右に1本ずつ。
腕は4本、右上、左上の両腕で巨大な剣。
右下にはメイス、左下には盾をそれぞれ構えていた。
その姿は、バンパイアロードから兜を受け取った時にわたしの脳裏に浮かんだあの悪魔の姿そのものだった。
「これが・・・」
「デーモンロードか!」
アークデーモン以上の邪気を発しているのがわたしにもはっきりと感じられた。
わたしたちはみな、このあまりにも巨大な悪魔の出現に驚き、戸惑っていた。
「バンパイアロード、どうしたら良い? ハースニールはここには無いわ」
「さあ・・・私にはどうする事も」
わたしは「ハアー」と溜息ひとつ。
最初から期待はしていなかったとは言え、バンパイアロードのこの返事。
本当にどうしようもないの?
「魔界の門を閉じる事は無理でも、取り合えずヤツを追い返すぐらいは出来るんだろう?」
「ええ、追い返すぐらいなら」
「それじゃあ今のところはお帰り願って、剣を見つけてからここを封印すればいい」
クルーはそう叫ぶといち早くデーモンロードに向かって行った。
「フィナ、続くよ」
「うん」
わたしとフィナはデーモンロードの右と左に分かれて攻撃を仕掛けた。
わたし、クルー、フィナの3人でバラバラの方向から攻撃する事によりデーモンロードを撹乱させるのだ。
ハースニールが無い以上、今1番の攻撃力を誇れるのはクルーだ。
わたしとフィナで何とか隙を誘い、クルーに仕留めてもらいたいのだが・・・
後方ではルパたちが、支援の呪文をありったけ唱えてくれている。
もう呪文の温存は意味が無い、ここで持てる力の全てを出し切ってしまう。
アークデーモンは素早さでわたしたちの攻撃をかわしていた。
しかし、このデーモンロードはその防御力で、特に左手の巨大な盾でわたしたちの攻撃を受け止め、弾き返していた。
素手で戦っているフィナはほとんどダメージを与えられない。
クルーの村正でさえもデーモンロードの鉄壁の護りの前には通用しないようだ。
どうしようもないわたしたち。
そこへデーモンロードは上段の両手で構えた巨大な剣を稲妻の如く振り下ろした。
ビュウンと空気を斬り裂く轟音と共に、わたしの身体を物凄い衝撃が襲った。
「クッ!」
わたしは全身の筋肉を硬直させ、伝説の盾を握り締めてその衝撃に耐えた。
とても普通の武具では耐えられない。
ダイヤモンドの武具はどんな攻撃からもわたしの身を護り、そして傷付いた身体を即座に回復させてくれる。
わたしが今無事なのはダイヤモンドの力に他ならないのだ。
「レオナ、平気?」
必要ならいつでも治療呪文を唱えられるように待機していたルパ。
「何とかね」
まだ身体中がしびれている、それでもわたしは立ち上がった。
「何とかしなくちゃ」
わたしはカシナートの剣を握り締め、もう1度デーモンロード目掛けて斬り掛かった。
「このぉー」
渾身の力を込めたその一撃をデーモンロードは両手に持った剣で受ける。
パキーン・・・と乾いた音が響く。
「ウソ」
わたしの振るったカシナートの剣は根元から真っ二つに折れてしまったのだ。
「クソッ」
わたしは折れた剣の柄をデーモンロード目掛けて投げ捨てた。
剣の柄はデーモンロードの身体に当たって足元に落ちる。
デーモンロードがそれをグシャリと踏みつけた。
「駄目か・・・」
クルーがそう呟いた。
わたしたちに敗色ムードが漂ってきた。
そんな、ここまで来て負けるだなんて・・・
でも、どうすれば・・・
3
どうしようもない、わたしがそう諦めかけた時だった。
「何をしている!」
「えっ、ルパ?」
ルパが何やら話始めた。
「何をしているのだダイヤモンドの騎士の末裔よ」
「これはルパじゃありませんよ!」
ポーがルパの顔にまじまじと見入っている。
「話しているのはルパですが、声が違います。誰かがルパの口を借りているみたいです」
ポーが手短に現状を説明してくれた。
「わたしの名はアラビク、かつてダイヤモンドの騎士と呼ばれた者だ。
我が子孫よ、そなたは既に全てのダイヤモンドの武具を手にしている。
その力で早くその悪魔を倒すのだ・・・」
そこまで言うとルパは意識を失いその場にドッと崩れ落ちた。
ルパの口を借りたかつてのダイヤモンドの騎士、アラビクの意思がルパから離れたのだろう。
「ルパ」
倒れたルパをポーがそっと抱き起こしている。
やっぱりこの2人はもう気持ちが通じ合っているのかな・・・
それはさておき、今はデーモンロードを倒す事を考えないと。
