ジェイク7

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23

 ランバートの話を聞き終えたオレは祭壇の前に立った。
 仰ぎ見れば今も眠り続けるドラゴンの神。
 そして祭壇の上辺には水鏡に映ったオレの顔。
 ゆっくりと時間を掛けてそれらを見渡す。
 もう気持ちは決まっていた。
 ドラゴン神の血でランバートの病気が治るなら、何としてもそれを叶えてやりたい。
 それにオレだってここまで来たら、ドラゴンの神が起き上がる姿を是非見てみたかった。
 大きく息を吐き心を落ち着ける。
 別に巫女を気取るわけじゃないけど、儀式に臨むには神聖な気持ちが必要なはずだ。
 ランバートはもちろん、エイティもベアもじっと押し黙り、オレがドラゴンの神を目覚めさせるその時を待ってくれていた。
 じっと目を閉じる。
 そこにあるのは静寂。
 やがて祭壇の水鏡のようにオレの心も穏やかに澄み渡った。
「エイティ」
 オレは祭壇のほうを向いたまま、そっと左手を後ろへ差し出した。
「ジェイク、良いのね?」
「ああ、頼む」
 後ろでエイティが動く気配と共に、オレの左手の人差し指にチクリとした痛みが走った。
 エイティが聖なる槍の先端でオレの指先に小さな傷を付けたんだ。
 手を戻し指先を見ると、真っ赤な血が指先で玉のように膨らんでいた。
「よし、やるぞ」
 左手を水鏡の上に差し出し、血の玉が下になるように手を返した。
 指の先に溢れた血が一粒の滴となって零れ落ち、水鏡の表面に小さな波紋を描く。
 水鏡の中に落ちた血の滴は、やがて靄のように水の中に広がっていった。
 そしてそれと同時に、オレの懐がほんのりと温かくなったんだ。
「ひょっとして・・・」
 懐に手を入れ、それを取り出す。
 オレの手にある光の水晶がじわりと発熱し、その輝きを増していた。
 祭壇にある水鏡に捧げられた血と光り輝く水晶、これで何も起こらなかったら嘘だぜ。
 眩しく輝く光の水晶を高く掲げた。
「眠れるドラゴンの神よ、今こそ目覚めたまえ」
 オレが祈りの言葉を捧げると、それまでじっと閉じられていたエメラルドグリーンのまぶたがピクリと反応したんだ。