「でも、全ての武具が揃ったって剣が・・・」
わたしは自分の身体を見回してみた。
剣なんて・・・
「分かったぞレオナ」
「えっ、何、ブラック?」
「ソークスの形見の剣だ。それがハースニールだ」
「だってこれ・・・」
わたしはマントの内側に背負っていたソークス姉さんの形見の剣を鞘から抜いて取り出してみた。
「これ、魔法使いの姉さんでも使えたちゃちなものよ。これがハースニールだなんて」
「いいからそれを構えろ。そしてその剣に秘められた真の力を解放してやれ。
お前なら出来るはずだ」
アイテム関係にはめっぽう詳しいブラック、だけど彼がこんな真剣な物言いをするのはちょっと珍しい。
「やってみる」
わたしはソークス姉さんの形見の剣を両手で構え、その力を引き出すべく祈った。
「この剣に眠るダイヤモンドの力よ、今こそ目覚めなさい。
ソークス姉さん、わたしに力を貸して」
わたしの祈りに応えてくれたのか、手にした剣が輝き出した。
刀身とつばの付け根の部分に埋め込まれたダイヤモンドが姿を現し、鎧や盾のものとは比べ物にならないくらいの光を放っている。
「これが・・・聖剣ハースニール」
その剣のあまりの美しさに、わたしはしばし見とれてしまったのだった。
ついに手に入れた、聖剣ハースニール。
刀身は本当に細く、カシナートの半分くらいしかない。
長さは1メートルちょいといったところか、とにかく軽い。
刀身全体が光を発していて、ダイヤモンドの輝きは言うまでもない。
それに呼応して鎧、盾、兜、篭手のダイヤモンドが一斉に光り出した。
わたしの身体に、今まで存在しなかったような不思議な力が溢れてくる。
5つ全て揃って初めて完璧な力を発揮するという意味が分かるような気がする。
そう、伝説の武具はここに全て揃い、わたしはそれら全てを身に着けた。
わたしは今、ダイヤモンドの騎士となったのだった。
4
わたしはハースニールを右手に構え、デーモンロード目掛けて走り出した。
身体が軽い。
これも全て揃ったダイヤモンドの武具の力だろうか。
ハースニールを振り上げ、軽い力で振り下ろす。
剣の軽さ故か必要以上に肩に力が入る事もない、ハースニールは綺麗な弧を描いて輝いている。
デーモンロードはそれを盾で受ける。
しかし、凄まじいまでの斬れ味を誇るハースニールはデーモンロードの盾を真っ二つに引き裂いてしまった。
「いけるかもしれない」
ダイヤモンドに秘められた悪魔殺しの力は予想以上で、まるで薄布を切るかのごとくデーモンロードの身体を斬り裂く事が出来る。
「よしっ、オレたちも続くぞ!」
クルーとフィナが援護に駆け付けてくれた。
盾を失ったデーモンロードならクルーの村正でも十分にダメージを与える事が出来る。
フィナが素早くデーモンロードの周りを駆け回り、フェイントを掛け体勢を崩させる。
そこをわたしとクルーで狙い打つ、この作戦がうまくいった。
何度かの攻撃の末、わたしのハースニールはデーモンロードの左右の上段、つまり巨大な剣を持っていた両腕を斬り落とした。
「やったあ!」
フィナが叫んだ。
わたしはフィナにひとつウインクして応えてみせた。
既にデーモンロードの表情には戸惑いと困惑の様子が見て取れた。
この巨大な悪魔もダイヤモンドの武具の力には適わないのだ。
デーモンロードが苦し紛れに攻撃呪文を唱えてみても、ポーたちが唱えまくった防御呪文の効果で呪文の炎や冷気は何事も無かったかのように霧散してしまう。
ついに追い詰めた。
わたしの放った一刀がデーモンロードの身体を貫く。
「グアァァァァー」
デーモンロードの絶叫が響く。
「やったか・・・?」
これはクルーの言葉だったが気持ちはみんな一緒だ。
じっとデーモンロードの様子を伺っている。
デーモンロードはまだその場に立っていた。
そしてフラフラと後ずさりして行く。
今にも倒れそうだが倒れない。
「まだ生きてるのお?」
フィナの言葉を受けて、わたしは止めを刺すべく再びデーモンロードへ走り寄った。
デーモンロードは傷付いた身体を引きずりながら、魔界の門へと後退して行く。
「あっ、逃げるつもりよ!」
フィナが慌てて叫ぶ、もちろんわたしに逃がすつもりは無い。
「これで終わりよ!」
今までの戦いで得てきたものを、ダイヤモンドの武具に宿っていた過去の記憶や経験を、そしてソークス姉さんを想う気持ちを。
それら全てのものを最後の一振りに込める!
ハースニールは今まで以上の輝きを放っている。
わたしが大上段から繰り出したその一刀はデーモンロードの脳天から入り、何の抵抗も無くその身体に食い込んでいく。
そして、そのままかの大悪魔の身体を真っ二つにしてしまったのだった。
左右に分かれたデーモンロードの身体はそれぞれ地面に倒れ落ちる。
ズシーンという轟音と共に土煙が舞い上がった。
「やったよ、ソークス姉さん・・・」
わたしはポツリと呟いた。
5
舞い上がった土煙が静まっていく。
わたしの足元には先ほどまでデーモンロードだったものの屍が横たわっていた。
闘いは終わった。
わたしはホゥとひとつ息を吐いてからクルリとみんなのほうへ振り返った。
「終わったよ」
わたしは足を踏み出す。
クルーが、フィナが、ルパが、ポーが、ブラックが、口々に喜びの声を上げながらわたしのほうへ走り寄って来てくれる。
みんなの輪に加わったわたしに「よくやったな!」などと言いながらバシバシと頭を叩かれたりと手荒い歓迎が待っていた。
今はそれが嬉しい。
わたしたちが勝利の余韻に浸っている、その時だった。
ズズズズズ・・・
と低い地鳴りのような振動が起こり始めた。
それと同時にデーモンロードが出で来たあの魔界の門が明滅し、大きく揺らぎ始めた。
「何!?」
わたしたちは皆一様に魔界の門を見詰めた。
そこには数体の悪魔の姿が浮かんで見えている。
「いけない! デーモンロードの後を追って間もなく大量の悪魔達がここへ押し寄せてきます」
バンパイアロードが叫ぶ。
「そんな・・・」
わたしをはじめパーティ全員がアークデーモンとそれに続くデーモンロードとの闘いで激しく疲労していた。
ポーやブラックはもう既にほとんど呪文を使い果たしていて、新たな闘いに備える余力は無いはすである。
「早く魔界の門を封印するのです。悪魔達がこちらの世界にやって来る前に、早く!」
バンパイアロードがわたしを促す。
「どうすればいいの?」
「ダイヤモンドに祈れば良いでしょう」
ささ、とバンパイアロードはわたしの背中を押して魔界の門へと送ってくれた。
わたしは魔界の門の前に立ち、たたずむ。
そんなわたしのすぐ脇を、魔界の門から飛び出して来たガーゴイルなどの小型の悪魔らがすり抜けて行った。
それらの悪魔はクルーやフィナが難なく始末する。
わたしはそれには構わず魔界の門を見上げていた。
魔界の門からは今にも大量の悪魔が飛び出さんとしていて、その威圧感を放ち続けている。
その影響からか、さっきまでの振動は本格的な地震になっていく。
「ダイヤモンドに祈れ、か・・・」
わたしはそう呟くとじっと目を閉じ心を落ち着ける。
そうすると不思議なもので、地震による振動も悪魔達による威圧感も次第に感じなくなっていった。
そして祈る。
「ダイヤモンドよ、この魔界と人間界とを結ぶ忌まわしき門を汝らの力で封じたまえ」
わたしがそう念じると、わたしの祈りに反応したダイヤモンドの武具が一斉に輝き出した。
ダイヤモンドの結晶の部分だけでなく、それぞれの武具全体がまばゆい光を放っている。
そして5つの武具はフワリとわたしの身体から離れて行き、それぞれのダイヤモンドを頂点とした星型の印を描き出した。
1番上が剣、そして鎧、盾。
下のほうに兜と篭手が並ぶ。
武具によって描かれた星型の印はそのまま魔界の門へと張り付き、やがて異空間へと消えて行った。
それと同時に魔界の門も消滅し、悪魔軍団の気配も薄れていく。
光が消え、やがて辺りは暗くなった。
6
地震による揺れは今も続いていた。
「ここは危ない。早く脱出を」
バンパイアロードがわたしたちに早くこの場を去るようにと促す。
「分かった」
わたしはみんなのいる場所へと戻ろうとした。
しかし・・・
先ほどの魔界の門を封じる作業で精神的にも疲労したのか、うまく身体が動かない。