 遥かな昔に人間がドラゴンへの信仰を失ってから眠り続けていたドラゴンの神が、今目覚めた。
 見開かれた瞳はエメラルドの宝玉のように輝いている。
 ゆっくりと首を持ち上げ、前脚を踏ん張って身体を起こすと、犬や猫なんかが伸びをするように背筋を伸ばした。
 眠っている時でも美しかったエメラルドグリーンの身体は起き上がることでさらに美しく煌めいている。
 その姿は荘厳にして神秘的、今まで見てきたどのドラゴンよりも威厳に満ち溢れていた。
「あんたがドラゴンの神なのか?」
『我が名はル'ケブレス。ここに人が来るのも久しいな』
 ル'ケブレスと名乗ったエメラルドのドラゴンの声が、ティエンルンの時と同じようにオレの頭の中で直接響いた。
「えっと、オレ達は・・・」
『言わずとも良い。みな分かっている。汝の名はジェイクだな』
「ああ」
『後ろにいるのがエイテリウヌとベアリクス。魔族の男はランバート。そしてウサギはボビーよな』
 ル'ケブレスが一人一人の顔を見つめながら名前を呼んだ。
「よく知ってるな。さすがは神様だ」
『夢で見ていたのでな』
「夢?」
『うむ。我は太古の昔に眠りに就いて以来、ずっと夢を見てきた。夢で人間達の活動を見守ってきたのだ。
 我が眠っている間に人間達は大いなる発展を遂げた。しかし・・・それと同時に心を失ったようだな』
 ル'ケブレスがゆっくりと首を横に振った。
 永い時間、神として世界を見つめてきたこの美しいドラゴンは、どこか寂しそうに見えた。
「ドラゴンの神よ、ならば俺達がここへ来た理由も分かっているんだろ?」
 ランバートがル'ケブレスに話しかけた。
『そうよな。久しぶりの客人だ。じっくりと見させてもらったよ』
「それなら話は早い。早速だがあんたの血を俺に分けてくれ」
『まあ慌てるなランバートよ。まずはここまで来た者達に褒美をやりたいと思う』
「褒美だって?」
『まずは傷付いた汝らの身体を癒そうではないか』
 ル'ケブレスが告げると同時にオレ達は温かい光に包まれた。
 体力、そして魔力が一瞬にして回復する。
『そしてジェイク、エイテリウヌ、ベアリスク。そなたらにはこれを授けよう』
 更にル'ケブレスが何かを念じるように目を閉じた。
 すると、今度はオレが着ていたローブそのものが淡く輝きだしたんだ。
 輝いたのはオレのだけじゃない、エイティの胸当てもベアのフルプレートも、一斉に輝きを放っていた。
 光が強くなり視界を白く染めた。
 温かいものに包まれるような心地良い感覚に身を任せる。
 やがて光が消える。
「ああ、これは・・・」
「うむ、装備が変わったな」
 エイティとベアが新しくなった自分の装備を見て驚いていた。
『エイテリウヌには女神の胸当て、ベアリクスにはミスリルの鎧を授ける』
 女神の胸当てにミスリルの鎧。
 それはどちらも防具としては最上級品として語られている。
 もちろん簡単に見つかるはずもなく、伝説の逸品とでも言うべき存在だ。
『ジェイク、汝に授けるは巫女のローブだ』
「巫女のローブ?」
 ル'ケブレスに言われて初めて自分の恰好を見下ろした。
 それは、白く輝くローブだった。
 今まで着ていたダボダボのローブとは違って、身体にピッタリと合ったサイズ。
 肩の露出が大きくてウエスト周りはベルトで締められている。
 おまけにさっきまで巻いていたはずのサラシが無くなっているから、胸周りがスースーしてなんとも心もとない。
「ジェイク素敵じゃない。そんな恰好をしているとやっぱり女の子なのね」
「あっ、いや、これはちょっと・・・」
 そう、これはローブというよりはドレスに近い。
 誰が見てもはっきりと分かる胸のふくらみや腰のくびれ、そして下半身に流れるスカート。
 どこから見たって女性専用の衣装に他ならない。
「おいル'ケブレス、オレはこんな恰好は・・・」
『不満であるか? されど汝は女であろう』
「それは・・・」
 何もかも分かっていてわざとやってるんじゃねえだろうな?
「ジェイク、もう観念するしかないわね」
「そうだな。神様から授けられた物を無下にするわけにもいかんだろう」
 エイティとベアもうんうんと頷いている。
 そりゃあ二人は良いだろうよ、最高級の防具なんだから。
 でもなんでオレがこんな恰好・・・
『ジェイクよ、それはただのローブではない。着る者を護り精神の集中をより促すものだ』
「ということは、呪文の効果も上がるのかな」
『うむ』
 ル'ケブレスがゆっくりと頷いた。
 そこまで言われたらオレだって覚悟を決めるしかねえだろう。
「分かったよル'ケブレス。このローブ、ありがたく使わせてもらう」
 ヘヘ、とうとうオレも女用のローブを着ることになっちまったな。

『待たせたなランバート。それでは汝の話を聞こうではないか』
 オレ達に一通り新しい装備を授けたところで、ル'ケブレスはランバートへと語り掛けた。
「俺の用は一つだ。アンタの血をくれ。俺はそれを飲まねばならない」
『我の血か・・・そんなものを飲んでどうする?」
「ドラゴンの神の血を飲んだ者は不老不死になれると云う。少なくても俺の病気を治すぐらいはできるはずだ」
『確かに、我の血を飲んだ者は過去にもおった。不老不死かどうかは保障せぬが普通の人間とは違ったであろうな』
「やはりそうか。ならば俺にも頼む。アンタの血を分けてくれ」
 ランバートがル'ケブレスに懇願する。
 ル'ケブレスはそんなランバートをじっと見定めようと、エメラルドの瞳を輝かせていた。
『本当に我の血が欲しいのか?』
「ああ」
『何が起こっても後悔せぬか?』
「一体何が起こるって言うんだ? アンタの血を飲んで不老不死の身体になる。それだけだろう」
『決意は変わらぬようだな』
「無論だ」
『他の者達もそれで良いと思うか?』
 ル'ケブレスがオレ達の意思も確認してきた。
 オレ、エイティ、ベアと三人で視線を交わしてからみんな無言で頷いた。
 誰も異存はない。
『それならば・・・良いだろう』
 ル'ケブレスはじっと目を閉じると右の前脚を持ち上げた。
 鋭く伸びた爪を自らの首筋に突き立てる。
『我の血を受け取るが良い』
 ル'ケブレスが首筋に突き立てた爪を滑らせると、傷口から琥珀色の液体が溢れてきた。
 あれがドラゴンの神の血なのか・・・
「おお。これを飲めば俺は」
 ランバートが零れ落ちるル'ケブレスの血を両手で受け止める。
 手の器の中になみなみと溢れる琥珀色の血、それをゆっくりと口に近づけた。
 ゴクリとランバートの喉が動く。
 手の中にあった液体はすべてランバートが飲み干してしまった。
「これはスゴイぞ。身体が燃えるように熱い」
 興奮したランバートはワハハと笑い続けていた。
「俺は、俺はついに不老不死の身体、を・・・ウッ!」
 異変はその時に起こったんだ。

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