足元がおぼつかずにもつれてしまう。
その時だった、ミシミシ・・・という嫌な音がわたしの頭上から聞こえてきた。
「レオナ、危ない!」
フィナの悲鳴がわたしの耳に飛び込んで来た。
はっと頭上を見ると、地震で緩んだのか天井の岩盤が大きくはがれてわたしの真上にぶら下がっている。
地震はまだ続いていて岩盤はいつ落下してもおかしくない状態だった。
今のわたしはダイヤモンドの武器防具を全て手放してしまい寸鉄帯びていない平服姿だ。
もしも今あれが落下してきたら・・・
とてもじゃないけど耐えられない。
わたしは慌ててその場を動こうとしていた。
「あーーーー!」
誰の声かも分からない悲鳴、見上げると地震に耐え切れなくなった岩盤がわたし目掛けて落下してきていた。
しかしわたしは動けない。
もう駄目だ!
恐怖で身体が硬直する。
そんなわたしにとっさに誰かが飛びつき抱きついて来た。
わたしとその人はお互い抱き合ったまま転がって行き、辛うじて岩盤の真下から逃れていた。
天井から落ちてきた岩盤は、けたたましい音を立てながらわたしたちのすぐそばに激突していた。
どうやら直撃だけはまぬがれたらしい。
わたしはゆっくりと目を開ける。
辺りはもうもうと立ち上る土煙で視界が遮られていた。
それでも目の前に誰がいるのかぐらいは判別出来る。
「クルー・・・」
岩盤の直撃からわたしを助けてくれたのはクルーだった。
「怪我は無いか?」
クルーはわたしに覆い被さった体勢のまま、今もパラパラと落ちてくる小石などからわたしを守ってくれていた。
「うん、大丈夫、みたい・・・」
すぐ目の前にはクルーの顔があった、わたしはどぎまぎしながらそう応える。
「よくやったな」
「えっ?」
「デーモンロードも倒したし、あの門も封印したし。やる事は全部やっただろ」
クルーがわたしの耳元でそうささやく。
わたしは「うん」と小さく頷くだけだった。
「全く・・・とんでもねえ女だよな、レオナは・・・何でこんなとんでもない女好きになったんだか・・・」
「クルー、今なんて・・・?」
「いや、だから・・・何でこんなとんでもない女が好きかって・・・って何度も言わせるなよ」
クルーは少し声を荒げながらも照れているみたいだった。
「ありがとう」
自然にそう応えていた。
何に対してありがとうなんだろう・・・
助けてくれてありがとうなのか、それともわたしを好きになってくれてありがとうなのか・・・
きっと両方合わせて、ううん、それ以外にも色々ひっくるめての「ありがとう」なんだろうな。
知らず、クルーの身体に廻していたわたしの手に力が入る。
クルーの顔をじっと見詰め、ゆっくりと目を閉じた。
すると・・・わたしの唇にクルーの唇が重なる、感触。
クルーの唇はガサガサしていて、ちょっと触れた顎に生えていたヒゲかチクチクしていて。
わたしとクルーの初めてのキスは血と汗と土煙の臭いしかしなくて全然ロマンチックなんかじゃなかった。
実際に唇が触れていたのはほんの2、3秒だと思うけれども、その短い時間は初めて迷宮に降りてから今までの出来事を思い起こさせてくれるのに充分過ぎる程長く感じられた。
それはクルーと一緒に戦ってきた、クルーと一緒に過ごした時間。
今この瞬間のこの出来事だけは、何年経っても決して忘れない。
きっと、きっと・・・
やがて舞い上がっていた土煙は収まっていく。
「2人とも、大丈夫?」
ルパが心配そうに声を掛けてきた。
「ああ、オレもレオナも大丈夫だ」
クルーはルパに応えてから、わたしの手を取って起き上がらせてくれた。
地震は今も続いている。
「お二人さん、お楽しみのところ悪いけど、のんびりしていられないみたいよ」
フィナが慌てて言う。
ひょっとして見られていたかもと思うとちょっと恥ずかしかったけれども、今はそれどころじゃない。
「そ、そうよね。ポー、マロールお願い」
「無理ですよ! この地震で異次元迷宮の座標がバラバラになってます。
マロールなんて使ったらどこに飛ばされるか分かりませんよ!」
「それじゃあどうするんだよ?」
「歩いて帰ってたら間に合わないよー」
ブラックとフィナが悲鳴を上げる。
もちろんわたしだって一緒に悲鳴を上げたい気分だった。
最後の最後で脱出出来ないなんて。
「集まって!」
こんな時でも冷静なルパが鋭い声でみんなに号令した。
「えっ?」と思いながらもわたしたちはルパの言うがまま彼女の周りに寄り添った。
ルパはすかさず呪文を唱え始める。
「待ってルパ。パンパイアロード、あなたは?」
フィナだった。
「わたしなら大丈夫です、かまわずお行きなさい」
「また、会えるよね?」
「ええ、いつか、また」
名残惜しそうにバンパイアロードを見詰めるフィナ。
しかしルパは構わず呪文を完成させる。
わたしたちの身体がフワッと浮き上がったかと思うと、次の瞬間には明るい屋外へと実体化していた。
ルパの唱えた呪文はロクトフェイト。
緊急時に迷宮から一瞬にして脱出する為のものだ。
「帰ってきたんだね・・・」
見慣れた迷宮の入り口の風景に安堵したわたしは、すぅっと意識が遠のいていったのだった。
エピローグ
あれから3箇月が過ぎた。
冒険者の宿の「わたしの部屋」の窓から見える風景も何時の間にか冬のものへと変わっていた。
あの後の出来事を簡単に説明しておこう。
ルパの呪文で地上へと生還したわたしたちは、激しい闘いの疲れと極度のプレッシャーから解放された安堵感でみんな気を失ってしまった。
すぐさまわたしたちを知っている迷宮入り口の見張り役達によって王宮へと運び込まれたそうだ。
そこで丸1日眠り続けて、気が付いた時はもう翌日の夜になっていた。
食事をしてようやく一息ついたらあとはアイラス姉さんに事態の報告である。
バンパイアロードの事、アークデーモンを倒した事、魔界の門の事、デーモンロードの事。
残念だったのは、魔界の門を封じる為にダイヤモンドの武具を全て手放してしまった事かな。
アイラス姉さんにダイヤモンドの騎士になったわたしの姿を見てもらいたかった。
アイラス姉さんはわたしたちの報告を受け、タイロッサムとソークス姉さんに科せられていた反逆者の汚名を返上し、2人の名誉を回復すると宣言した。
そしてこの事件を解決したわたしたちにはリルガミンにおける騎士の称号を授けてくれた。
この称号を受けて是非王宮に仕官して欲しい、リルガミンの統治に力を貸して欲しい、と。
クルーは今、侍マスターとして訓練場で後輩の指導に当たっている。
ポーは王宮の魔法研究所に、ルパは治療師としてそれぞれ仕官する事になった。
そうそうこの2人、春になったら結婚するって。
ポーは人間でルパはエルフ族。
色々と障害もあるかも知れないけれどもお幸せにね。
フィナとブラックはコンビを組み、新米パーティの助っ人や迷宮内から戻ってこれなくなったパーティの救出などをしている。
もちろん有料で・・・
迷宮は今も冒険者のトレーニング施設として解放されているので、2人はかなり忙しくあちこちのパーティから依頼を受けたりしている。
忍者のフィナとビショップのブラックがコンビを組めば、モンスターとの格闘から攻撃呪文、治療回復呪文、宝箱の罠の解除に入手したアイテムの鑑定まで、迷宮内で必要な事は一通りこなせてしまう。
それだけにフィナもブラックをそれぞれを良いパートナーと認め合っているみたい。
でも最近のフィナの口癖が「間近で見たバンパイアロードの横顔、素敵だったなあ」って。
フィナが事ある毎にうっとりしながらそう言うものだから、ブラックは面白くないみたい。
そのバンパイアロードとはあれっきりだけど、どうしているかな?
彼とは今後も絶対に剣を交えたくないよね。
最近、日没後にリルガミンの街を外れた森や砂漠に、多くのゾンビやスケルトンなどのアンデッドモンスターが徘徊するようになったって話も聞いている。
おそらく不死族も夜の世界での活動範囲を拡大しているのだろう。
夜出歩くのはご用心、と言ったところかな。
そして。
わたしはと言うと、クルーの所で剣術の練習や指導をしたり、フィナとブラックに付き合って迷宮に降りたり、アイラス姉さんの下を訪れて話し相手になったりとかなり気ままに過ごしてました。
その間にこのお話を書き進めていたのです。
今回の事はわたしにとってあまりにも衝撃的で・・・
だからこうしてきちんとした形にしておきたかったのです。
ソークス姉さんの形見の剣はあの戦いの中で無くしてしまいました。
でもね、ソークス姉さんがわたしにくれたものはいくつかあるんじゃないかなって。
わたしずっと考えてた、どうしてソークス姉さんはあんな事をしていたのかって。
姉さん言ってたよね。
『この世界はあまりにも酷過ぎます。
戦争、貧困、飢餓、流行り病、人間の欲望と憎悪。
これらのものがはびこるこの世界を再構築する』って。
それって誰のためかな・・・
ソークス姉さん自身のため? ううん、違うよね。
きっとソークス姉さんはリルガミンの国のため、リルガミンに住む人々のためにと思ってあんな行動に出たんだと思う。
それってアイラス姉さんがやろうとしている事と同じなんじゃないかな。
ただ、その方法が違っただけ・・・
この話をアイラス姉さんにしてみたら、アイラス姉さんも分かってくれたみたい。
憎悪や欲望の無い世界を作るというのは、ソークス姉さんとアイラス姉さん、2人の理想でもあったのよね。
そう、ソークス姉さんがわたしにくれたもの。
それは「誰かのために・・・」という心。
ソークス姉さんもアイラス姉さんも、結局はリルガミンの人々のために働こうとしていた。
わたしはそんな姉さんたちの助けになりたくて迷宮へと降りた。
そしてそんなわたしのために、クルーたちは命懸けで一緒に戦ってくれた。
こうやって「誰かのために」頑張っていれば、それはいつか自分に帰ってくる、わたしはそう信じている。
ソークス姉さんがわたしにくれたものがもう一つ。
・・・とここまで書いたところで
「おーい、レオナー」
と窓の外からわたしを呼ぶクルーの声がした。
わたしは部屋の窓を開け、階下の中庭を見下ろした。
「メシ食いに行くぞー」
「うん、待ってて」
うっすらと雪が積もっている冒険者の宿の中庭には、クルー、フィナ、ルパ、ポー、ブラックが手を振りながらわたしが来るのを待っていた。
ソークス姉さんがわたしにくれたもの、それはあの厳しい戦いを共に戦ってくれたこの仲間達。
こんな事を言ったらソークス姉さんに怒られるかも知れない。
でもソークス姉さんが失踪したから、そのソークス姉さんを探すためにわたしと一緒に迷宮へ降りてくれたこの仲間達は間違いなくわたしの宝物。
ソークス姉さんがわたしにくれたプレゼントなんじゃないかなって。
わたしは、このお話を書き綴ってきたノートをパタンと閉じると、壁に掛けてあった白いコートを取って羽織った。
急いで階段を駆け下り中庭へ出る。
走ってみんなの所へ駆け込むと、わたしは迷わずクルーの腕にしがみ付いた。
「お待たせー」
「よし、行くか。今日は何食うんだ?」
「んー、この前食べたシチュー、おいしかったよね」
クルーとそんな会話をしつつ、酒場へと向かう。
ソークス姉さんがわたしにくれた一番のプレゼント、それはきっと・・・
いつもわたしのそばにいてくれて、いつもわたしを助けてくれた。
辛い時には励ましてくれて、わたしが泣いた時には慰めてくれた。
1番大好きで1番大切な人、クルー。
クルーとの出会い、クルーと過ごした時間、そしてきっとあるであろうクルーとの未来・・・
それは、きっときっと。
ソークス姉さんがわたしにくれたものだと信じている。
ソークス姉さん、ありがとう。
姉さんのくれたもの、ずうっとずっと大切にしていくからね。
小説ウィザードリィ外伝1・「姉さんのくれたもの」・・・THE END